冷やかな頭と熱した舌

第22回
本屋とメディア
―読者の〈未知〉を〈既知〉に変える「接点」

全国から注目を集める岩手県盛岡市のこだわり書店、さわや書店で数々のベストセラーを店頭から作り出す書店員、松本大介氏が日々の書店業務を通して見えてくる“今”を読み解く!
 

◆さわや書店ホームページ http://books-sawaya.co.jp/
◆さわや書店フェザン店ツイッター 
https://twitter.com/SAWAYA_fezan

■本を売る「努力」

ORIORI店も開店1カ月がたち、だいぶ落ち着いてきた

「努力」とは「このままじゃダメだ」と不安や不満を抱えている人がするものであって、現状に恵まれた人がするものじゃない。
 ということは、過去の自分の行いや成果に満足せず、むしろ積極的に否定することからしか努力は生まれないということだ。漫然とした努力なんて存在しない。
 え? 継続は力なりという言葉があるように、何かを続けることは努力じゃないかって?

 いや、それはもはや努力とは言えない。
 単なる「日常」だ。

 書店メディアの関係性について、最近よく考える。書店とメディアの関係を昨今の業界動向に照らし合わせてみると、まず語るべきことの一つとして、書店そのものがメディアの役割を担うような新しい取り組みが目につく。
 本を媒介としたイベント、講座などの催しに積極的に取り組む書店がそれらだ。本を売ること「以外」のことからも収益を得て、書店を経営していこうという考え方。
 その昔、出版社にまだ体力が残っていた2000年代には、業界全体の利益構造を変えるべきだという言説が幅を利かせていた。地方の書店経営者のなかには恥ずかしげもなく、いまだこのお題目を唱え続けている人がいる。それらの方々には、どうぞお題目を唱え続けて無事往生して欲しいと思う。チーン。
 しかし、そんな他力本願では書店がレッドデータブックに載っかってしまうと、自力本願の道を歩み出した書店が先に挙げたモデルを実践している。いっそのことレッドデータブックに載せればいいのにね、書店を。あ、実際に掲載される事態に陥ったら、そのレッドデータブックを売る場所がないのか。ネット書店以外に。

 閑話休題。時を経た今、本だけで利益を上げるのは、正直に言って難しくなってきている。なぜだろう。雑誌が売れなくなって、コミックが売れなくなって、実用書のハウツーもネットに無料でアップされるようになって、不景気でビジネス書が売れなくなって、少子化で学習参考書も売れなくなって、余暇をスマホに取られて……理由はいくつでも思いつく。そんな逆風ばかりのなかで、「天狼院書店」や「本屋 B&B」に代表されるような、書店そのものをブランド化して体験や知的興奮をセットで売る取り組みは、正直すごいなぁと思う。最初にそれをやろうとした発想力と行動力もそうだし、日常的にアイディアを出し続ける努力もそうだし、ファンのつけ方なんかは見ていて簡単に真似できるものではないなぁと尊敬する。書店=メディアとして機能している好例であり、真似は出来ても誰でも維持していけるわけではないから価値がある。新しい書店の形としてお手本にしながら、どんどん発展型の書店が増えていって欲しいと思う、というのが「書店人」としての僕の考え。

■書店で働く人は根暗?

 だけど、一方で「個人」としての僕は、それとは逆の考えと消費行動をとってしまう。
この原稿を書いている今日、ずっと続いた開店の異常なテンションから解放されて完全なるオフである。書店で働く人は、基本的に根暗である説を唱える僕は、前述したような濃い、作られたコミュニティ(≒発展型書店)に飛び込むのが苦手だ。興味のあるイベントや講座でも、すすんで参加することは躊躇してしまう。思い切って参加したとしても、講師と参加者の間で既知の関係なんかを匂わされたりすると、めちゃくちゃ白けてしまうのだ。「何とかさんはどう思います? 前回の講義の後にお茶した時に言っていたアレですよ、ホラ」とか始まりかねないコミュニティは、僕にはハードルが高すぎる。世間では、単なるへそ曲がりとも言うのだろうが。
 え? 人生の半分を損している? いや、丸々損している自覚がある。いまこの原稿をド〇ールで書いているのも、こだわりのスピーカーが取り付けられたオサレなカフェで、音楽に詳しい店主とユーモラスな会話をする気力やセンスなど、持ち合わせていないからだ。そういうふうに、自らの心を育ててきてしまったのだろう。でも、だからこそ本に生き方の答えを求め、本を読み続けることで、人生における損と折り合いをつけてきたのだと思っている。書店で働く人のなかで、そういう人は案外多いのではないだろうか。でも、どこの業界でも脚光を浴びるのは、上手に自己アピールができてフレンドリーな、いわゆるコミュニケーション能力上位な人が多い。
 だから、僕は自らの経験と照らし合わせて、本屋における「敷居の低さ」のようなものを積極的に維持したいと考えている。自分自身がそうだから、独りの人が集う場所としての本屋をなくしたくない。巷間に交わる道を避け、道なき道を歩く人たちが集まりやすい場所。個人が自分の内面と向き合う場所としてある書店。じゃあ、利益はどうやってあげるの? と問われたら困ってしまうけれど、もう一つのメディアの形を模索したいと思っている。前時代的かもしれない。練りに練られた自説を語るというわけでもない。それでもいいという方だけ、この先をお読みいただければと思う。

料理書の棚にも顔写真入りの著者紹介パネルを置き、新たな情報を発信とともに「敷居の低さ」も目指す