冷やかな頭と熱した舌

第20回
新店の選書について
―8つの苦しみ

全国から注目を集める岩手県盛岡市のこだわり書店、さわや書店で数々のベストセラーを店頭から作り出す書店員、松本大介氏が日々の書店業務を通して見えてくる“今”を読み解く!
今回は5月19日に開店する新店舗「さわや書店ORIORI店」の選書について。

 

◆さわや書店ホームページ http://books-sawaya.co.jp/
◆さわや書店フェザン店ツイッター 
https://twitter.com/SAWAYA_fezan

■選書は〈地獄〉

  2月下旬からひと月半もの間、新店舗の開店のために選書をしていた。
 外界から遮断されたさわや書店フェザン店のバックヤードの片隅。目の前には壁。日に日にみじめな気持ちが増してゆく。僕の心と反比例するように根雪は身を縮め、雪がちらつく晩冬から季節は巡って気づくと岩手にも春が訪れていた。

「どんなぁ、お客さんが来てくれるのかなぁ」
「どうやってぇ、お店にぃ、私らしさを出そうかぁ」
「この本は、私の大好きな本だからぁ、絶対に選ぶぅ」
「色々と考えると……うん、と~っても楽しそぉ!」

 新しい店を開く。そのための本を選ぶ。あまり深く考えなければ、上記のようなメルヘンに満ちた声が聞こえてきそうだ。僕がもしそれらの発言を直接聞くことがあったら、今回の体験を嚙んで含めるように小一時間話し聞かせたうえで、最後の一言を文豪ばりにこう結びたい。
「選書の長いトンネルを抜けると雪国であった」
 僕も選書作業をする前には、語尾を伸ばしはしなかったがメルヘンな心持ちだった。だがいまは、なんて浅はかな、と過去の自分を鼻で嗤う。僕が体験したそれはまさに地獄と呼ぶにふさわしいものであった。永遠に春など訪れないと思った。


■ストレス、本の知識の欠如 

 これから、ところどころ記憶があやふやで、現実と妄想の区別がついていないかもしれない体験を記す。時系列、誤認、噓、誹謗、中傷などがあったらご容赦願いたい。

『地獄』風濤社刊

 数年前に『絵本地獄』(風濤社)が話題となったが、なぜあんなおどろおどろしい絵本が売れたか。きっと未知の世界をしりたいという欲求が、人間にはあるのだろう。調べてみると地獄には8つの形相があるらしい。僕にも同様に8つの苦しみが降りかかった。選書に取りかかる直前、決意表明としてデスクの前に「心を鬼に 1年松本大介」とかいた半紙を貼った。ネタのつもりだったのだが、地獄の鬼たちの逆鱗に触れたのかもしれない。

 まず1つ目は、行動を制限されるストレスである。
 さわや書店フェザン店では、お客さんの応対は売場を作っている「社員格」の人間が品出しなどをやりながら兼ねる。レジ係がレジで問い合わせを受けると、ベルを「チーン」と鳴らす。するとパブロフの犬のように「社員格」の人間がレジへと向かう。お客さんへの応対は、本が売れてゆく喜びを体感できる無二の機会だ。愛犬の産んだ子犬がもらわれてゆくような特別な感慨がある。同じように電話が鳴ると、手の空いている者が受話器を取ることがルールになっている。選書に専念するために、僕だけがそれらの問い合わせへの対応を制限されたのだった。

フェザン店のバックヤード ここで新店の事務作業にあたっている

  お達しを出した田口幹人店長曰く、「心を鬼にして問い合わせを受けるな」。それを受けての前述の決意表明だったのだが、売り場面積を確保するために、極限まで狭くしているバックヤードの片隅で、積み上げられた備品に囲まれながら背もたれのない硬い丸イスに座り、慣れるまでしばらくの間はベルや電話の音にいちいち腰を浮かしては下ろしを繰り返していた。
 日がな一日パソコンの画面をにらみながら、座り続けることを余儀なくされた日々。新しい店の店舗名は「ORIORI(オリオリ)」というのだが、これは僕があたかも「檻」のなかに入れられているようだと名づけられたとか、名づけられていないとか。

 2つ目は、本に触れることができないこと。
 勤め始めてからいままで、僕は日常的に本に触れていた。選書地獄に入る前の僕、つまり「現世」の僕の担当は、文芸書、人文書、ビジネス書、新書、一般書など。毎日7時過ぎに出社して雑誌を運び入れ、数人で手分けをして9時の開店に間に合うように並べ終えるということを毎日繰り返していた。
 開店した後は、書籍の新刊を担当者ごとに仕分けし、数日前に発注して入荷してきた商品をこれまた担当者ごとに仕分けする。自分の担当する分野の新刊と、売れ筋の注文品でもって「昨日の売り場」から「今日の売り場」へと少しずつ店を変えてゆく、とても根気のいる作業である。これらは、客入りの最初のピークである正午前に終わらせないといけない。
 正午から午後1時までは、事務作業をこなしながらお客さんの問い合わせに備える。1時間の休憩から戻ると、残りの注文品を売り場に補充しながら微調整し、同時に返品するものを段ボールに詰めながら一定量になったらひもで縛って返品伝票を書く。それが終わると、売り上げデータをチェックしながら発注作業をして、その合間にレジにも立つ。夕方に下校する学生たちの訪れを境に、売上げはその日一番のピークを迎える。
 遅番の時は雑誌の品出しがないかわりに、客注品の入荷連絡と閉店作業が加わる。何が入ってきて何が出ていったのか、どの場所で何がどのように売れているのかを体で覚えていたのだったが、地獄の入口に立った時からその感覚が失われるとともに、選書している1か月半の間に出版された本の知識が、ごっそり抜け落ちてしまった。

■腰痛、時間、ライバル店

 3つ目は腰痛である。

筆者の作業机。ヘルニアへ追い込んだまる椅子も見える

  動くことが少なくなったうえに、5時間ぶっ通しで例のイスに座ることを、昼休憩を挟んで1日2セット。これを腰痛養成ギプス、もしくは腰痛トラの穴と言わずなんと言うのだろう。僕も多くの書店人同様「ガラスの腰」の持ち主なので、このひと月半に及ぶ「石抱きの拷問」のような沙汰により、地獄の鬼の覚えめでたく「Go to へルニア」となった。
 ただでさえ書店員の大半は、重い荷物の上げ下ろしによって腰に爆弾をかかえている。加えて、本を20冊ぐらい重ねて腕と体で挟むようにして持ち運ぶことを続けていると、自然と肩が内側へと入っていき猫背になる。さらには、絶えず平台に目を光らせるという癖がつくと、目線を下げるために首が前に出てくる。これに腰をかばいながら歩く姿を併せると、社会の教科書に描かれた類人猿のようだ。街中で書店員はすぐにそれとわかるだろう。ジョジョ立ちならぬアウストラロピテクス立ちの人を見かけたら、こう話しかけてみよう。「おたく帳合どこ?」と。

 4つ目が本を読む時間が捻出できないこと。
 選書をしている期間中は、おおげさでなく家には寝に帰るだけだった。しかも睡眠中も選書している夢を見る。だんだんと夢か現か判断がつかなくなり、次第に曜日の感覚がなくって、ついには日付の概念さえ失われていった。スナイパーがスコープを覗くように、締め切りとして設定された4月10日だけを見据えて、他のことが見えなくなる。意識的に脳に刻みつけなければ、その日にあったことも覚えていることが難しい。過度のストレスからか、締め切りがせまるにつれて貧乏ゆすりが止められなくなった。耳元ではASKAが「これからあいつを殴りに行こうか?」と囁く。危険なゾーンに突入していた。

 半分を折り返して5つ目が、フェザン店との差別化である。
 現場を離れて、客観的な眼でみるさわや書店フェザン店は、やはりすごい。この店も開店当時はフラットな、いわゆる普通の店だったのに、お客さんに合わせながらも主張を捨てることなく進化を続けた。その結果としていまの店ができた。気が遠くなるほどに積み重ねられた「妥協なき日々」を思うと、現場を離れたいま頭が下がる思いがする。その一員であったことも忘れ、「負けるもんか」と悔しさが込み上げてくるが、スタッフの能力差は歴然である。ORIORI店のスタッフは、経験者採用はしないと決めていたのでそれも当然であるが、フェザン店で一緒に働いていた「仲間」のスキルの高さを思わずにはいられない。
 自分がいままでいかに恵まれた店で働かせてもらっていたのかを痛感する。決して大きな店舗ではないが、「本を売る偏差値」で考えたら全国屈指であろう。例えばORIORI店で、『思考の整理学』(外山滋比古・ちくま文庫)や「文庫X」のようなヒットを飛ばせるだろうか。努力を怠るつもりはないが、確実にハンデは背負う。そのフェザン店をライバルとしてこれから闘うのだ。
 通常は後に出店するほうが有利なはずである。後出しじゃんけんと同じ理屈と言えば分かりやすいだろう。敵の出方を窺ってから、出す手を決められるので有利なのである。だが、フェザン店くらいの強敵となると、逆にこちらの手が限定される事態に陥る。グーとチョキを出す権利を敵に抑えられておこなう「限定じゃんけん」のようなものだ。こちらはパーしか出せない。選択の余地はない。カイジに扮する藤原竜也の姿と「ざわざわ」が耳元に聞こえてきたあたりで、選書の苦しみはいつしかフェザン店への憎しみへと変わっていった。ORIORI店でフェザン店のネガティブキャンペーンを始めそうな自分が怖い。もし店頭で、フェザン店の悪口をPOPにしたためていたとしても、見て見ぬふりをしてただきたい。

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