冷やかな頭と熱した舌

第8回 
僕が本屋でいる理由

全国から注目を集める岩手県盛岡市のこだわり書店、さわや書店で数々のベストセラーを店頭から作り出す書店員、松本大介氏が日々の書店業務を通して見えてくる“今”を読み解く!

◆さわや書店ホームページ開設されました! http://books-sawaya.co.jp/
◆さわや書店フェザン店ツイッター 
https://twitter.com/SAWAYA_fezan

 

学生時代のツケ――さわや書店入社前夜

 僕の社会における出発点が後ろ向きだったことは、この連載の第一回目(「社会に出るうえで、とても後ろ向きな出発点」参照)で書いた。
 さわや書店に入社するまでにアルバイトをしたことはあっても、お金を得るためと割り切っていたので、働くということに全くと言っていいほど責任を感じていなかった。一浪して大学に入った手前、学業を優先に短いサイクルで様々なアルバイトをやるというスタンスで学生生活を送ろうと決めていた。今日は新宿伊勢丹のバーゲン期間限定の売り子、明日は秋葉原の電気屋さんの広告モデル、土日はそのお金を握りしめて府中競馬場で使い切るという黄金のサイクルを確立するまでは。アルバイト先で知り合った人とは、その場限りの適当な付き合いですまし、また次の仕事を見つけるということを繰り返していた。要は人間関係を軽んじていたのである。
 それが、さわや書店に入って初めて先輩や上司など、目上の人のオンパレードになると思うと正直うんざりした。若さなのか性格なのか、その両方なのか、社会に出るまで僕は目上の人との関係をうまく築くということをしてこなかった。

 中学、高校時代は運動部に所属し、それなりに上下関係は厳しかったが、一つ上の学年の部員が少なく、同学年が多かったこともあって、前に出る奴の陰に隠れたり、誰かを利用したりして、その場その場をやり過ごしてきた。
 普段の学校生活においてもそれは変わらず、先生の前では猫をかぶり、息をひそめて、目の届かないところでは自分のルールで物事をやりたいようにやった。目上の存在を、自分に対して何かを強いる存在、自由を奪う存在として認識していたのだった。前述したように大学時代もそれは変わらない。そのツケを払う時が来たのだ。

予想外、仕事が面白い――さわや書店入社直後

 しかし心構えに反して、さわや書店にはキャリアを振りかざし、年下をいびるような人はいなかった。「どういう仕事をするのか」というアウトラインは教えられたものの、基本的にすべての仕事は担当者の責任による自由裁量である。「こうあるべし」といったものは、不文律やその時の空気で決められてゆく。

最初の勤務店舗だったさわや書店本店

  とても強く印象に残っているのは、就業中でも車座になってムダとも思える話が始まることだった。ある時、いままでに何度もブームがあり、毎年買われるというお客さんも多い「六星占術」の細木数子さんの話になった。僕はこの雑談で求めてもいないのに、彼女がセミヌードになった時のことを聞かされた。その名も「開運ヌード」。当時の『週刊ポスト』は、いまの『週刊文春』よりも強力な砲弾を持っていたのだ。
 つまるところ、さわや書店では「本」や「出版業界」に関することなら、就業中だとしても情報交換とみなすのである。それまで目上の人に対して必要以上に構えて生きてきた僕は、予想外の自由を与えられ好きな「本」に関して知識を増やす喜びに浸っていた。書店の仕事とは、なんと面白いものかと小躍りした。家に帰って画像検索した僕が、相当開運したことはここで述べるまでもない。しかし、その代償として毎年お盆過ぎになると入荷する「六星占術」の本を見るたびフラッシュバックする脳内の画像には、いまだに手こずっている。

店長からのカミナリ――さわや書店の<自由>と<責任>

 こういった「ふざけてもいい気風」(≒本に関われば何でも仕事として認められること)が、出版業界全体に共通のものだということは後になってわかってきた。大切なことを伝えてゆくためという意味合いから、真面目な本も多くある。だけど、読まなくても死なない、生活必需品ではない本が人生において必要とされるためには、困難を笑いに変えるくらい人生を肯定する強さのようなものが必要だと、業界の人は分かっているのだった。
 ドイツのことわざに「笑って暮らすも一生、泣いて暮らすも一生」というものがある。出版に携わる人間は、本に思い入れがあり、救われた経験を持つ人が多いから、ふざけることの有用性と、節度を持ったふざけ方を知っているのだ。
 だけど、自由には責任がともなう。さわや書店流の自由に対する責任の取り方は、「一見すると関係ない無駄話」も含め、将来的に役立つことに充てる時間を必要なものとして認めはするが、基本的に就業時間には算入しないというのが不文律となっていた。入社して一週間も経たないうちに、僕はそれを思い知らされる。

  その日、遅番のシフトだった僕は、定刻の就業開始時間10分前に出社して、当時本店の店長であった伊藤清彦さんにカミナリを落とされたのだった。店で一番能力が低く、覚えることもたくさんあるド新人が「教えてもらう時間」も就業時間に含めるたぁ、いい度胸だ。そういうことらしかった。今なら理解できる。面接で目元に優しさをたたえていた伊藤店長に怒られたことでショックを受けると同時に、胸の内に芽生えた反発心を抑えることができなかった。「時間どおりに来ているじゃないか」「何で怒られなければならないんだ」、と。入社以来、伊藤店長の前では悪いところを見せないように猫をかぶってきたつもりだったので、なおさら怒られるのは心外だった。

店長への反抗――<働く>ということがわかっていなかった
 
 そこで僕は、いま思い出しても恥ずかしいほど分かりやすい行動にでた。
 その翌日から遅番のシフトであるのに、早番の人よりも早く出勤し続けることで内心の不服を表明したのだ。ハンガーストライキ同様、苦しいのは自分である。慣れない長時間労働に体は悲鳴をあげたが、つらさを伊藤店長への見当違いな恨みで乗り越え、いつしかその激務もふつうにこなせるようになった。だが、伊藤店長に対するわだかまりは若さゆえに尾を引いた。
 だから、ことあるごとに仕事の不平不満を先輩に漏らしていた。後に伊藤店長に聴いて発覚したところによると、僕の教育係として配されていたその先輩は、逐一大げさにマイナス面ばかりを強調して店長に僕の素行を報告していたのだという。筒抜けだとは夢にも思わず、不平不満を漏らした自分を恥じた。穴があったら入りたいとはこのことだと思った。働くということが全く分かっていなかった。

  ただ、いつか見返してやるという気持ちで社会人1年目のスタートを切り、物事に取り組めたことはよかったと思う。カミナリの直後は、恐れ多くも先輩社員はおろか伊藤店長にも絶対に負けるものかと心に決めた。いま振り返ると、実力差すら測れていなかった自分に冷や汗が出る。たぶん伊藤店長は、そのあたりのことはお見通しだったに違いない。
 微妙な距離感を保ち、心の壁を崩さない僕を肯定しつつ、僕の読書の好みを把握するやいなや同じ系統のより面白い本を教えてくれたし、僕に足りない様々なジャンルについて読書の方向性を指南してもらった。それがなければ最も敬愛する作家・志水辰夫の作品に出合えなかったかもしれないし、苦手の外国文学を読まないまま遠ざけていたかもしれない。業界の裏話はじめ、前述したようなバカ話もたくさん聞かせてもらった。そのすべてが血肉になっていたのだと今は思う。
 教えてもらった本は、休み時間に店で購入し、眠い目をこすりながら意地でも一晩で読み終え、翌日に感想を報告した。報告した時に伊藤店長が一段高い声で発する「もう読んだのか!」という言葉が聴きたくて、喜びを携えた驚きの表情が見たくてせいいっぱいの背伸びをした。

師匠に抱く弟子の気持ち――『天国の本屋』と『赤めだか』

 伊藤店長が発掘して映画化もされた『天国の本屋』(松久淳+田中渉 かまくら春秋社)も、そんな本の一冊だった。読んだ翌日、目を赤くしながら「感動しました」と伝え、ベストセラーの階段を駆け上がる様を間近で見せてもらった。その後、飲みに連れて行ってもらった時、酔っ払った伊藤店長に「あの時、おまえがいいと言っていなかったら『天国の本屋』は仕掛けていなかった」と告げられ、帰り道で嬉しくて泣いた。相反する感情が自分の中に同居していることに気づいていたが、いまさら取り入るような言動をとれるほど器用ではなかった僕は、付かず離れずの距離を保ち、一挙手一投足が気になってしようがないのに、無関心を装い続ける。そんな日々を繰り返していた、あの頃。なぜ正面から向き合うことができなかったのだろう。
 のちに立川談春の『赤めだか』(扶桑社)を読んで、それが師匠に対して抱く弟子の気持ちなのだと知った。この人を見返したい、この人に振り向いてもらいたい、この人に自分の存在を認めさせたい。その一心だった。2008年に伊藤店長がさわや書店を退職して8年。嫌々ながら顔をあわせていた日々を、会わなくなってからの時間がもうすぐ追い越してしまう。今でもお会いした時は「伊藤店長」と呼んでしまう自分がいる。「伊藤さん」なんてきっと一生呼べない。

本屋としての転機――<9.11>から学んだこと

 僕に本を売る姿勢、気概を教えてくれたのもまた伊藤店長だった。転機となったのは、入社してから数か月後に起こった世界的な事件である。

 2001年9月11日、アメリカ合衆国のワールドトレードセンタービルに、ハイジャックされた2機の飛行機が突っ込んだ。ソ連との冷戦に勝利したアメリカが、その長きにわたる冷戦時代にも経験のなかった「本土攻撃」をされたのだった。
 9月11日の夜、仕事を終えて家に帰ってテレビをつけながら本を読んでいたら、突然その様子が映り始めた。最初は映画の宣伝か何かだと思ったのだったが、状況を伝える動揺を隠しえないアナウンサーの声が、それが現実であることを示していた。黒煙を上げるワールドトレードセンターの上層階には日系企業も入っており、現地からの中継では安否確認が取れていないという。想像を超えた現実に頭がついていかず、ニュースで識者が発言した「中東関係のテログループのしわざではないか」という言葉は耳を素通りした。その夜は、なかなか寝付かれなかった。
 一夜明けて寝不足のまま出勤すると、店じゅうからイスラム教関連の本をかき集めて、瞬く間に「イスラム社会とテロ」というコーナーを作る伊藤店長の姿があった。店長として果たさなければいけない職務に忙殺され、僕が入社した頃には休憩室の一角を定位置としてデスクワークに勤しみ、限られた時間しか売り場に姿を見せなかった伊藤店長が、その日は開店前から売り場で作業をしていたから何かあるとは思っていたが、よもや世界的な大事件と盛岡の本屋の片隅が現在進行形でリンクするとは、完全に予想の埒外だった。
 伊藤店長がつくったそのコーナーの前には、開店直後から常に人が立ち止まり選書された本を手に取って熱心に目を通す姿が見られた。コーナーの核となる主要な本は、午前中には売り切れてしまった。その衝撃に眠気も吹っ飛んだ僕は、頭を懸命に働かせて状況を言葉に置き換えて理解しようと努めた。

 <世の中で起こったことと売り場をリンクさせること>
 <遠くで起きた出来事も身近な生活に引き寄せて考えること>

さわや書店本店の店内。9.11の翌日には関連書が一気に並べられた。

  おぼろげながらも極意のようなものを摑んで、僕は少なくないショックを受けた。イスラム過激派の仕業だと断定されたわけではないのに、見切り発車的に書店で売り場を作って、どこよりも、ひょっとすると当時の新聞よりも早く情報を発信する。
 僕のなかでは当時、中東のテログループとイスラム過激派はイコールで結びつけられてはいなかった。だが、前もって国際情勢の知識を有していた伊藤店長のなかでは、確信的につながっていて誰よりも早く、大きく展開する。その背中に、正直シビれた。以降、何か社会的な事件が起こると、その意味と重さとを考え、可能な限り連動させて売り場を作るということを僕は覚えたのだった。

「書店員」でなく「本屋」――僕らが"今"すべきこと

 迎合をよしとしない性分、出版業界の自由さ、自分が信じた本を売れる喜びが、今も僕が本屋で働く理由だ。「書店員」なんて格式張った呼び方があるけれど、僕は「本屋」という少しアウトローな響きを持つ職人気質(かたぎ)な呼び名のほうが好きである。本屋は多義的な主義思想が集積する場所であるが、そこで働く人間はそれらに流されない芯のようなものを持っていなくてはならないと思うから。少しはみ出すくらいの、「俺は本屋だ、文句はあるか」くらいのほうがいい。
 ひと昔前は「学生運動で無茶やっていました」「マルクスだったら任せてください」という熱の入った手合いもいるにはいたらしいが、それは本物のアウトローではないのではないか。学生運動全盛の時代に生きながら周りに流されず、視野狭窄に陥る彼らを冷静な眼差しで観察していたような人間こそが本屋にふさわしい。僕は、そう思っている。
 「時代を疑うこと」
 「少数派に寄り添うこと」
 「目線を少し先へと定めること」
 この三つは、業界の先人たちが僕たちの世代に残そうとしてくれたもので、本屋である僕たちが求め続けるべき目標ではないかと思っている。この仕事の面白さを伝えるバトンは僕ら現役の本屋に託されている。本屋で働きたいという人を増やすこと、本屋に憧れを持ってもらうために、いま僕らは何をするべきだろうか。最近、真剣に考える頻度が増えた。
 この本屋という職業でいられるように。
 この本屋という職業が続くように。

 

 

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