からだは気づいている

第4回 ヒトもチンパンジーもボノボもゾウも、待っている

人間行動学者の細馬宏通さんが、徹底した観察で、さまざまな日常の行動の謎を明らかにする連載の第4回です。今回は協調行動について、ヒトと他の動物の比較を通して考えます。 ぜひお読みください。

 ここまで、机運びを例に、あっという間におこる「マイクロインタラクション」というやりとりについて考えてきた。相手がどんな掛け声を選ぶか、どんなスピードで声を発するか、掛け声のどこで運動を開始するか。よくよく考えてみると、どれもあらかじめ予測するのは難しい。でも、いざ実際に机に向かうと、わたしたちは100ミリ秒単位でみるみる机を持ち上げてしまう。実は持ち上げるタイミングは微妙にずれているのだが、そのずれをむしろ手がかりにすることで、わたしたちはお互いの声や動作をすばやく調整する。その結果、傍目には同時としか思えないほど短い時間で机は持ち上がる。

タイミングが伝わってしまう
 ここで重要なポイントは、「机を持ち上げ始める」「持ち上げを中断する」という、1人で机を運ぶときにもやってしまうような動作が、2人になると別の意味を持つ、ということだ。わたしが持ち上げるという、ただそれだけの動作が、相手に「持ち上げるよ」という合図になる。わたしたちはコミュニケーションについて考えるときに、つい相手に対して意図的に行う動作、相手に伝えようとして行う動作のことを考えるけれど、机を持ち上げるときに、本当にそんな意図のもとに動作を行っているのだろうか。
 前回も示したように、自他の動作に対するわたしたちの意識は、動作よりも遅れてやってくる。意識を言語的に表すような活動は、さらに遅れてやってくる。もし、お互いの動作が単発で、前もってその内容もタイミングも十分計画されているのであれば、意図が前もって用意されていると言ってもいいだろう。しかし、実際には、こちらがいくら周到に計画していても、相手の選ぶ掛け声、そのスピード、運動開始のタイミングを正確に予測することは難しい。それでいて運動開始のタイミングは、相手とのやりとりの中で、しかも100ミリ秒の単位で決まってしまう。しかも、その前に「お試し」のように一見中途半端な動作がしばしば起こる。
 こうした短い時間の中で次々と起こる動作の一つ一つについて、「相手のためを思ってこのタイミングで動く」といった配慮や意図を考えるのは難しい。むしろ、こちらがついあるタイミングでやってしまったがために、そのタイミングが相手に伝わってしまい、それを相手が次なる動作の調節に利用する、と考えるほうが実態にあっていないだろうか。
 ここで、この問題をもう少し広げるために、ちょっと別の例を考えてみよう。それはヒト以外の動物の場合だ。

関連書籍