ちくま学芸文庫

極北のインディアンの子どもたちを真剣に受け取る
原ひろ子『子どもの文化人類学』解説

極北のインディアンと11カ月間をともに過ごし、フィールドワークを行った原ひろ子氏。本書はその数々の経験をもとに親子・子どもの姿をいきいきと豊かに描いた名エッセイです。気鋭の文化人類学者である奥野克巳さんにお書きいただいた解説を全文公開します。奥野さんは本書を「ザ・文化人類学」と呼びます。

 2006年以来私は、マレーシア・サラワク州(ボルネオ島)の熱帯雨林に住む狩猟採集民プナンの文化人類学的な調査研究を継続的に行なっています。後に『ありがとうもごめんなさいもいらない森の民と暮らして人類学者が考えたこと』(亜紀書房、2018年)として出版する本のもとになるWEB連載の中で、実子と養子が入り乱れながら行なわれるプナンの子育てについてのエッセイを書く参考にしようと思って、『子どもの文化人類学』を初めて読みました。2016年のことです。

 かみ砕いて書かれていて読みやすいのに驚くとともに、すごく深く、とても大切なことが書かれていると感じたことを覚えています。中身は、実証的というよりも、直観的なものが多いように感じました。自分もこういう民族誌エッセイを書いてみたいものだとも思いました。

 特に印象づけられたのは、フィールドにおいて人々から見聞きしたり、子どもたちの何気ない所作の中に感じ取ったりしたことを、問いとして、巧みに取り出してくる著者の感性と手さばきです。平易で読みやすく書かれていることは、こと、子どもという、人間にとって途方もなく大切な課題を、文化人類学やその周辺領域の専門家の検討事項に閉じておくだけではなく、広く一般の人たちの議論の場に開いていこうとする意志のなせる業であると感じられたのでした。

 本書は、原ひろ子による、子どもをめぐる文化人類学のエッセイ集です。月刊誌『のびのび』(朝日新聞社刊、1978年休刊)に掲載されたエッセイに、『幼児の教育』(日本幼稚園協会)に書かれた文章が加えられて、一九七九年にまとめられたものの文庫版です。

 原は1934年に生まれ、1957年に東京大学教養学部を卒業し、1959年から64年までアメリカ留学を経て、帰国後はお茶の水大学などに勤めました。『極北のインディアン』(玉川大学出版部、1979年。のちに中公文庫、1989年)『ヘヤー・インディアンとその世界』(平凡社、1979年)など多くの著作を出版し、2019年に85歳の生涯を閉じています。

 アメリカ留学中の1961年から63年にかけて、11か月間にわたって原は、本書でも随所で取り上げられている、カナダ北西部のマッケンジー河と北極圏が交差する地域で、ヘヤー・インディアンの実地調査を行ないました。ヘヤー・インディアンは、極寒の気候条件の下で、ヘヤー(野ウサギ)などの乏しい食料源を求めてキャンプ生活をしていた狩猟採集民です。

 本書では、ヘヤー・インディアンのほかに、原自身が1967年から1969年にかけて実地調査を行ったインドネシアのジャカルタ・アスリ(ジャカルタ生まれの人たち)やオラン・ジャワ(ジャワ人)、大学院生時代にベビー・シッターをする中で知りえたアメリカ東部の子どもたちや親子関係などが取り上げられています。また当時子育て中であった原のご子息と日本の子育て話なども出てきます。加えて、夫であり文化人類学者であった原忠彦氏の調査地のバングラデシュの農村、文献から引用したイスラエルのキブツ、ニューギニアやアフリカの諸社会の子どもや親子関係の事例などが比較検討されています。

 以下では、本書における論点を、6つに絞って考えてみようと思います。

 ひとつめは、子育ての根源に立ち返って考えてみることについてです。

 本書は、4歳4か月のヘヤー・インディアンの女の子がたった一人で小さい斧を振り上げて、短い丸太を割ろうとしているエピソードから始まります。それを見て、原は思わず、危ないッ、と叫びそうになりました。

 子どもが刃物をいじり始めると、ヘヤーのおとなは黙って見ていることが多かったと言います。ヘヤー・インディアンは、子どもにまず何が危険なのかを教えるのではなく、子どもが自らナイフを使えるようになるプロセスを重視しているようです。

 極寒の厳しい環境では、人はいつ凍死したり、餓死したりするか分かりません。その意味で、ちょっとした傷などは大したことではないし、本人が注意深くやれば大事には至らないとおとなたちは考えているようなのです。ヘタをするとどんなに痛いか、まず子どもに試させてみるのが、ヘヤーのやり方なのだと原は述べています。子どもは独自に、自らやり方を考えて、成長するものなのです。

 原は、インドネシアのジャカルタ・アスリの子どもたちにも目を向けます。そこでは人は一人で生きているのだと言います。ジャカルタ・アスリにとって、家族は運命共同体ではありません。家族が助け合うという考え方がないと言います。子どもはお使いを頼まれると、駄賃を浮かせるために値切ったりして、おつりをポケットに入れ日銭を稼ぎます。また、バングラデシュの農村では、男の子たちは小さい時からありのままのおとなの世界を見せつけられるのです。その真っただ中で、生活力を自分で身につけるようになるので、子どもたちはがめつく生きているのだと言います。

 このように原は、世界各地で、子どもたちが、自由で独自に成長していくものだとされている幾つかの事例を紹介しています。では、こうしたことを話題とすることで、いったい何を言わんとしているのでしょうか?

 日本の子どもたちに、ヘヤー・インディアンのように刃物を持たせて、使いこなせるまで放っておいたほうがいいと言いたいのでしょうか? いえ、そうではありません。原の考えはこうです。

ヘヤー・インディアンの子どもたちが、刃物を使いこなすありさまを眺めながら、次第に私は、「人間の子どもというのは、おそろしく幅広い能力と可能性をもっているものだ」という感慨を抱くようになりました。

 原は、ヘヤー・インディアンの子どもたちを間近で見て、誰もが無限の能力と可能性を持ってこの世に生まれてくるというありのままの事実に気づくようになったのです。

 ヘヤーの子どもたちは、刃物を使って「切ったり」「割ったり」することで、たしかに何かを「創る」ことを覚えていきます。日本人の子どもたちがあまりやらないことを、ヘヤーの子どもたちはやるのです。

 ところが、ヘヤー・インディアンは、泳ぎに関しては皆目知りません。これは、日本の子どもと比べてみると、不思議に思えるかもしれません。泳ぐという項目が文化の項目の中にないため、ヘヤー・インディアンは泳がぬ、泳げぬおとなになっていくのです。

 つまり、持って生まれた子どもの能力や可能性を、おとなたちは、特定の方向に伸ばしてやることもあれば、抑えてしまうこともあるのです。ヘヤーでは、刃物を使えるようになることを伸ばし、泳ぎの可能性を抑えるのです。子育てで私たちがやっているのは、そういうことなのだと原は言うのです。

 実際子育てをする時には、私たちは、子どもたちが利発で、思いやりのある、情緒豊かなおとなになるためにはどうすればいいのかということだけに関心を注ぐでしょう。それが悪いと言うのではありません。

 しかしここでは世界各地の子どもの姿を追いながら、人間にとって、そもそも子育てというのがいったい何であるのかに思いをめぐらせてみるところから考えてみてはどうかと、文化人類学者原ひろ子は提案しているのです。

 2つめは、いつも一緒にいる親から子どもが学ぶことについてです。

 原は、ヘヤー・インディアンと近代以降の日本の親子関係を比較しています。ヘヤーの子どもたちは、日々接しているおとなたちの仕事の中に「価値あるもの」を見出し、それを自分もやりたい、そのためにはこれもあれもできなくてはいけないということを成長する過程で自覚するようになります。他方、日本ではサラリーマン化によって、おとなの仕事の場が子どもたちの生活の場から切り離されてしまいました。その結果、おとなたちが何かに打ち込む姿から学ぶ機会がなくなってしまったのです。原はそのことによって、子どもたちが自力で人生を探索する能力が衰えてしまったのではないかと考えています。

 ヘヤー・インディアンの7歳ぐらいの男の子は、将来自分がよい猟師になることを自覚するようになり、そのための腕を磨き始めます。女の子も上手にムース(ヘラジカ)の皮をなめすおとなになりたいと願って、修練を積み始めます。私たちの社会を、みなが単一の生業によって暮らしを立てているがために、子どもたちが間近でおとなの仕事に接するヘヤー・インディアンのような社会に変えてしまうことはできませんが、原は、おとなが何かに打ち込む姿を子どもに見せること自体に教育効果があるならば、私たちはヘヤー社会のやり方から積極的に学ぶべきだと言います。

 ここで原は、私たちにとって、なじみの薄い社会の人たちのやり方を見て学ぶことの大切さを説いているのです。

 3つめは、自らの体のことを学ぶ大切さについてです。

 ヘヤー・インディアンは、極寒の季節に、体が冷え切ってすぐには暖が取れない時には、暫くそのことを我慢したり、薪が手に入れば、火を焚いて温めたりします。その過程で、自分の体と心のあり方がいろいろ分かってくるのだと原は言います。

 ヘヤーの人たちは、いつもなら夜を徹して話に興じ、冗談を言い合って賑やかに過ごす人たちですが、食料が不足している時には、口数も少なくなりがちで、狩りに出かけた男の帰りを静かに待つようです。子どもたちも例外ではありません。子どももまた飢えを凌がなければならないのです。飢えの時期には、内臓の機能をあれこれと考えながら、人は自分の体に生ずる変化を読み取るのだと言います。

 本書でははっきりと述べていませんが、専ら自然資源を利用しながら生きている狩猟採集民は、自然と連動して自らの体が生きてあること、また体に心も深くつながっていることを知っています。ヘヤーの人たちの振る舞いを見て、こうしたことは、人間として忘れてはならない大切なことだというのが、原の言いたいことなのです。

 自らの体のことをよく知るヘヤー・インディアンは、「ああ自分は死ぬな」と思うと、本当にまもなく死ぬと言います。それは、著者によれば、死をありのままに受け入れることに抵抗しているように見えるアメリカ人とは違う生き方であり、死に方なのです。

 ヘヤーの人たちは、それぞれに自分の守護霊を持っています。彼らは、一生涯その守護霊と付き合い、守護霊に相談しながら生きていくのです。彼らにとっての守護霊とは、人間を超えた自然(超人間)のことにほかなりません。

 極北の厳しい自然環境の中で、ヘヤー・インディアンは、生と死に関しては、人間を超えた大きな何かに従って生きているのです。彼らの生き方は、自然に耳を傾けるのではなく、人間の生み出した技術によって死をコントロールしようとする近代人の生き方とは異なっていると言えるでしょう。

 4つめは、親子関係と子育ての楽しみについてです。

 私たちは、「自分で生んだ子どもは、自分で育てるのが当然だ」と考えていますが、ヘヤー・インディアンはそうは考えていないと言います。彼らは、子どもが多くて食料難になるだろうと予想される場合には、生まれてくる赤ん坊を、生後すぐに養子に出すことがあります。生後まもなくだけではなく、15歳ぐらいまでのいろいろな年齢の子どもが養子に出されます。

 老夫婦が他人の子どもをもらって、二度目の育児生活に入ることも稀ではありません。小さな子どもなら、薪をテントの中に運んだり、水を汲んだりして、何かと役に立ちます。また、養親の老後に子どもは、狩りや薪の切り出しもできるのです。

 また養子だからといって、負い目に感じることはありません。養子もまた、自分の生みの親が誰であるのかを知りながら暮らしているのです。

 養子を取ったり養子に出したりして、実子も養子も含めてなされる子育ては、一種の〈アロペアレンティング〉です。アロペアレンティングとは、子育てを表す〈ペアレンティング〉に、もうひとつの、代わりのという意味の〈アロ〉という接頭辞を付けたもので、実の親ではない人たちによる養育のことです。生物学的な親以外のおとなたちが、子どもたちの世話をすることです。

 みなで育てるアロペアレンティングを含めた子育てを、ヘヤー・インディアンの人たちはいったいどのように考えているのでしょうか? ヘヤーの人たちは、「はたらく」こと、「あそぶ」こと、「やすむ」ことを区別していると言います。そのうちの「あそぶ」ことのカテゴリーに、子育てを入れています。

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