移動する人びと、刻まれた記憶

第1話 私もナグネだから②
中国朝鮮族の映画監督チャン・リュル(後半)

韓国から、世界へ。世界から、韓国へ。人が激しく移動する現代において、韓国の人びとはどのように生きてきたのか? 韓国史・世界史と交差する、さまざまな人びとの歴史を書く伊東順子さんの連載。第1話、映画監督チャン・リュルの話の後半をお届けします。

移住者たちの「風景」
 「実は最初に撮りたかった映画が『豆満江』だったのです」
 韓国メディアのインタビューで監督がそう答えているのを読んだ。それは長編デビュー作である『唐詩』(2004年)を撮る前から思っていたことだったという。
 チャン・リュル監督が映画を撮り始めたのは39歳、きっかけは些細なことだった。ある日、酒の席で映画をやっている友人と口論になり、「それなら俺もやってやる」と啖呵(たんか)を切った。1日でシナリオを書いたという短編『11歳』はベネチア国際映画祭などで上映され、それが韓国のイ・チャンドン監督の目に留まって長編デビューにつながった。
 長編第2作目の『キムチを売る女』(2005年)はカンヌ国際映画祭で上映されて韓国でも話題になり、その後、モンゴルの砂漠地帯を舞台にした『風と砂の女』(2007年)、『重慶』(2008年)と『イリ』(2008年)の連作と、毎年のように新作を発表した。2010年の『豆満江』は長編第6作目にあたる。
 故郷の村を舞台にした物語を撮り終えた彼は、「これで、もう映画はもうやめよう」と思ったという。『豆満江』は彼にとって、それほど重い映画だった。

 ちょうどその頃、チャン監督は韓国の延世大学から映画科の教授として招聘された。
 「ずっと韓国には関心がありました。祖父の国ですから。」
 北京からソウルに居を移し、大学で教えていたら、学生たちに聞かれるようになったという。
 「ところで先生、次の映画はいつ撮るのですか?」
 学生たちに急かされて再び映画を撮り始めた彼が、最初に手掛けたのはドキュメンタリー映画『風景』(2013年)だった。韓国に出稼ぎに来た9カ国、14人の外国人労働者が彼らの見た「夢」について語る。
 「昨夜の夢にお母さんが出てきました」と言う東ティモール人。「故郷の家族や親戚と一緒にいる幸せな夢を見ました」と言うカンボジア人。「妻と済州島に行った夢を見た」と言うバングラデシュ人は韓国に来て何年にもなるが、まだ一度も済州島に行ったことがない。
 韓国で暮らし始めたチャン監督の目に映ったのは、移住者たちの「風景」だった。その中には彼と同じ故郷の出身者である「朝鮮族」の人々もいた。
 今、韓国で暮らす外国人は200万人を超えている。その大多数は映画に登場するような「移住労働者」といわれる人々である。韓国が産業の下支えとして外国からの労働者の移入に踏み切って久しいが、その先鞭をつけたのは同胞である朝鮮族の人々だった。これは日本における日系ブラジル人の立場と共通点が多い。当初は「同胞」としてもてなされた朝鮮族の人々だったが、現実社会では「外国枠」として扱われることになった。

映画『春の夢』――韓国で暮らす中国朝鮮族
 映画『春の夢』(2016年)は再開発が進むソウルの街・水色(スセク)で、朝鮮族の女性イェリが営む「故郷酒場」に集う人々の物語だ。行き場のないろくでなしの男たちの中には、チンピラもいれば、脱北者もいる。
 チャン・リュル監督は延世大学で教鞭をとっていた頃、その街と線路を隔てた高層マンション群で暮らしていた。
 「でも、いつも線路の向こうには行っていました。そこにいたほうが落ち着くんです」
  その後に街の再開発が進み、2023年現在、映画の中の下町風景はすべて失われた。当初『三人行』というタイトルで企画された映画は、『春の夢』に改題された。私も同じ頃、その隣町で暮らしていたから、インタビューでは懐かしい路地や市場の話などで盛り上がった。
 でも彼は、風景を惜しむわけではないと言う。
 「街が変化するのは当然のことです。人々が便利な暮らしを手に入れることは、誰にも止められない。ただ記録しなければいけないと思うのです。個人にとっても社会にとっても、現実の喪失よりも記憶の喪失のほうがはるかに深刻ですから」
 彼の映画は記憶をとどめる。『春の夢』も『豆満江』も、そういう映画だった。
 「あの映画(『豆満江』)には朝鮮族の村しか出てきません。北朝鮮に行ってロケはできませんが、映画ですから(北朝鮮の村の)セットを作って撮影することはできるでしょう。でも、私はそれをしようとは思わなかった」
 彼の映画はいつも「目の前のその場所、その風景の中」で撮影される。

 韓国に移り住んだチャン・リュル監督は、名門大学の教授という名誉ある地位と、中国朝鮮族の移民者というマイノリティの立場を同時に経験することになった。日本と同じく、韓国も外国から移住してきた人々への差別意識は根強く、それは同胞である「朝鮮族」や「脱北者」の人々に対して、より露骨である場合も多い。友人からこんな話を聞いたこともある。
  「一般タクシーがつかまらなかったから模範タクシーに乗ったら、運転手に『韓国語がお上手ですね。朝鮮族のアジュンマ(おばさん)が模範に乗られるとは驚きだ』と言われて、腹が立ったのでその場で降りちゃった」
  「模範タクシー」とは一般よりも少しだけ高級な黒塗りタクシーのことである。これを話してくれた朝鮮族の友人も大学教授なのだが、キャンパス外での差別は日常的だと言っていた。
 「でも旅行で日本に行って、嫌な思いをしたことはないよ」
 彼女は真面目な顔で言っていたが、日本で暮らして日本語を理解するようになれば、別の感想を持つだろう。もちろん韓国人は彼女にとって「同胞だから、さらに腹立たしい」というのも、あるかもしれない。
 『春の夢』に続く映画『群山:鵞鳥を咏う』(2018年)には、そんな韓国人の「同胞に対する差別意識」を痛烈に皮肉ったシーンがある。

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