冷やかな頭と熱した舌

第12回 
さわや書店が本当に売っているもの―「さわベス2017」を通じて

柚木裕子作品の魅力

 しかし取材中、自作について語る時にはその様相は一変する。もちろん当然のことなのだが、作品について本当に真摯に想いを語る。なかでも印象的だったのは岩手日報社のS記者が「受け継ぐ」というキーワードを用いた時のことだ。日本推理作家協会賞を受賞し、直木賞の候補作にもなった『孤狼の血』(KADOKAWA)では、ヤクザとの癒着を噂される主人公の悪徳刑事・大上が自分の後継として、若い刑事・日岡へとあるノートを受け継がせるという記述がある。かたや『慈雨』においても同様に、古参から若手刑事へと受け継がせる志が重要なテーマとして描かれている。2作品を横断し、作家の深層に切り込む鋭い質問だった。引き合いに出された柚月さんはというと、しばし逡巡した後こう答えたのだった。

 受け継ぐということを考えた時、教える側、受け継がせる側があれもこれもと受け継いでもらいたいことを示したとしても、それは受け継ぐという行為の本質ではない」
 「教えられる側、受け手側の人間が受け継ぐことを享受してその身の内に残ったもの、伝えていくものを決めるのではないか」
 「そうして残ったものだけが受け継がれてゆく価値があるものだと思うし、受け継ぐべきもの、受け継ぐという行為そのものではないでしょうか」


 この言葉を傍らで聴かせていただいた時、作家の物事に対する考え方と深い洞察を垣間見たような気がした。
 『慈雨』に照らし合わせて考えると、雨が降っているという状態に定義づけするのは人だ。その人がどのような心理状態にあるかによって、雨に対する捉え方はまったく異なるものとなる。霖雨、驟雨、五月雨、そして慈雨。神場に降りそそぐ慈しみの雨は、長い時間苦しみを抱えた彼の「心の移ろい」を一語に集約した素晴らしいタイトルなのだった。柚月さんの言葉を聴いて、僕は外の雨へと思いを馳せた。

マスコミ30社へお披露目

 その後、時間が来て僕は記者会見へと臨んだ。マスコミのお目当ては「文庫X開き」のほうであろう。しかし、そんなこと構うもんかと「さわベスの発表にもお付き合いください」と言いおいてから、ランキングを読み上げる。彼らマスコミにとっては時雨でも、僕にとっては慈雨なのだ。柚月さんの言葉が僕に勇気を与える。

テレビカメラ6台と多数の記者で混雑する会場で会見する松本大介氏

  固い空気のなか、柚月さんと残念ながら来られなかった「さわベス2017」文庫編1位『逆襲、にっぽんの明るい奥様』(小学館)の著者・夏石鈴子さんの代理出席者へ、正賞である「さわや書店」のロゴが入ったエプロンを渡した。固い空気を変えたのは夏石さんの手紙だった。つい先日亡くした元旦那さんへ、問いかけるようにして感謝の言葉が綴られている。喜びと悲しみが入り混じった手紙に会場の誰もが胸を衝かれたようだった。
 続いて、柚月さんの受賞の言葉の後、記者質問へと移ったが質問がなかなか出ない。そんななか、めんこいテレビの記者の方がいくつか質問をしてくれたのが、とても有り難かった。しわぶき一つ聞こえない空間で、この後の長江くんのほうは質問攻めなのだろうなと思っていたのだが、そちらもあまり質問が出なかったという。

記者会見後の清水潔氏とさわや書店長江氏とのトークショーも大盛況

  記者会見を終えて安堵していると、新潮社のM村さんが近づいて来たので「あんまり質問でなかったですよね」と水を向けると、前もって設けられた各社のインタビューにおいて聴きたいことは聴いてしまったのではという見解だった。なるほど。僕が勝手に「さわベスの記者会見は添え物である」と思い込んでいただけだったのだ。外に出ると雨は上がっていて、まるで小説のようだなと少し思った。

 以上が、私からみた「さわベス2017」のすべてである。さわや書店主催の「文庫X開き」のトークショーについては、近日ウェブ「ほんのひきだし」で公開されるはずなので、そちらをご覧いただきたい。僕が勝手に引いた成功の線引きの、はるか上をゆく出来だったと思う。無料のイベントとしては、ものすごく楽しめるものだったのではないかと自負している。

『慈雨』を推した理由

 最後に自負、じゃなくて『慈雨』について。
 もちろん事件の謎解きの部分においても読者を飽きさせることはないが、この作品の本質は重厚な人間ドラマにある。主人公の神場については先に書いたとおりだが、妻である香代子が実に魅力的に書かれていて夫婦の物語としても読めるし、娘の幸知との関係に着目するならばあたたかい家族ドラマともなる。そして何より、この「文庫X開き」の日にさわべスの発表をぶつけた意味。柚月さんご本人に確認を取ったので間違いないが、『慈雨』の元となった事件は「文庫X」こと『殺人犯はそこにいる』(新潮文庫)で取り上げられた足利事件を題材に書かれた小説なのである。つまり、神場の胸のうちに後悔をもたらすに至った事件は、実際に起こった足利事件に着想を得て書かれているのだ。
 ジャンルは違えどもそれぞれの作品は、その始まりを同じくするのである。いわゆる異体同心というやつだ。勘がよい方であれば『慈雨』という物語がその後、どのような展開に至るか予想がつくかもしれない。しかし『慈雨』はきっと、その予想の上を行く作品であることを確約する。足利事件自体はいまだ真犯人が逮捕されていないが、『慈雨』の結末では……おっと、それは読んでのお楽しみ。

 発表当日12月9日のトークショーから「さわや書店限定帯」で販売を始めた『慈雨』は、12月21日現在までで95冊売れている。この数字を多いと思うか少ないと思うか、その定義づけをするのはあなたである。

        さわや書店フェザン店で大展開中の柚木裕子さんの作品
「さわベス2017」発表後、店内にも大々的に張り出されている