遠い地平、低い視点

【第26回】世界で七十二番目

PR誌「ちくま」8月号より橋本治さんの連載を掲載します。

 もう忘れられているかもしれませんが、日本の報道の自由度は世界で七十二番目だそうですね。前はもっとずっと上だったのに、安倍内閣が特定秘密保護法や安全保障関連法案を提出するようになった頃から急落したという。でも私は、政権側の締め付けで報道の自由が制限されるようになったとは、あまり思わない。今の日本人は「報道の自由が制限されるような圧力をあいつがかけている」という種類の、個人の悪の噂はわりと好きで受け入れているから、「そういうことをやりたがってるレベルの低い人間がどこかで増えてはいるんだろうな」ということは分かる――それが分かる程度の報道の自由はあると思う。「日本の報道の自由度は世界で七十二番目」というのは、外国人ジャーナリストの決めたものだから、日本人の感覚とは微妙に違うものであるかもしれない。
 安倍内閣やその周辺が報道の自由を制限したがっているというのは分からないでもないけれど、果してそれが成功しているのかどうかは分からない。なにしろ安倍内閣の支持率はそんなに下がっていない。去年の夏の安保関連法案が国会で審議されていた頃には支持率が少し下がったけれども、もしかしたらその下がった理由は、「国会の周りでデモをしている人達が一杯いるから、少しはNOと言っといた方がいいんじゃないんだろうか」とある程度の数の国民が考えたからなんじゃないんだろうか?
 安保関連法案が国会を通過してしばらくしたら、安倍内閣の支持率は、また元のように戻ってしまった。それは、「喉元過ぎれば熱さを忘れる」のようではあるけれど、そうではなくて、国民のある程度の人達が「みんなあんまり反対してないから、こっちもわざわざ反対しなくていいんじゃないか?」と思ってしまった結果のような気がする。
 あまり言われないことだけれども、「自分の考えを言え」と言われた時に、かなりの数の日本人は「自分の考え」をまとめる以前に、「みんなどういう風に言うんだろう? どう言っとけば間違いがないんだろう?」という正解探しをして、「自分はちゃんと空気が読めている人間だ」という自己表明をしているように思う。
 日本の新聞がはっきりした物言いをしなくて、「ここら辺が公正中立の着地ポイントだろう」という判断で記事を書いていて、それが外の国での「言論の自由」とはズレているにしろ、国民に「この内閣の提出するこの法案にはこういう問題点がある」ということをきちんと説明し始めたら、読者の多くは面倒臭がるんじゃないのかと思う。今のメディアの最大の問題というか困難は、「受け手に関心を持たれないようなことをやって、逃げられたらどうしよう? 経営の危機だしな」というところにあるように思う。
 時々新聞を見て「なんでこんなどうでもいいようなページがあるんだろう?」とは思うけれども、読者に「少しは考えて下さい」と訴えるような紙面が続くと、読者はいやがるのかな、とは思う。寄附を募るような善意のニュースになら反応しても、「じゃ、自分はどうすればいいのか?」を考えさせるようなものだと、「どう考えればいいのか」ではなくて、「どうすればいいのか」という具体的行動が発見出来なくて、「めんどくさいから知らない」になってしまうのではないだろうか? 新聞に限らず、ニュースというものが「今日はこういうことがありました」で収まってしまう、予定調和的な「情報提供」になりつつあるような気はする。
 伊勢志摩サミットが閉幕する時、日本の総理大臣は「今や世界の経済状態はリーマンショック直前の状況に似ている――これは各国首脳に了解された」と言って、その後に用意される「消費増税延期表明」の伏線にしてしまった。それがイギリスのEU離脱を予言していたことだとは思わないけれど、外国の新聞が「リーマンショック前に似てるって、ホントかよ」という明白な意見表明をしてしまったのに対して、予定調和の日本の新聞は「安倍首相はこう言った」で止まっていた。テレビの報道だと意地悪く皮肉るけど、真面目な新聞にそれは出来ないし、多くのところでテレビに影響されているにもかかわらず、多くの日本人はテレビをあまり「真面目なメディア」だと思っていなくて、皮肉というものを「まともな意見」として処理出来ない。
 それで「日本は世界で七十二番目だな」とは思うのだけれど、新聞の見出しに大きなクエスチョンマークを付けるのって、タブーなんだろうか? 「リーマンショック直前に酷似?」とやっただけで、かなりの主張は出来る。「酷似」が本当かどうかよく分からないことは事実なんだから、その「事実」を伝えるに関して歪曲はないことだし。もう少し流動的になったらどうなんだろう?
 

この連載をまとめた『思いつきで世界は進む ――「遠い地平、低い視点」で考えた50のこと』(ちくま新書)を2019年2月7日に刊行致します。

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