その日たまたまつけていたテレビに映った、白髪の、シビれるほどカッコイイおばあさまに、私の心は射貫かれた。
あれはまさしく、恋だった。熱に浮かされるかのように、生まれて初めて、近所の大型書店に電話を入れた。
「あの! 辰巳芳子先生の本、置いてありますか!」
興奮気味に、私は恋する人の名前を叫んだのだった。
辰巳芳子先生は、料理研究家であり、随筆家。もうすぐ、白寿を迎えられるはずであるが、多くのお弟子さんを抱え、二十数年スープ教室を主宰されている。
私が辰巳芳子先生を知ったきっかけは、テレビのドキュメンタリー番組だったと思う。なにせ十年以上前の、本当に偶然のことだったので、そのあたりの記憶は曖昧だ。
その映像では、辰巳芳子先生ご自身が、スープ教室の教壇に立っており、お弟子さんたちをこんこんと諭していた。
なぜ煮干しの出汁くらい、作ってこないの、と先生は仰られていたような気がする。前回の授業で教えた煮干しの出汁を、この授業の間までに自宅で作ってきた生徒さんがいなかったようで、先生はそのことを憂えてらっしゃった、はずである。
これは私の曖昧模糊とした記憶をもとにして書いているので、違うかもしれない。
大事なことは、私がなにやらこの、己の美学をもって生きているおばあさまのことを、心底からカッコイイ! と感じ入り、煮干しの出汁とやら、飲んでみたい! と思ったことであり、それにはその出汁の作り方をまず知らねばなるまい! と意気込んだことであり、だったらその出汁の作り方が載っている本がほしい! と書店に電凸(電話で突撃)したことである。
はたして私は、『いのちをいつくしむ新家庭料理』(辰巳芳子著・マガジンハウス)を手に入れたわけである。
料理と私の関係性は、正直に言うと、やや気まずい状態が続いている。
子どもの頃の私は偏食家だった。というか、食事をすることに、一種の恐怖を覚えている子どもだった。
これはおそらく私の特性だったのだと思うが、食品が口に入ってくると、自分の中に異物が入れられている、という違和感があり、それが恐ろしかったのだ。
この恐怖心は成長とともに少しずつ薄れていったものの、いまだに食べたことのないものを前にすると緊張するのは変わらない。
かといって、私が食事嫌いかというとそんなことはなく、食べることは好きなのである。
もっとも、好きになったのは高校生くらいからだ。それまでは食べることが嫌いだった。
変化の理由は単に成長期で食欲が旺盛になったからだとも言えるけれど、家で料理をするようになったのもきっかけだったと思う。
高校生の頃、私は思い立って、「今週は私が夕飯を作る」と宣言し、母から食費をもらったことがあった。
家にあるレシピ本を見て、材料を買いにいき、定番の家庭料理をいくつか作った。
家庭科の授業で調理の経験はあったし、カレーくらいなら作れたので、平日の五日間、夕飯を作るくらい楽勝だろう、と思っていたのだが、やってみるとそう簡単なことではなかった。
まず、みそ汁の作り方でつまづくのである。
家にあるレシピには、「①だし汁に豆腐を入れ……」などと書いてある。料理初心者には、この「だし汁」が分からない。
我が家は出汁を毎日ひくような家庭ではなかったから、湯に「だしのもと」を入れればよかったわけだが、そんな知識すらなかった十五歳の私は、プチパニックになった。
だし汁ってなに?
どうすればいいの?
分からなくても、母は勤めに出ていて訊ける相手がいない。私が作る、作れると大見得を切った手前、やっぱりできませんでしたと言うわけにもいかない。
本棚にあったレシピ本をすべてひっくり返して、やっと正体不明の「だし汁」なるものにたどり着く。
昆布を水に一時間ほどひたし(今から? 無理無理!)、火にかけ(そもそも昆布がない!)、よきところで昆布をひきあげ(よきところっていつ?)、鰹節を入れて漉して(漉すってどうやるの?)だし汁とする。
十五歳の私、大混乱である。
かろうじて鰹節は家にあった。小分けにされたパックで、お豆腐の上にかけたりして使っている、少量タイプのものだ。よく分からんが、昆布はないし、水に一時間もつける余裕もないし、よし、鰹節だけ使ってなんとかしよう。
当時の私はそう考え、沸騰した湯に鰹節を入れ(小分けパックだから圧倒的に量が足りていなかったが、そんなことはつゆ知らない)、漉すってどうやるか分からんけど、たぶん布でやるんだよね? と、手近なタオルをボウルの上に置いて、湯をこぼした。
えっ、このタオルってどうしたらいいの? 絞るべき?
分からなくて、絞りましたが。
熱湯をこぼしたばかりだから、当然火傷しそうになった。できあがった「だし汁」は味もしないし、なんか汚く見えるし、大丈夫なのかまったく分からなかったけれど、仕方ないからそれを使ってみそ汁を作ったのだが、美味しいものができあがるわけもなく、その日の夜、私は母に「だし汁」ってどうしたらいいの、と質問した。
母は呆れながら言った。
「だしのもとを入れりゃええじゃろ」
あっなーんだ、そういうことだったのか。
というわけで、十五歳の私は、昆布と鰹節に別れを告げたのである。
こんなふうに失敗を重ねながら、たまに料理をするようになって、私は食事が好きになったと思う。
料理がどのように作られていて、どんな材料が使われているか、を理解することで、恐怖心が和らいだのではないか、と個人的には分析している。
進学のために上京してからは、名もなき煮物や炒め物を作って食べており、一応自炊していたせいか、友人の間で私は料理ができるほう、と思われていた。
その頃は私自身も、自分は料理ができるほう、だと思っていたし、友だちが遊びに来たら嬉々として手料理を振る舞っていた。
今からすると、信じられないことである。
おいおい、その名もなき料理を他人様に出すんかい、とツッコミたいが、若気の至りなので仕方がない。
現在の私は、できるだけ他人に自作の料理を食べてほしくない心地だ。
なぜならそれなりに年を重ねて、自分は料理上手ではない、ごく普通、中の中である、と自覚しているから。
料理の上手な人というのは、私のように野菜の大きさをバラバラに切ったりしないし、盛り付けの時に毎回皿の外に具材をこぼしたりもしないし、菜箸はぴんとたてて扱えるし、包丁もひいて切れるのだ、と、偏見の中で思っている。
これらが全部間違いだとしても、私は料理上手ではけっしてない。
私と料理の関係について、「気まずい」と書いた。
実際、気まずいのである。
私には子どもがいるので、料理はほぼ毎日、しなければならない。
親として優等生ではないが、さすがに我が子を飢えさせるわけにはいかん、という最低限の節度は持っている。
だが料理が上手でもないうえに、仕事と時間に追われているうちに美味しいものを作ろうという気概や気力を失い、結果、焼くだけで出せるもの、茹でるだけでいいもの、材料全部炊飯器にぶち込んでボタンを押すだけのもの、などなど、楽なもの、疲れずに作れるものを模索し続けている私だ。
台所に立つ時には、一抹の後ろめたさが常につきまとう。
食事を楽しく作れない。
この一点において、料理のもっとも素晴らしい側面を無視しているような気持ちにさせられるからかもしれない。
そんな私だが、辰巳芳子先生の『いのちをいつくしむ新家庭料理』を手にしたばかりの頃は、料理と手を繋ぎ、仲良くしていたと言える。
料理上手ではなかったが、料理好きだったと思う。
この本、一見レシピ本なのだが、ただのレシピ本ではない。辰巳芳子先生の美学、美意識、哲学が、あちこちに詰まっているのだ。
たとえば、短い「まえがき」の中に、まるまる暗記したいような文章がいくつもある。
その一端を紹介させてほしい。
「書きたくない日、言葉に置きかえにくい調理過程に難渋し、簡略化の誘いにかられても根源的に大切なことは、自分を励まし書いてまいりました。
基本的なことは、「何気ない、平凡なこと」の中にあります。」(4頁)
仕事で悩んでいる時に読むと、泣けてくる数行である。
一応職業作家の私にも、「書きたくない日」はあるし、「言葉に置きかえにくい」描写に「難渋し、簡略化の誘いにかられ」ることもある。上手く書けないと落ち込むし、自分の力不足を嘆いたり、才能のなさを憂えたりもする。
しかしこの辰巳先生の文章に、一筋の光を見る。
「自分を励まして書く」
「何気ない、平凡なことを大切にする」
それができれば、自ずと道は拓けるはずである――と、思わされる。
おーいおいおい、先生、私、頑張ります。
胸の中で勝手に先生に誓いを立ててしまう。
料理のレシピ本のまえがきから、自分の人生における仕事との向き合い方を教えられちゃうのである。
さらに辰巳先生のまえがきに着目したい。
先生は、台所仕事は「自分の人生と他の人生を全く受容しなければ、終生重荷となる作業です。」(5頁)と書いている。
うん……。この滋味深く、真摯なる眼差しよ。
この文章は、何回読んでも感動するのだが、一方で本当には、分かっていないのではないか、と思うことがある。
もっとかみ砕いて言うと、「分かってはいるが、実践はできていない」と感じさせられる文章だ。
なぜなら私は、台所に立ちながら、日々、「終生重荷となる」ことを痛感している。
けれども、「自分の人生と他の人生を全く受容」など、到底できていないし、どうすればそれができるのかも、皆目見当ついていない。
重荷の原因は、食事にまつわる様々な葛藤だろうか。
たとえば、私が食べてほしいものと、子どもの食べたいものは違う。家族みんなが喜ぶ料理というものを、ほとんど提供できたためしがない。毎日、笑顔で食卓につかせてあげたいが、そのために努力できる余裕のない日々が続いている。
テレビに映る、外国の屋台文化を羨ましく思う。
もう、お母さんが食事を作るっていうの、ぜーんぶやめちゃおうよ。
なんて、考えたりする。
夕方六時、キッチンに立つ時間はまあまあ悩ましい。
自分の人生の都合と、家族という他者の都合のつじつま合わせができず、そこをなんとか合わせようと四苦八苦している時間帯である。
今日はそんなことで患わされたくない! と思えば、家族の事情より、自分の機嫌を優先して、てんやものやスーパーの惣菜に逃げる。私個人は、それも大事な方策だと思っている。しかしそれも、毎日というわけにはいかない。なにせ資金に限界があるからだ。
辰巳先生はこの、苦渋に対抗する術をこう書いている。
「生命の仕組みに「食」はおかしがたく組み込まれていることを、気を鎮めて考えましょう。」(5頁)
「情報過多は、家庭料理の気後れを招いているかもしれません。」(中略)「何よりの肝要はいそいそとした「さ、めしあがれ」の笑顔。」(中略)「「さ、めしあがれ」「いただきます」。私達は世界に類のない深意にみちた表現で食事を潔めてはいただいています。心より感動いたしましょう。」(5頁)
はたして私はここ最近、いそいそとした「さ、めしあがれ」の笑顔で――他人に対してだけではなく、自分に対しても――料理を出していただろうか?
感動して、食事をしていただろうか?
食は人生の中で欠かせないものである以上――いつまでも気まずい関係でいたくはない。仲良くしたい。そのほうが豊かに生きられるであろう……。
どうすれば、この葛藤を和らげることができるのか。
などと、まえがきを読んだだけで、自分の生き方を思い返し、反省したり、展望を抱いたりしてしまうのである。
まあなかなかに、反省がしんどい時もあるが、いい大人になると誰も叱ってくれないので、こうやって本を読んで自分のことを振り返るというのは結構大事な時間だと思う。
とはいえ現代人は忙しいもの。
手の込んだ料理というのは難しい。
それでも、苦痛に満ちた気持ちで台所に立たなくてすむよう、食とは、料理とは、と考えるきっかけがあるのは、ありがたい。
そもそもこの世の中にありとあらゆるレシピ本が存在し、様々な料理哲学が存在しているのだって、やはり「食」が人生にとって一大事で、難事だからではないか、とも思うのである。
話が飛んでしまったが、かつて私が料理と仲良くしていた時期、私は日常的に出汁をひいていた。
先生がテレビ番組で言っていた煮干しの出汁が飲んでみたくて買った本なので、手に入れて最初にひいた出汁は当然煮干しの出汁だった。
これはもちろんこれで美味しかったのだが、本に載っているいくつかを試してみて、私が最も気に入ったのは「一番だし」だった。
昆布と鰹を使ってひく、基本中の基本の出汁だ。
そう、十五歳の私が突如出会い、理解も出来ぬままにお別れした、あの「だし汁」である。
辰巳先生の手ほどきによって、初めてまともに「一番だし」をひいた私の脳裏には、タオルの上にぶちまけられた無残な鰹節の姿がよぎった。
あの時のひどい「だし汁」もどきとは違い、手順を踏んで丁寧にひいた出汁は、澄んでいて、金色をしていた。
口に含むと、深い旨みがあり、胸がすうと開き、幸福に脳が震えるのを感じた。
当時の私には時間があったので、週に一度「一番だし」および「二番だし」をひき、余った鰹節と昆布を炒ってふりかけにしていた。
ひいた出汁で三杯酢を作り、青菜をつけて、常備菜としていた。出汁をひいた日は、一番だしをたっぷり使ったおすましを飲む。とにかく贅沢な食事、時間、という気がして、気持ちも豊かになったものだ。
出汁をひくようになってから、料理は五感を使うことが肝要だと気づいた。昆布をひきあげるタイミング、鰹節を入れてから火から鍋をおろすタイミングは、音、匂い、見た目、味など、あらゆる感性を使わなければ分からなかった。
その時間は無心の時間である。
他の一切を考えず、ただ目の前の鍋に全集中しているのだ。
これが、辰巳先生の言う、「気を鎮めて」台所に立った状態だったかもしれない。
しかし、間もなく生まれた赤ん坊によって、この無心の時間は失われた。
十秒目を離せばなにかが起こり、それに対応しなければならない子育ての最中に、無心になって鍋を見つめるような器用さは、私にはなかったのである。仕方なし。
その頃、出汁をひいていた豊かな時間がどんどん遠ざかることに悲しみを覚えながらも、「やってられっか」という気持ちにもなって、ここまで生きてきた。
子どもが少し、手離れしそうな今になって、さてそろそろ、台所との和解を試みてもよいのでは、と思いはじめた次第である。
ふと考えてみれば、母の手料理も、「いそいそとした」笑顔で「さ、めしあがれ」で出されたものは、どれも私が二十歳を超えてからのものだと気づく。
その頃の母の料理は、なにを食べても美味しくて、いまだにまた食べたいなあと思い出すようなものもある。もし母が存命だったなら、帰省のたびに「何食べたい?」と訊かれただろうし、私も「あれ、また作って」とねだっていただろう。
そこから紐解いて思い返すに、そういえば私が小さかった頃は、食卓に料理がのらない日も往々にしてあった。
中学生、高校生の頃には、その頻度がさらにあがっていた記憶がある。
のちのち、母も若い頃、食事を作る気力がなかった話をしていた。仕事が飲食関係だったので、家でまで作りたくなかったそうだ。
「なんにも作れんかった。料理なんか一つも、できんかった」
と、話していた。私の中では母はずっと料理上手のイメージがあったので、実は若い頃の母が、台所仕事と折り合いをつけられずにいたのだと知った時は、驚いたものである。
ところで、我が家は昔気質の家庭ではないので、夫も進んで料理をしてくれる。
そのため、私が調理を担当しているのは平日の夕飯のみで、それ以外の食事は、その時できる人間が作っている。
世の中の食事当番の方々と比べれば、たぶん、私の義務は非常に軽いほうだろう。
たったそれだけの軽い義務でも、おかしがたく組み込まれた食に悩まされるわけだ。これは私の問題かもしれないし、世の中の多くの人が抱えていることかもしれない。知らないから断じられない。
だが、台所と折り合いをつけるのは、本来、人生の大仕事なのかもしれないと、最近は思うようになった。そんなに簡単に、すぐには、解決しないことなのではないかと。
いそいそと料理を出せる日もあれば、粗末なものですが……と罪悪感にまみれて皿を並べる日もあるし、買ってきた惣菜をせめてもと、誤魔化すように盛り付ける日もある。
そういう繰り返しの中で、不意に仲良くなれる時がくるのではないか。
そう思うのは、亡くなる一年前の母が、毎日忙しく働きながらも、「料理を作るのはちっとも苦痛じゃない」と言って、私のために食事を支度してくれていたことを覚えているのも、影響している。
あの時の母は、台所を人生に受け入れて、重荷を下ろしていたのかもなと思う。
出汁をひかなくなって数年経つ私だが、実はこの間一度だけ、「一番だし」をひいた日がある。
我が子の、離乳食が始まってすぐのことだったと思う。
離乳食で食べさせるものチェックリスト、のようなものの中に、だし汁、という項目があったのだ。
その頃には美味しい出汁がひける手軽なパックがたくさん出ていたので、それを飲ませてもよかった。
けれど私は、ひととき私が料理と仲の良かった日々、ひくたびに感動しながら飲んでいた金色の出汁を子どもに飲ませたかった。
休日の夫に頼んで子どもを託し、久しぶりに辰巳先生の本を取り出した。
台所仕事をしながら読んでいたため、水に濡れて乾いた跡がそこかしこに残っている。
すみません、先生、ずいぶんサボっています、と思いながら、この世で最も美味しい「一番だし」をひくために、大鍋に水を入れ、昆布をひたし……花鰹を散らし、漉した。
幼い我が子はごくごくと出汁を飲んだ。
以降、好き嫌いが激しい子も、出汁の美味しい食べ物は割合好んで食べる。
子どもの食事に一喜一憂している私たち夫婦は、ひそやかに、我が子がなにをどうしたら食べてくれるのか、会議を開くことがままあるのだが、そんな時夫はたびたび、私がひいた出汁の話をする。
「あの出汁を最初に飲ませてくれたから、あの子は本当に美味しい味を知っている」
と、言うのだ。
0歳の時の記憶やぞ、そんなわけあるかい、と思わないでもないのだが、素直に毎回照れている。
要するに、料理が上手ではない私でも、あの出汁は美味しいと胸をはって言えるものなのである。
辰巳先生のご著作には、レシピ本だけではなく、日々の食事について様々な思いを込めた随筆もたくさんあり、そのどれもが、粛然とした美しい文章と先生の深い哲学に彩られている。
辰巳先生の本を読むと自然と背筋が伸び、自分の人生について考える。
食を通して過去を振り返ったり、未来の生き方に思いを馳せたりする。
書を読んで、他者と自分を引き比べ、物思いに耽るのは、人間の愛すべき一面だと私は思う。
さて、子どもももうすぐそれなりに手が離れよう。
家族も仕事もまだ忙しいが、台所と折り合いをつけ、料理上手にはなれなくても、少なくとも仲良くはなるくらいに、私も私の人生と、他者の人生を全く受容し、重荷を軽くする……そんな大仕事に、取り組んでもいい頃合いかもしれないと、時々考えている。
いやあ、まだ、日々精一杯ですよ。冷凍の餃子を焼くんでカンベンしてください、という気持ちも八割ほどあるのだが、まずは「さ、めしあがれ」の笑顔が出る日が週に一回、いや月に一回でもいいから、あるといいなと、低い野望を抱いている。
手始めに、「一番だし」をひいてみようか。
少なくともこの出汁に関してだけは、私も笑顔を惜しまずに食卓に並べられる。
すぐに嫌気が差して、またしてもてんやものに逃げるかもしれないが、それもまたよし。
行きつ戻りつしながら、気が向いたら辰巳先生の本を取り出して、また、出汁をひくところから始めればいいのだ――。
この一冊があれば、いつでも初心に立ち返り、十五歳の頃に料理を作ってみようと思い立った、純粋な衝動のようなものと紐付けて、出汁をひき、人生を問うことができる。
おそらく私は死ぬまで、辰巳先生の『いのちをいつくしむ新家庭料理』を小脇に抱え、いつかは台所と折り合いをつけてやるのだと、意気込んでいる気がする。