昨日、なに読んだ?

File 120. 「大津波警報」が出る前に、読んでいた本

紙の単行本、文庫本、デジタルのスマホやタブレット、電子ブックリーダー……かたちは変われど、ひとはいつだって本を読む。気になるあのひとはどんな本を読んでいる? 各界で活躍されている方たちが読みたてホヤホヤをそっと教えてくれるリレー書評。今回のゲストは、能登半島珠洲にある古本LOGOSの店主・川端ゆかりさんです。

 2022年から2023年にかけて、能登半島珠洲市では大きな地震が続いた。2022年6月には震度6弱、2023年5月5日には震度6強の揺れを観測した。
 その頃から(もしかしたらもっと前から)、わたしには手放せない本がある。ライナスの毛布のようにそれがないと眠れない。なくしたと思って二度買いしたこともある。
 『神の子どもたちはみな踊る』(村上春樹/新潮文庫)、寝る前に読むナイトキャップ、要するに寝酒の代用。短編集なので寝落ちするのにちょうどよい、何度も読んでいるのであらすじを読むというよりは文章内に仕込まれたある言葉(トリガーのようなもの)を探してその個所を何度も何度もなぞる。
 寝る前に読むのは手のひらサイズの文庫がいい。この本には阪神・淡路大震災での被災体験が主人公とその周囲に何らかの影響を及ぼし、致命的とはいえないまでも心の奥底で静かに傷つき、少しずつ世界が変わる、もしくは再生につながるかもしれない希望のようなものが語られている。

 石川県(北陸)は地震が少ないと思われているかもしれないが、決してそうではない。2002年に奥能登に移り住んでから、2007年にも比較的大きな地震があった。津波警報は出なくて、午後から予定されていた子どものピアノ教室の発表会は1時間遅れで予定通り開催された。
 しかし、その頃からわたしの立っている場所は常に揺さぶられ始めた。自己のアイデンティティーの根幹が揺らぎ、いろんな仕事を転々とし、ついには能登半島で古本屋を始めてしまうことになった。
 古書組合に所属して古本屋をやっているから、交換会で意外な本に出会うこともある。昔の個人文学全集(新刊価格ではとても手が出なかったもの)、新刊に近い文庫や新書、大好きな哲学書、古典籍の和書。買ったからといって売れるとは限らないのに、ま、老後の楽しみに、とか、1冊100円でも元取れるさ、などとタカをくくって無謀な仕入れをしてきた。
 それでも時々、焼きたてのパンが食べたくなるように、新刊書が読みたくなる。書評でみたあの本、新訳の哲学書、PR誌の新刊案内で見た本などを探しに月に一度は大きな新刊書店に行くようにしてきた。雑誌を読み、マンガの棚をさらい、それからおもむろに海外文学の棚やフェアコーナーの本を見る。岩波文庫と筑摩・河出系文庫の棚も外せない。そんな折に出会ったのが、新潮クレスト・ブックスの一冊、ソナーリ・デラニヤガラの『波(WAVE)』であった。

 2004年のクリスマスの翌日、スリランカのスマトラ島沖で発生したマグニチュード9.1(!)の巨大地震による大津波は、東南アジア全域からアフリカ東岸にまで及び、無防備なビーチを襲い、ホテルに流れ込み、多くの人と建物と車をさらった。
  『波』の著者はその日、スリランカ南東部の海岸沿いにあるホテルでクリスマス休暇を過ごしていた。はじめは何とも思わなかった、海がいつもよりホテルに近いような気がしただけだった。そして友人と家族の話をしていたのに、彼女が次に発した言葉は「たいへん、海が入ってくる」だった。数分後、著者であるソナーリ・デラニヤガラは海の中にいて、結果的に大津波で二人の子どもと夫、両親を一度に失った。
 自分だけが生き残った罪悪感に悩まされた。なぜあのとき、両親に声をかけなかったのか、息子の手を放してしまったのか、己の行動を責め、生きることに絶望しかけ、後悔に苛まれる。これは、手記だ。文学に限りなく近い孤独な魂の嘆きが聞こえてくるような本だ。
 わたしもそのときのラジオニュースは覚えている。クリスマス気分の抜けきらないある朝、余ったホールケーキを片付けながら、「え、スリランカで大津波?」と思ったことは覚えている。スリランカ、インドの先にある涙の粒のような形をした島。
 スリランカには行ったことはないが、インドには行ったことがある。インドは良かった、ガンジス河で泳いだ、そして目下の希望は死んだらベナレスで荼毘に付されること。そのためには死を予感したらインドに行かなければ。でもそのときのニュースはどこか遠い世界の出来事として聞き、義援金を送ったかどうかの記憶さえない。
 その後日本でも2011年3月の東日本大震災で、東北地方太平洋沿岸を大きな津波が襲い、わたしたちはあの津波が車を流していくシーン、川をさかのぼっていくシーン、田んぼに波がなだれ込むシーンを何度も見せられるのだ。
 誰もその日、そのときに地震や津波が起きることを予知できるものなどいない。たとえAIがどれほど進化しようとも、地球の気持ちなどわからないだろう。
 そもそも地球は人間のことなどこれっぽっちも考慮していない、奈良の大仏の上に蟻が一匹歩いている、その程度の認識、いや認識すらしていないだろう。ある意味そういう無慈悲な世界に私たちは生かされている。