昨日、なに読んだ?

File 121. 佐渡島の本屋で最初に売れた本

紙の単行本、文庫本、デジタルのスマホやタブレット、電子ブックリーダー……かたちは変われど、ひとはいつだって本を読む。気になるあのひとはどんな本を読んでいる? 各界で活躍されている方たちが読みたてホヤホヤをそっと教えてくれるリレー書評。今回のゲストは、佐渡島で本屋ニカラを営む米山幸乃さんです。

 うっすらと雪が積もった坂道を登って、薪を取りに行く。
 大山さんの家の裏手にある小屋に積まれた薪を何本か土のう袋に詰めて、慎重に、足を
滑らせないように来た道を下り、店を開ける。

 店の暖房を薪ストーブにしたことに特段こだわりはなかった(ちょうど煙突が通るくら
いの穴があいていた)から、火を焚くと、ひょいと顔を出してくれる人たちが次々とあら
われたことがおかしかった。
 火が焚かれ、煙が上がるうれしさの所以として、仁徳天皇が詠んだという和歌を教わ
る。
 「高き屋にのぼりて見れば煙立つ民のかまどは賑わいにけり」
 民家から炊事の煙が上がらないことに気づいた仁徳天皇が、普段の食事もままならない
民衆の苦しい生活を救うために税を免除した。その結果、また炊事の煙が立ち始めたこと
を喜んで詠った歌だそうだ。見習ってくれ、今の政治家。
 この歌を教えてくれた大山さんの家からは、煙が立ち上る様がよく見えるという。本屋
の隣(徒歩30秒)で夫が営むドーナツ屋の、ドーナツを揚げる甘い匂いも漂ってくるらしい。
 「しばらく煙が上がらないと心配になる」と大山さんに言われて以来、薪ストーブを焚くことは、暖を取るためだけではなく、煙を上げて、ここに居ることを静かに知らせるための行為にもなった。
 薪は、店を始めて二年目の冬から、大山さんがニカラのために作ってくれている。

 今年97歳になる大山さんと、妻のゆきえさんとは、店を始めてから知り合った。
 佐渡唯一のスキー場の創設メンバーである大山さんは、戦争が終わり、もらった報奨金
1000円でスキー板を買ったそうだ。
 「新潟のダイワデパートに3丁しか置いていなかったが、800円で買った。生きるか死ぬ
かの戦争から帰ってきて1000円だ。家を建てられるほどではなかったが、大きいお金だ
よ。88歳でスキーは引退しようと思ったが、その年の誕生日にスキーウェアをもらったもんだから、結局92歳まで滑った。猪谷六合雄さんは99歳までスキー履いたんだ、人間はすごいな。それぞれやれることに個性があるんだからな」(猪谷六合雄さんは95歳で亡くなっているので、99歳まで滑ったというのは三浦敬三さんのことかもしれない)
 ゆきえさんはスキーをするわけではないが、付き合わされていたらしく「とうさんが板
を持って、おれはとうさんのスキー用の靴を持って一緒に雪山をのぼるんだ。帰りは歩き
だ、おれが降りている間に、とうさんはもう滑り終わっとる」という。
 同じ集落から戦争に行った人たちの写真を集めてお寺に奉納した話、佐渡じゅうの三
角点を巡った話、自作のスキー板で小学校に通った話、家にやってくる蛇、蛍、イソヒヨ
ドリの話、先に死んでいった人たちのこと、いろんな話を聞いた。
 先輩から引き継いで書き加え続けているという手製の年表をよく見せてもらうのだが、大きな歴史からは見えてこない風景が、大山さんやゆきえさんから語られる何気ない話を聞いたときに初めて立体的になる。
 歴史の生き証人のような人も、素朴な日常の断片をいくつも持っている。

 店の向かいにAコープがあるので、用事のついでに本屋に顔を出して、ちょっとしゃべって帰っていく人がいる。
 わたしが愛媛県の愛南町という大変アクセスの悪い地域出身だと聞きつけた人が、「次
に実家に帰るとき、紫電改展示館に行って紫のマフラーの写真を撮ってきてくれんか」と
突然言いにきたこともあった。
 「愛南町の人に会えるなんてな、自分が行きたいが、病気もしたし身体の調子が悪くてもうどこにも行けん。紫のマフラーに何が書いてあるか知りたいんだが、テレビで映ったのを観ても文字までは読めん。昔、四万十には行ったんだ、あのとき愛南町にも寄っていればな、でも愛南町は無理だよ、電車で行けないんだから」

 佐渡の山間部の集落で本屋を始めて、人の語りに触れる機会がとても多くなった。
 雑談の中で、不意にその人の人生に触れた、と感じるような瞬間が訪れると、うれしく
てたまらなくなる。
 そういうとき、岸政彦さんの『断片的なものの社会学』(朝日出版社)を思い出す。