妄想古典教室

第九回 女の統べる霊的世界

おまじないは世界共通の関心事
 1884年に開館のオックスフォードのピット・リヴァース博物館は、軍人で考古学者であったピット・リヴァース氏が世界各地で集めたコレクションを寄贈したことにはじまるという。不思議なものばかりを集めたように見える収蔵品は、古代遺跡を掘り起こして発掘したものというよりは、収集当時、実際に使われていたものが多く、その意味では考古学博物館というよりは、むしろ民俗博物館の趣である。楽器のコレクションに、竹にとおした紐をはじいて音をだすムックリがあるのをはじめ、極東のアイヌ民族のものが充実しているのは、万葉集の翻訳者として知られる日本学の泰斗、チェンバレンの寄贈による。その後も収集は続いているらしく、お守りやおふだ、伊勢神宮で使われている火起こしの道具など現在に生きている信仰の道具も収められている。
 なかでも興味がそそられるのは、世界各地の呪術にかかわる品々である。そもそもこの博物館に吸い寄せられるようにして入ってしまったのも、ここに魔女が入っているボトルがあると聞きつけたからであった。1915年頃のサセックス、ホーブ近くの村のもので、その村に住んでいた老婆が「この中には魔女が入っている。開けるとたいへんな災厄がふりかかる」と言ったのだという[fig.1]。博物館員が熱心に解説するに、このボトルは一度も封印を解かれていないそうで、中に本当に魔女が入っているかどうかは確かめていないが、一般にこうしたものは魔女と信じられている人の爪や髪の毛を中に込めて呪的なまじないとしているのだという。他にも魔除けのもの、呪いをかけるためのものなどがさまざまごっちゃに展示されてあって、見れば見るほど薄気味悪く、民間信仰のまがまがしさを存分に味わえるコーナーとなっている。

[fig.1] オックスフォード、ピット・リヴァース博物館蔵 魔女の入ったボトル

 

 キリスト教文化圏のはずのイングランドで魔女の霊力が信じられていたということは、仏と神の入り交じる寺社文化圏の日本において、霊的世界と交信する憑依巫女への信心があったことと似ているように思われる。キリスト教文化圏において魔女が異教徒として弾圧されたように、巫女もまた民を惑わす邪宗として忌避されたこともあったが、それでもなお生き延びたのは、それだけ効き目が高く、信心する者が途切れることなく現れつづけたからなのだろう。
 平安宮廷社会において、朝廷で公認されていた宗教者は、仏教者と神職そして陰陽師だったが、貴族たちは、それ以外にも民間に行われている巫女たちに接触していたのである。たとえば、『蜻蛉日記』の作者の夫であった、藤原兼家は賀茂神社近辺で評判だった巫女を自邸に囲い込み、この巫女の占い通りに出世を遂げたという話が、『大鏡』や『今昔物語』に語られている。賀茂の若宮が憑いているということだから、この巫女のいうことは神のご託宣なのである。この人は「打ち臥しの巫女」と呼ばれて宮中ではちょっとした有名人であったらしい。その娘が左京と呼ばれる女房として、一条天皇の女御義子に仕えていたことが『枕草子』にでている。
 遊女の唄った今様を集めた『梁塵秘抄』(1180)には「男怖ぢせぬ人、賀茂女(かもひめ)、伊予女、上総女」と唄われてもおり、巫女というのは男と関係を持つことで日銭を稼ぐ遊女とほとんど同義の芸能民であることを考えると、市中で活躍していた一介の巫女が宮廷に上がり、女御つきの女房の格にまでのぼりつめたということは、まさに驚くべきことで、そうした階層を一気に突破させるような強力な信心が少なくとも兼家にはあったということがわかる。

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