彫像の経年変化と物語――執金剛神像の場合
神や仏の存在というのは、どうにもあいまいである。だからそれを説明し、確かなものとするためにさまざまな物語が作られ、語られてきた。嵐や雷を神のさとしと考えたりするのも物語の力である。物語によって、そこに神の存在を想像し、理解していたのである。仏像や神像がいくら造られても、それが何を意味しているかを教える物語がなければ信仰には結びつかない。
であるから、極端なことをいえば宗教には物語さえあればよいのであって、仏像などの形あるものは必須のものではない。それでも日本の神仏への信仰では、彫像をつくって、それをまつり、祈りを捧げるということを積極的にしてきた。その上、像そのものに霊験が宿っていると考えてきたわけである。第六回でみたように、清凉寺の釈迦如来像が生きている釈迦なのだといわれれば、それを見に行きたいし、拝みたい。そんなふうにしてマテリアルとしての仏像や神像そのものに価値を見いだしてきた。ユダヤ教やイスラームなど、世の中にはこうした偶像崇拝を禁じている宗教もあるが、たしかに仏像が信仰の対象となってしまうのは倒錯的である。仏像は仏典世界の単なる表象にすぎず、ほんとうは仏典世界の物語を信仰しているはずだからだ。実際に、偶像崇拝を許すと像自体が蠢き出して勝手に物語を産出する器官になってしまうということがある。
奈良、東大寺法華堂、通称三月堂の執金剛神像は、堂内に本尊として祀られる不空羂索観音立像の背面で本尊を守護している像である[fig.1]。背面にあるだけでなく、厨子の中に入れられているから、特別開扉のときにしか姿を見ることができない秘仏である。塑像といって粘土で作られた像に鮮やかな彩色がほどこされている。像高173センチ強の人間サイズで、三月堂内に不空羂索観音像と並んで立つ金剛力士像[fig.2]や四天王像が3メートルを超える大きな像なのにくらべると、かなり小ぶりに感じられる。秘仏だったせいか、色彩は鮮やかにのこるが、塑像のもろさゆえか、髻を結っている元結の右側、風になびく天衣の首の裏側の部分が欠損している状態である。これらの欠損は、かなり昔に起こったものらしく、この像がこのような姿であることを説明する物語がすでに平安時代には存在しているのである。
平安時代につくられた歴史書の抄本『扶桑略記』(1094)は、天慶3年(940)一月二十四日条に次の逸話を載せている。平将門の乱の動乱の最中で、将門を調伏するための呪法がさまざまな寺社で行われていた頃である。
東大寺羂索院の執金剛神像観音像の前に、七大寺の僧が集まって、将門調伏の由を祈祷した。すると、数万の大きな蜂が堂内いっぱいに満ちて、迅風がにわかに起こって執金剛神の髻の糸を吹きとばした。数万の蜂は髻の糸につきしたがって、東に向けて雲を穿って飛び去った。時の人は皆、将門誅害の瑞祥であると言った。
羂索院とは、不空羂索観音像を本尊とする法華堂である。ここの執金剛神像の前に、南都七大寺、すなわち興福寺、東大寺、西大寺、薬師寺、元興寺、大安寺、法隆寺の僧が集まって将門調伏の祈祷をしたというのである。平安時代には執金剛神像の髻を結ぶ糸というかリボン状のところの右側部分はすでに欠損していたのだろう。それが数万の蜂となって将門を討ちとったのだというのである。執金剛神というのは、金剛力士すなわち仁王と同じで、金剛杵を持って門前に立ち仏法を守護する役割なのだから、国家守護の像として祈りの対象になるのはいいとして、当の執金剛神像自体が、髻の元結いの片方を失ってまで霊験をしめしたというのである。
『扶桑略記』は別伝として次のような物語も伝えている。
東大寺羂索院の後ろに、等身の執金剛神の像がある。頭の後ろ右方の天衣が切れて落ちている。古老がいうには、天慶のころ、平将門が国家をあやうくすることを謀った。戦況は悪く、公家たちでその難をまぬがれるために、このことを寺に祈祷するように求めた。執金剛神像は、二十余日のあいだどこかへ隠れてしまっていた。寺ではこれを不思議なことだと思って天皇に奏上した。戦の勝ち目がないということではと、人々は怖れた。すると幾日もしないうちに、執金剛神像が戻ってきて本壇に立っていた。その頭の上の飾りをみると右方が欠け落ちていた。またその身は汗を流してごとくにしめっていた。
蜂になって東国に飛んでいったなんていうのは、まだまだ甘い。体を張って国を守るというのはこういうことだと言わんばかりの別伝である。執金剛神像自らが東国へ出向き、戦い、勝利し、汗だくになって戻ってきたのである。右の元結いの欠損及び天衣の欠損は、戦で受けた傷なのである。
こうした物語は、明らかに執金剛神像の天衣や元結いが欠損したあとになって創られたものである。彫像の経年変化が物語を次々に生み出し、縁起を更新していく。そんなふうに彫像と物語の関係は倒錯していったのである。それ以後、この元結いと天衣はぜひとも欠けていなければならないものとなり、それらを修復によって補うことはもはやできない選択となってしまった。