妄想古典教室

第一回 おっぱいはエロいのか?

 
出してダメなのは股間だけ

 世の中には出してよいものと出してはいけないものとがあって、明確な基準があるようでないようなものの、たとえば下半身を露出して歩いているとたちまちに逮捕されることになる。それは美術、芸術においても同様のようで、日本中の街中に立つ男性裸体彫像を追った木下直之『股間若衆――男の裸は芸術か』(新潮社、2012年)によれば、総じて彫像の股間部分は「曖昧模っ糊り」としているのみで、はっきりとそれとわかるような表現はとらないという暗黙の了解があるという。

 それにひきかえ、ミケランジェロのダビデ像[fig.0]など、世界中の老若男女の視線を集めて日がな一日股間を見上げられてもなお恥じるところなく、実に堂々としたものである。とはいえ、ミケランジェロの裸体礼賛も賛否両論だったようで、ジャン=クロード・ボローニュ『羞恥の歴史――人はなぜ性器を隠すか』(筑摩書房、1994年)によれば、1541年に完成をみたシスティーナ礼拝堂のフレスコ画「最後の審判」は、完成直後から、聖人たちの股間がいやらしすぎると話題になり、1564年には「破廉恥」「卑猥」「不埒」と思われる箇所に、腰布を書き足すことが決まった。その後も徐々に腰布の数は増えていったようだが、1990年から1994年までの修復で、最初の腰布をのぞいて、すべて消し去られた。ということは、私たちは、いまだミケランジェロが描いた本当の「最後の審判」を見てはいないのである。

[fig.0]フィレンツェ、アカデミア美術館蔵、ミケランジェロ・ダビデ蔵)

 

 この腰布による「わいせつ」回避の方法は、奇妙な偶然を以てのちに日本社会で復活を遂げることになる。1901年(明治34年)の第六回白馬会展という展覧会に出品された黒田清輝の「裸体夫人像」は、警察の手入れが入り、下半身を布で覆い隠して展示された。この「腰巻事件」に象徴されるように、美術作品であっても、「わいせつ物公然陳列罪」で検挙されてしまうのである。

 2014年に愛知県立美術館で開催された「これからの写真」展において、鷹野隆大の作品が県警から撤去の指導を受けた。男性二人が肩を並べているヌード写真の股間部分が問題となったわけだが、鷹野は「腰巻事件」にならって、その下腹部に白い布をかけて展示をつづけた。古色蒼然とした明治時代と同様のことが芸術に対していまだくり返されていることにも驚くが、さしあたってここで問題にしたいのは、黒田清輝の裸婦のほうである。このご婦人、全裸で横座りしているのだが、このとき布で覆われたのは、下腹部だけだったのである。つまり、おっぱいは堂々と露出しているままでも、なんら問題はなかったわけである。とどのつまり、男女ともに「わいせつ」だとして問題となるのは、股間なのであって、わいせつというのを「いやらしい」とか「性的である」だとか、あるいはもうすこし上等に「エロティック」だとかだとするなら、おっぱいは、少しもエロティックではないということになるわけである。

 マリリン・ヤーロム『乳房論』(ちくま学芸文庫、2005年)によると、14世紀に授乳する聖母像が登場するが、それは聖なるものとして描かれていたのであって、エロティックな乳房像が出てくるのは16世紀になってからだという。これに対して、日本社会では、だいぶ長い間、おっぱいを人前でさらすことにタブー意識が低かった。現在のように授乳ケープなどが発売される前には、電車のなかで乳房を出して赤ん坊にお乳をあげる母親は珍しくはなかったし、現在でもそれはとくに問題にはされない。世のポルノまがいのグラビア写真などでは、これでもかという勢いで女性の水着姿あるいは上半身の裸姿などを載せて、エロティックな肢体を表現しようとしているし、それを楽しむ観者も、おっぱいはエロティックなものだと思い定め、その「いやらしい」気持ちを慰撫されているらしいのだが、こと授乳の乳房については、別物ということになっているらしい。

 であるからして、堂々と立派な乳房を象ることに、少しの躊躇もいらないはずなのだが、はるばるインドからわたってきた仏教美術など、ご当地ではまるまると表現された乳房が、日本に来る頃には、ことごとくぺったんこになってしまって、乳房を表現しようという意欲さえみせないのも奇妙なことである。

 わかりやすい例として、インドでは授乳する姿での作例のあるハーリティーの乳房がある。ハーリティーは500人もの子を産んだ多産の母だが、人の子どもをとって喰らう悪鬼でもあった。あるとき釈迦が彼女の一番下の子どもを隠すと、ハーリティーは気も狂わんばかりとなった。子を思う母の気持ちを理解したハーリティーは子授けと子育ての守護となった。

 ガンダーラ出土の「パーンチカとハーリティー坐像」(2~3世紀)[fig.1]の、左手に赤ん坊をかかえて、夫パーンチカの隣に腰かけているハーリティーの乳房は、参拝者に触られてか、黒々とつやめいている。よく見ると、衣をまとっているのだが、赤ん坊の口元の先には乳首がみえている。あるいは、上向きの牙を生やし、鬼神然とした一面四臂のハーリティー単身像(5世紀)[fig.2]においても、衣ごしに乳首のすけた乳房が象られている。

[fig.1] パーンチカとハーリティー坐像・部分(図録『パキスタン・ガンダーラ彫刻展』、2002年)

 

[fig.2]ハーリティー立像(図録『アレクサンドロス大王と東西文明の交流展』、2003年)

 

 これが日本にやってくると、訶梨帝母あるいは鬼子母神ということになるのだが、総じて胸はぺったんこになってしまうのである。奈良・東大寺の訶梨帝母坐像(12世紀)[fig.3]は、大きく衣の胸元をひらいて、左手で赤ん坊を抱いているのだが、その胸は文字通り真っ平らなのである。そこに胸のふくらみどころか、乳とよべる部位がこの世に存在していないかのような無頓着ぶりなのである。乳房に関わりたくなければ、こんなにも深く襟元を開いて見せる必要はないのに、その上であえてのぺったんこぶりは、乳房に恨みでもあるのかと勘繰りたくなるほどである。

[fig.3]東大寺蔵、訶梨帝母坐像(図録『アレクサンドロス大王と東西文明の交流展』、2003年)