さあ、出かけよう!「写真」を語る言葉を探す旅へ!!
これから、「現代写真」についてre-think、再考の旅を始めたいと思う。
できるだけエキサイティングな旅にしたいと思っているのだが、旅の前から、この旅がとても奇妙で、そしてワクワクするもので、かつ困難なものになることは容易に予想できる。
なぜなら何が「現代写真」で、なぜ「再考」が必要なのかすらも「再考」しなければならないだろうし、でもそんなことをしているうちに、「現代」も「写真」も、ウィルスなみにまたたく間に高速で「何か別のもの」に変容していくからだ。
そんな名前が定まらないものを、価値づけることほどリスキーなことはない。今や「現代写真」を扱うことは、間違いなく、コンテンポラリーアートというエッジーな分野でも、ひときわ流動性が高い領域なのである。
そのような急流の中に飛び込む旅だと、予告しておこう。
今や、オンライン世界で顕著なように、テクノロジーのアップデートは容赦なしだ。コンテンポラリーアートの価値基準だって、あっという間にリモデルされてしまう。事後的に、ルール更新に異議を唱える批評的言説も失効してしまった、とまでは言い過ぎかもしれないが、オンラインショッピングでクレームできないことの憤懣と同じぐらい、有無を言わせぬ無力さが待ち構えているかもしれない。
もはや不条理なまでの「炎上」と、「いいね!」のポピュリズム。
スーザン・ソンタグが書いた写真エッセイ『写真論』は、今でも写真と真実と倫理について教えてくれているし、ロラン・バルトの『明るい部屋』はフォトイメージについての、ラカン精神分析学的な背景からした「強度」についての重要な知見は与えてくれたが、もはやすぐに使える地図やガイドではないことを、みんなは口には出さないが気がついてしまっている。
ヴァルター・ベンヤミンの『写真小史』やジョン・バージャーの写真についての文書を僕はとても愛している。読んでもらいたいが、読んだからといって、すぐに旅に役立つわけではない。ハードカバーの「写真論」を、身銭を切って読む人は、少数派になっている。予想以上に急速に、そんな事態にシフトしているのだ。
でも僕は、事態を悲観してただ嘆いているわけではない。はっきり世界と人間、もっと言うと写真やアートの関係だって激変していて、旅の仕方が変わってしまっている。世界が常に高速な流動性に置かれているならば、写真についての語り方そのものも開発・発明され続けなくてはならないだろう。
「現代写真」の出現をどう捉えるべきだろうか?
「コンテンポラリーアートとしての写真」というコトバは、この15年ほどの間に定着した。それ以前、こんなコトバを使う人なんていなかった。
なぜ、そんなシフトか進んだのか?
このコトバは、写真キュレーターであるシャーロット・コットンの著作のタイトル(日本版のタイトルは『現代写真論──コンテンポラリーアートとしての写真のゆくえ』)でもあるのだが、決して彼女が発明したコトバではない。しかしこの本は、2004年にイギリスの出版社Thames & Hudsonから出版され、瞬く間にグローバルな影響力を発揮した。
彼女は、ヴィクトリア&アルバート博物館(V&A)写真部門キュレーターを皮切りに、ロサンゼルス郡立美術館(LACMA)の写真部門統括など重要なポジションを渡り歩いてきたが、この本において、「現代写真」の歴史の連続と切断や変容を、10章あまりに整理してみせることで、「コンテンポラリーアートとしての写真」というコトバのデフォルト化に成功した。大きな手柄である。
コットンのこの本の出現と共感の背景には、写真の「拡張」「変容」が90年代末から2000年代に入って、顕在化、可視化すべきタイミングに来たことを表している。
ちょっと写真の話から逸れるが、先日、音楽家でアーティストのブライアン・イーノの1995年の1年をまとめた日記本『A YEAR』を再読していたら偶然、次のような記述を発見した。
なぜここでイーノを? と思うかもしれないが、1995年は、インターネット元年と呼ばれるほどの重要なシフトの年だからだ(つけ加えておくならば、この年にイーノは最も重要な現代アートの賞であるターナー賞のスピーカーに選ばれている。象徴的なことに受賞者はダミアン・ハーストだった)。
イーノは、ジェネラティブ・ミュージックという自己生成音楽プログラムの開発という、早すぎる夢に夢中だった。
そして文字通り夢を見る。
「11月21日 初のフォトショップ夢。フォトショップで過去を消しているつもりが、消しゴムツールじゃなくて「複製ツール」を使っていた―─だから過去を消すかわりに、過去のかたまりを未来にコピーしているだけだったのだ。(その逆を考えよ。複製ツールを使っていると思ったら―─つまり記憶を呼び戻していると思ったら―─実際には消しゴムを使っていたような)」
このイーノの夢は、90年代後半から2000年にかけての予感やオブセッションをよく表しているのではないだろうか?
このあとすぐにネット上には、膨大なイメージが高速で溢れ、さらにSNSのフェイスブック(2004年)やインスタグラム(2010年)の出現で、さらに個人が撮影した日々のフォトイメージ、動画が累乗的に増え続ける事態に突入していく。おそらく当代きってのヴィジョナリーであるイーノの予見すらも超えた高速のシフトだったろう。
「コンテンポラリーアートとしての写真」というコトバの出現と定着は、このような同時代性の中で起きていたことを忘れてはならないと思う。
だから「現代写真」を論ずることは、95年以前の呑気な写真村やアート村のコンテクストで論ずることとは、全く別の事態である。
時代の変化の顕著な事例が、「現代写真」として露出した、と考えなくてはならないということだ。
デジタル・テクノロジーの大変革がアートにもたらした衝撃
常に事態を切り拓く動因は、「外」や「矛盾」「コンフリクト」の中にある(グレゴリー・ベイトソン流に「分裂生成」と言ってもよい)。そのパースペクティブをもって「写真」について考えること。
だから、もちろんSNSを生んだネット社会の到来や、経済のグローバリゼーションによるアートワールドの変容や、デジタライゼーションとイメージの加工生成、モバイルテクノロジーなどの、ヴィジュアルカルチャーやイメージ、写真への影響などを分析し、言及すべきだということはわかっている。
わかってはいるが、しかしここでは、その作業は先送りして、「ポストヒューマン」や「ポストインターネット」という来るべき事態の、予知的で顕著な症候群として、「コンテンポラリーアートとしての写真」が出現しているのだという指摘を、このイントロダクションでは、先回りしておきたいのである。
もちろん、シャーロット・コットンもそのことを痛感している。だからこそ、『現代写真論』を5年後にはアップデートし、新章を加筆。さらに野心的に2015年には次の著作、『写真は魔術』に踏み切った。
この本は、世界的に受け入れられた『現代写真論』とは、全く異なる構成、いや、意図、戦略のもとにつくられていた。
コットンは巻頭のエッセイで
「この本で紹介されている写真の大半は、2010年以降に制作されたものです。その全体像を見れば、現代のイメージ文化における、テクノロジーとアート写真の関係の、現在進行形の状況を知るヒントになるでしょう」と書く。
短めだが的確なエッセイで彼女は、1990年代に始まった、写真をめぐるデジタル・テクノロジーによる大変革を挙げながらも、新しい写真家(それを彼女はmagician、つまり手品師、魔術師になぞらえているのだが)たちが、エフェクトの革新にとどまらず、いかに人間のヴィジュアルカルチャーの拡張の可能性を広げているかを、書いている。
「デジタル・キャプチャー」「フォトショップ」「ピグメントプリント(出力)」などのデジタル・ツールが現れたときに、写真家と呼ばれた人は、どのようにこれを受容したかを周到に整理しているのである。
どうしてこれが「写真」なの?──議論百出の「現代写真」
エッセイに続き写真作品のページが来る。しかし、ここには、「かつて」ストレートフォトと分類されていたような「わかりやすい」写真の整理、セレクトは、まるで行われていないように見える。
国籍に関係なく、81組のフロントライナーたちが、コットンの判断で選抜されていて、膨大な図録が続いたあと、巻末に、各フォトアーティスト全員によるステイトメントが収録されているという、シンプルな構成になっている。
出版前にこの本の画像データを、彼女から全ページメールで送ってもらい、見たとき、これは「ヤバイ」と正直思った。あまりに速度が速すぎるように感じられたからだ。
「これはある種の踏み絵になるだろう」
それが僕の直感だった。
ここから先に行く者。
これはついて行けないと引き返す者。
写真の分岐点。踏み絵。
『写真は魔術』に収録された膨大なそれぞれの作品や作家が、どのような基準でセレクトされているかという明確さは、排除されていた。
そして、これらの作品やプロフィールのない正体不明の作家たちがどのようにコンテンポラリーアートのコンテクストに位置づけられるかも明確にされないまま、「エクスペリメンタル」な「現代写真」が、400ページ弱の大部にバインディングされている。
僕が最初に見てイメージしたのは、2013年に公開されたSF映画『ゼロ・グラビティ』だった。
真っ暗で果てのない宇宙空間に、破壊されゴミと化した宇宙船の残骸が溢れ、制御不可能な状態で高速で周回している。そこは最も生命や人間的な感情から程遠い空間だ。100億円の制作費を投下されてつくられたフルCGの映像は、まさに我々が置かれている現在の、見事なメタファーであった。
それと同様の、ルーツや消滅の運命すらも失ったイメージが、無限に浮遊している光景が浮かんだのである。
しかし、すぐに気づいたのは、まさに、コットンの確信犯的な狙いが、「現代写真」の「カオスの縁」自体を、野蛮なぐらいそのまま旧写真界、アート界に異物としてぶつけることにある、ということだ。
出版してすぐに案の定、さまざまな場所から声が上がった。
「どうしてこれが写真なの?」
「どうしてこれがアートなんだ?」
全く理解できない。果ては、アートなんかじゃない、ゴミだという声すらあった。
いや正確に記述しよう。そこに選ばれているものは、フォトショップが多用された、写真なのかコラージュなのか、デザインなのか判然としない作品。現実なのか合成、あるいは巧妙なレンダリングによる本物そっくり。明らかに写真機ではなくコピー機かスキャナーを使った作品。日常的なオブジェにプリント。写真出力を立体構成したインスタレーション作品などが、解説なしに連なっている。
従来の「価値」基準からすれば、写真でもなく、アートでもないものの氾濫。
この『写真は魔術』は、賛否両論を呼び、その先駆的な重要作にもかかわらず写真界からも、コンテンポラリーアートワールドからも、今のところ等閑視、あるいは無視されているように見える。
「来るべき写真」とは?──コンテンポラリーアートとして写真を位置づける
しかし、最初にはっきりしておきたいのだが、この『re-thinking 現代写真論』は、この現代写真の「分裂生成」を、クリエイティブなカオス、ラディカルな事態と捉えて、旅を始めようとしている、ということだ。事態の良し悪しではなく、新しい現実として積極的に受け入れること。
コットンの『写真は魔術』への人々のコントラヴァーシャルな反応は、逆に、現代写真がいかにホットな状況にあるかも物語っているだろう。
写真批評自体や、アートのコンテクストが問い返されるような、新しい事態や作品が次々に現れるだろう。写真の分野における拡張や変成は、まだまだコンテンポラリーアートの分野においても過小評価されているように見える。しかし、それも短時間のうちに変化していくだろう。
当然ながらネガティブな反動も起きる。写真は写真に帰るべきだ、「写真=真実」にリターンすべきだ、という保守的な力も働くだろう。
しかし、2000年にヴォルフガング・ティルマンスがターナー賞を受賞して以降、写真がコンテンポラリーアートへと不可逆的に舵を切ったように、誰もこの流れを止めることはできない。
『写真は魔術』については、のちの章で、じっくりと検討するが、このカオスの中にセレクトされた、フォトアーティストたちは、この本が出た以降、堰を切ったように批評やマーケットで注目を集めるようになっていることも書き加えておきたい。
ワリード・ベシュティやエラッド・ラスリー、タイヨ&ニコ、ジェイソン・エヴァンスたちはすでに評価が先行していたが、さらにルーカス・ブラロック、ジョン・ラフマン、ステファン・ブルガー、ジェシカ・イートン、サラ・ヴァンダービーク、ダニエル・ゴードン、ケイト・ステイシュー、ハンナ・ウィンタッカー、サラ・シャイナー、オーエン・キッド、エイリーン・クィンラン、レイチェル・デ・ヨーデ、アンネ・デ・フリース、小山泰介やネルホル、赤石隆明らも、とりわけ注目されている。
これから始める「re-thinking」の旅は、まずこのようなカオスを受け入れながら、「今・ここ」の事態に至った70年代以降の写真及びアートシーン、とりわけ先行者であるウィリアム・エグルストンやスティーブン・ショア。そして日本の『プロヴォーク』の世界的な再評価、90年代日本の写真の再考など、「コンテンポラリーアートとしての写真」前夜のコンテクストを再編・再考しつつ「来るべき写真」にダイブしていく。
筆者の基本的な認識
詳しい考察は、後回しとするが、イントロダクションのシメにあたって、唐突に見えるかもしれないが、この本の基本認識について列挙しておきたい。
① 90年代から、写真は全面的にデジタルに移行した。これは単にアナログ光学方式から、データへの移行という図式にとどまらないシフトを「写真」に与えた。それは、写真が今までモデルとしていた絵画芸術と、根源的に別物であることを暴いた。また、「真実」とリンクしていた写真の存在意義を、根底からひっくり返した。これにより、写真は、「真実」に依拠した第1ステージ(1度目の歴史)から離脱した。写真批評の原理も再編されることになった。
② 第2ステージを迎えた写真は、デジタル化だけでなく、経済のグローバリゼーションや、インターネットなどコンピュータテクノロジーとコネクトした。と同時にコンテンポラリーアートの分野の、新しい「アイテム」として成長分野と認識されるようになり、従来のフォトマーケットとは別の、アートマーケットを形成するようになった。
③ 第2ステージを迎えた写真は、190年前の誕生時に色濃く持っていた「メディア性」をキックバックさせ、他者性や実験性、多様性、社会との接続性などの力を、再び全開させることになった。
④ さらに言うならば写真は、絵画がその強度生成の変換術とした、歪形やレイヤーの衝突ではなく、ディメンショナルな戦略性によって、強度生成できるという優位性を持つにいたった(合成、スキャニング、多様な出力によるインスタレーション、プロジェクション、動画、インスタグラムなどSNS発信、3Dデータ化などを、ハイブリッドに駆使することができるという優位性)。
⑤ そしてその結果、従来の「現実」とは別の(パラレルと言ってもよい)リアル、あるいはリアリティの生成に加担することができるようになった。それによって「ポストインターネット」の作品としてだけでなく、AIのシンギュラリティがもたらす「ポストヒューマン」という事態に対しても、写真はきわめて有効なポジションにいる。
さて、ラフではあるが、出発に当たっての説明はこれぐらいにとどめて、いざre-thinkingの旅に出かけよう。
まずは、先行者の重要人物ウィリアム・エグルストンの秘密について語りたい。