90年代写真をどのように評価するか?
後藤 今日は、ホンマくんの写真のことについて対話をしたいと思っています。ちゃんと話をするのは、90年代ぶりかもしれない。
90年代写真の特徴として、まずはニューカラー的な反映で、様々な写真が発生してきたと思います。多くの写真家たちは、そのスタイルの写真にとどまったけれど、ホンマくんは違った。今思い返すと展覧会「ニュー・ドキュメンタリー」はすごいことだったんだなと痛感しています。今日はそのことについて改めて対話し、それと以降の展開について聞きたいんです。
ホンマ ちょっと前に立ち話で、後藤さんが、90年代組は評価されるのを待っているみたいなことを言っていたよね。待つしかないって(笑)。
後藤 その人たちが待っているんじゃなくて、もう1回時代が周らないと、発見する力が世の中にないんだね。それは近づいてきていると思うけど。でも日本におけるニューカラーの再評価っていうことではなくて、別の接続でね。
ホンマ 90年代に後藤さんが、僕に言っていた言葉で覚えているのは、例えば広告写真やポスターとかは10年20年と経ってしまえば、コピーもデザインも大して意味がなくなるけれど、写真だけは残るって。なんかそれはすごく覚えていて。90年代をスクロールする展(TOPコレクション 「シンクロニシティ」 平成をスクロールする 春期 / 秋期 展)を見て、ああ、20年経つと写真の価値がはっきりして、写真ってフェアだなと思った。
後藤 たぶん、今日の話のひとつのポイントにもなると思うんだけど、写真が根源的に持つメディア性を客観的に捉えられた人がやっぱり残ったんだと思う。広告であろうが、作品であろうが。
ホンマ 後藤さんの言う90年代写真って、日本限定的な話じゃないのかな?
後藤 どうかな。でもティルマンスみたいなことはあるからね。同時代性ということで言えば。
ホンマ 海外の人とかと付き合ったりとかすると、いわゆる日本の90年代写真って、あんまり聞かないんだよね。
後藤 当事者たちの多くは、意識的にしていなかったからね。自分たちがやっている写真のポストモダン性について、はっきり意識化できていなかった。だからそういう人たちは結局、再びモダンな考えに囚われて回帰してしまったと思う。
ホンマ 自覚があるかないかというのは決定的だよね。日本だと例えば「カメラマン」、「写真家」って言うけれど、海外では、「アーティスト」って言うからね。そうした場合に、自分が何をやっているのかわかっていないと、やっぱり難しい。
後藤 写真やアートの中で立ち位置が取れない。
『TOKYO SUBURBIA』の達成
後藤 今日は、まず新しい話からしたほうが僕はいいと思っているのね。この間のホンマくんの個展「Fugaku 11/36 - Thirty six views of mount fuji」、TARO NASU、2018.3/8-4.7)にあった、富士山をピンホールで撮ったシリーズがあったでしょう。ホンマくんはいつも複数のプロジェクトを同時並行でやり続けているよね。プロジェクトの展開の仕方について、最初に聞きたいです。
ホンマ ふつう、ひとつのプロジェクトを集中してやって、終わらせて、さあ次ってなると思うけど、僕の場合、キャリアの最初の頃から、いくつかのプロジェクトを並行してやってきたんですね。自分では、それが普通だと思ってやってきたけど。だって、そういうことができるのが写真の特質のひとつだと思うから。
後藤 それは転換って言ってもいいような意識なのかな?
ホンマ それこそ僕は、日芸の写真学科には受かったから行っただけなんです。最初はね。同級生たちは入学したときからダイアン・アーバスとか言っていたから。これは、そっちっていうか、普通の写真史では勝負できないな、って思った。獣道に行くしかない。横から、違う方向でやらなきゃいけないっていうことを、ゼロの段階から考えてきたわけ。今、考えてみると、それがポストモダンだったわけなんだけど。
後藤 それが写真をプロジェクトとして立てることにも、色濃く反映されている?
ホンマ いわゆる王道の写真の流れでやっちゃいけないっていう気持ちと、例えばモノクロのストリートスナップとか生理的に好きじゃないなっていうのはあったから、それが『東京郊外 TOKYO SUBURBIA』に繋がったんです。東京郊外っていうのは、それまでの日本の写真の真逆ですからね。
後藤 まずストリート・スナップではないっていうことだよね。
ホンマ そうそう。歌舞伎町でも下町でもないということ。プラス、被写体との距離感っていうのもね。わざとちょっと離してあったりとか、色んな要素が入ってますけどね。それまで僕が違和感があったことを、自分の写真で表現できたのが『東京郊外』だった。だから、自分としてはそこで1回、ある種の達成感があったんですよ。
後藤 おおー!
ホンマ でも普通の人はそこで、そのまま行っちゃうんだけど、僕は逆にそこで自由になったというか、あとはドンドン、何でもやりたいことを、やってもいいやっていう感覚になったんですよね。
後藤 いい話だな。写真をやる人は、自分は写真というひとつのことをやってる意識が強い。ホンマくんは同時に複数のプロジェクトをやるよね。それは写真ってものを相対化して捉えることでもあるのかな?
『ニュー・ドキュメンタリー』の試み
ホンマ 「ニュー・ドキュメンタリー」は金沢21世紀美術館と、東京オペラシティギャラリーと、丸亀市猪熊弦一郎現代美術館でやったんですね。丸亀はオペラシティから1年後だったんですよ。オペラシティと金沢では1部屋ずつ、プロジェクトごとに見せるキュレーションだったけど、丸亀では「撮り順」に全作品を順番に展示した。だから「Trails」のあとに、「子ども」の写真がきたり。もう、バラバラ。
あれ見てないかな? SUPER LABOから出した写真集(『New Documentary』)。
後藤 美術館でのインスタレーションを撮影した写真で構成したやつだね。見たよ。
ホンマ このときにすごく、すっきりしましたよ。見る人は混乱したと思うけれど。自分の中ではこれがやりたかったのかと思った。
後藤 なるほどね。どうして丸亀では、あえて撮った順にしようと思ったのかな? バラバラにしたのに、リニアに戻してる。何なんだろう?
ホンマ 結局は丸亀で、写真に戻った、戻したんだと思う。
後藤 僕は、オペラシティと、金沢を見に行ったけれど、意外と写真じゃないんだ、と思ったんだよね。
ホンマ うーん。もちろんそう評してる人たちのことも、耳に入っていましたよ。現代美術のほうに見かけだけシフトしやがって、みたいな感じでね。でもそれは、わざとやってた部分もあったし。でも結局、丸亀で僕にとっての写真に戻った。見た人たちは、現代美術だと思うかもしれないけど、僕にとっての写真なんだよね。そこで複数のプロジェクトを同時にやっているということも、ちゃんと可視化できたわけだし。
結局写真って、そういうもんなのかなあと最近思っていて。富士山を、ピンホールで撮ったときも、「これでもやっぱりホンマさんの写真ですね」って言う人が多いわけ。人はそういうふうに見るんだなと思った。『たのしい写真』の1で堀江敏幸さんと対談していて、作家論なのか、作品自体で評価すべきみたいな議論をしているんだけど、堀江さんは、はっきりと、「その間の熱みたいなものを見ている」って言っている。それはやっぱり正しいのかなって思うんですよ。名前を見ていいなっていう以前に、やっぱりそこに熱があるんじゃないかと思う。それをこっちはさらっとやっているけれど、見る人が熱を感じてくれたらいいし、その濃度がないとダメなんじゃないかと思うんですよね。後藤さんが、そんなことを以前言ってたよ。長持ちする写真、みたいな言い方でね。
「残る写真」は何が違うのか?
後藤 そうだね、残る写真の理由。『Trails』と、富士山の他は、どういうのをやってるのかな?
ホンマ あとは、波の写真『NEW WAVES』。最初の頃はみんな、ただ綺麗な波の写真だなと思っていたと思うんだけど、やっぱり10年以上続けると、毎年撮ることに意味があるってことを人がだんだん理解してくれて。
後藤 コンセプトが見えてくる。それも、終わりなく、アップデーティングしていく。決定性がないっていうことでしょう。
ホンマ だから、ニューカラーに対しても、みんなは色感で言うけれど、やっぱり僕の中では「決定的瞬間がない」ということ。その退屈さの強度に、どのくらい耐えられるかっていうことが問題で。
後藤 うまいこと言うなあ。
ホンマ いや、そこの勝負しかないのかなと思っているところはある。
後藤 あと淡々と続けているリトルブックのシリーズ。あれも確信犯的で面白いよね。プールとかマクドナルドとか、駐車場もあったっけ。
ホンマ あれは完全に現代美術的だし、高級な遊びでもあるし(笑)。
全部揃えてエド・ルシェに送ろうってPOSTの中島佑介くんと言っている。あれをやっていたから、今の富士山の富嶽三十六景が「これルシェと一緒なんじゃないか?」って、僕の中でちょっと繋がったり。
後藤 発見があるんだね。
ホンマ そうそう。発見がちゃんとあって、そういうことが、僕にとって一番の制作するモチベーションになるんですよね。
後藤 退屈の中から生まれてくるものっていうことだよね。
ホンマ だから確実に、「俺が好き! 俺の感情! 純愛!」「俺が撮った!」っていうのとは……。
後藤 そういうものと全く関係ねえだろと(笑)。
ホンマ (笑)。それはないから。実はね、富士山の写真を撮るとき、僕は1/3くらい行っていないんですよ、現地に。アシスタントに現場から部屋の感じとか写メさせて、ここにこういうふうに印画紙を貼って撮れっていう指示書を送ってるんですよね、iPhoneのドローイング機能で。
後藤 指示書だけ? すごいね、インストラクションだけ。最高だね。今日対談できてよかった(笑)。
ホンマ だから本当、現代美術なんだよね。それでも人は「ホンマさんの写真っぽいね」って言う。
後藤 富士山っていうのをモチーフに選んでいるのは、 類型?
ホンマ 北斎。でも結局はルシェから来ていて、三十六景。それを日本回帰みたいに言う人もいるかもしれないけれど、それはそれで別にいいのかなって思っていて。
後藤 言われて嫌じゃないっていうことだね。
ホンマ それはまあ、しょうがないと思う。だって日本人だから、いくら嫌って言っても(笑)。Aperture Foundationのレスリー・マーチンとかも「今からすごい楽しみ」って言ってますけどね。
後藤 キャッチーだからね。『たのしい写真』3のワークショップ篇とか、『ホンマタカシの換骨奪胎』でも他の写真家のやったことをリプレイしたりしてるでしょう。アンリ・カルティエ=ブレッソンとかポール・グラハムのやつとか。山中信夫、中平卓馬も。
ホンマ 研究論文を書くときでも、先行研究を調べない研究なんかないでしょ。でも写真の人ってさ、あんまりそういうことしないじゃん。
後藤 面白いね。『ホンマタカシの換骨奪胎』みたいなアートの本ってなかったね。人のものをリプレイしたり、アプロプリエーションして、共通点と差異っていうことを確認してみせるって。
ホンマ そう。カメラオブスキュラなんて、もちろん知っていたけれど、やっぱりやってみると、それが現代的に活かせるって発見できたし。このダミーも見せたいな。イギリスのmacから秋にでる「Trails」。
後藤 これは、新しい写真も追加されているの?
ホンマ 続けていたやつもまとめてるけれど、このカットが新作。猟師にプリントをもう1回銃で撃ってもらった。
後藤 ははは。穴がいっぱい開いてる!
ホンマ シュートをシュートした(笑)。
後藤 これは、現場で思いついたの? それとも戻ってきてから思いついたの?
ホンマ 12回ぐらい冬に知床に撮影に行っているから、今年はどうしようかなって。『ホンマタカシの換骨奪胎』の中の「介入する芸術」っていう章があるんだけど、そこで猟師が撃つ顛末を書いたんだけどね。プロジェクトをいつも完結させちゃうんじゃなくて、前のものと次のものを混ぜ合わせて、進んでいく。この「Trails」もそうやってつくっている。そのやり方の原点は、ティルマンスに学んだところもあると思う。ティルマンスも必ず、前のカットが入ってるんだよね、新しい写真に。
後藤 それは90年代にもう気がついて、ホンマくん言ってたね。何回も同じ写真を出していいじゃないかって。
ホンマ それは今でも思うし、そのためには、結果的に写真に強度がないとダメだと思うんですよね。
写真の歴史のなかで思考する
後藤 他にも建築写真も並行してやっているよね。例えば、ポートレイトのプロジェクトはないの?
ホンマ 実は、ポートレイトもあるんですよ。後藤さん、ポートレイト好きだよね。
後藤 好きですね。さっきの話じゃないけれど、戦略的に整理して、もう1回リニアにするっていうところで、ポートレイトっていうモチーフはいいですよね。つまり、ポストモダンとしての、ポートレイトってことで。
ホンマ それこそ同時代性みたいなことで言うんだったら、ティルマンスがポートレイト出しているじゃないですか。同じ判型で、同じ枚数で、けっこう共通の人を撮ってるから。レム・コールハースとか。
後藤 それが批評性ってことだよね。
ホンマ みんな写真集を出したりすると、帯に「他に類をみない」とか書いちゃって、全然、他と比較しないでしょう。それは昔からイライラさせられていた。例えば誰かが桜の写真出したら、「見たこともない桜の写真集」みたいなことが帯に書いてある。桜なんてみんな撮っているんだから、もっと参照して見るっていうのがあっていいし、それは相互にとって利益のあることだし、それが知的に面白いと思うのに。
後藤 その考え方って、すごくポストモダンだし、コンテンポラリーだね。ポートレイトだって、基本的に類型的でしょ? 例えばトーマス・シュトルートのポートレイトへのアプローチは、アウグスト・ザンダーを参照してメタ化したものの延長にある。ホンマくんなら、どう思考する?
ホンマ 今言った問い、つまり「ポートレイト写真って何なの? 」って事を調べたりすることから始めると思う。ティルマンスがポートレイトのことで質問されたんですよね、「なぜ大きいプリントにして展示するんですか?」みたいなこと。それに対して、「向こうから見られているというアート」って答えていたんですよね。面白いですよね。ポートレイト写真のことをそんなふうに考えた人ってたぶんいないと思う。考える余地が、まだあるっていうのが、いいんですよね。
もう東京を撮るしかない
後藤 「東京」もずっとやっていますよね。
ホンマ そうですよね。『CASA BRUTAS』で連載していて、オリンピックまでまた集中的に撮ろうと思っている。今でも「海外に住まないんですか?」とか言われるし、知り合いもいっぱいできたから、どこだって住めると思うけど、そうしちゃうとプロジェクトが1個しかできなくなるんですよね。
後藤 なるほど、欲が深い。
ホンマ あはは、欲深いというか、思いついちゃった事は実現したいですよね、ふつうに。それが東京にいれば、並行してできる。自分が東京生まれ、東京育ちっていうことを最大限で考えると、もう東京を撮るしかないなと。変な諦めですけどね(笑)。
後藤 当然の選択なわけだね。
ホンマ それは90年代からずっと考えていて、変わらないと思う。
後藤 東京の場所への着目みたいなことは? 今、多くの写真家は、東京への方法論や視点が定まっていないような感じを持つんだけれど。どう思いますか?
ホンマ まず第一に、「東京郊外」っていうものが2000年以降はもうなくなって、都会と郊外、そして地方が、なだらかに繋がっちゃったんですよね。
後藤 エッジがなくなった、都市のフチが。
ホンマ この前ちょっと「おっ」て思ったのは、オリンピックのために、東京湾をバンバン埋め立ててるんですけど今。それで、行政が追いつかなくて名前のついていない土地ができていているんですね。東京湾に。それは「これは見たことがない東京の風景だ」って思ったよね。
後藤 この間、ホンマくんが以前、Apertureで出した東京のやつ(『Takashi Homma: Tokyo 』)を見返したよ。
ホンマ あれ、謎な編集でしょ、うふふ。
後藤 見直して、やっぱりこれは東京の偶景じゃなくて、必然的な風景に変換されているんだなあと思った。結局ああいう写真は、ホンマくん以外、誰も撮影していなかったし、そして残った。今回もまた……。
ホンマ 『東京郊外』が出たときに、いっぱい取材を受けたんだけど、あの時は90年代だったからか、宮台真司さんとか社会学者から「東京郊外は悪い場所」という分析があって。
後藤 犯罪が起きやすい、みたいなね。
ホンマ 僕はいつもそのときに「いや僕はそこに生まれ育っているから。たとえ犯罪が起きる悪い場所って切り捨てても、そこでは、もうすでにむちゃくちゃたくさんの子どもが生まれて育っている。僕はそっちの立場だ」っていう話をしたんですよね。そのときは、みんなあんまり理解してくれなくて「まあそういう言い方もあるわね」みたいな感じだったと思うけど。だけど今になると、実際本当にそこから生まれ育った人たちが社会で発言するようになってきて、例えば建築の藤村龍至くんとか「まさにホンマさんの『東京郊外』的なところから僕らは出てきました」って言ってくれたりして、やっぱり間違ってなかったんだなって思った。哲学者の千葉雅也くんもそうだよね。
後藤 予見的だった。僕は大阪万博のサバービア出身だから、東京郊外は最初からすごく共感できたな、リアルだって。
ホンマ まあでもやっぱり本当に評価されるまでにだいぶ時間がかかりましたよ。結局僕は東京郊外出身で、上野も歌舞伎町も肌に合わない。その必然性がやっぱりあるんですよ。ロンドンにいるときに、ゲイカルチャーを撮っていて「お前ストレートで、日本人なのに、何でそんな写真撮るの?」って言われたときに、そっかやっぱり日本帰ろうって思ったんですよね(笑)。
後藤 ははは(笑)。
ホンマ 東京に帰ってやるしかないんだなあって……。でも写真ってやっぱり、残るからいいよね。
後藤 残って必然化するんだよ。つまらないものは残らないけれど。
ホンマ でもそのときのゲイカルチャーの写真は、ティルマンスが、雑誌のタイムアウトの企画の90年代ベストショット10に、選んでくれたんですよ。その当時トレンディだったゲイクラブの大晦日の写真。たぶんティルマンスもよく行っていたんでしょうね。
後藤 これ、いい写真だな。こういう盛り上がりって、ある種の多幸感があるじゃん。でも、ホンマくんは別にその多幸感に浸っているわけじゃない。
ホンマ あはは、そうそう(笑)。
方法としてのドキュメンタリー
後藤 2011年の「ニュー・ドキュメンタリー」に戻るとね、スーザン・ソンタグの「写真は見ることそれ自体ではない」って言葉が引用されていてキモになっていた。それは、インプットにせよアウトプットにせよ、メディアが違えば違う見え方になるんだってこと。これは写真をコンテンポラリーにとらえるときの基本だよね。世の中は、ホンマくんの写真をまだ90年代的なニューカラーだと思っていたけれど、実は写真の根源のメディア性にシフトした。「ニュー・ドキュメンタリー」っていうキーワードの発見は、どこから来たの?
ホンマ 普通あそこで、それこそ『東京郊外』出すよね(笑)。それをしなかったってことをもっと褒めてほしいんだけど(笑)。まあそれは冗談として。
前にマーティン・パーが「パーソナル・ドキュメンタリー」とか言ってたんですよ。「大文字のドキュメンタリー」ってもうなくなったから、パーソナルなドキュメンタリーしかない。戦争に行って撮っても仕方がないから、自分の周りをドキュメンタリーするしかない、みたいな意味で、パーは使っていたんだよね。
後藤 でもホンマくんの場合はパーソナル・ドキュメンタリーという意味では全然ないような気がするんだけど。「わたし」じゃなくて「モノ」。中平卓馬のピースの箱に書かれた「きわめてよいふうけい」をまんま、サンプリングしてた。
ホンマ うんまあ、それと、どんな順番に並べるのかということのほうが、僕にとっては写っているものより、ドキュメンタリーなところもあって。気づいている人がどのくらいいるのかはわからないけれど、Apertureの『Tokyo』は、人の写真と風景の写真が限りなくイコールになるようにつくってあって。大体、風景の写真って箸休めでしょ。そこをイコールでやりたいって気持ちがあって。
それでちょっと、荒木経惟さんと接続するんだけれど。荒木さんの『センチメンタルな旅』は、本人曰く、あの順番に意味がある。それは本当にすごくよくわかるなって思う。陽子さんが悲しい顔をしているとか、裸が写っているとかではなく、淡々と時間が過ぎていくことに意味があるって、ちゃんと荒木さんは書いている。そのことは、最初に読んだときから、すごくよくわかった。それ以外のことって、写真で重要なことってないんじゃないかって思うぐらいなんですよね。だから、丸亀で撮った順に自分の写真を並べたときに、僕の中で全てが繋がったというか。
後藤 提出の仕方で写真の意味が違う。
ホンマ なんか写真評論家みたいな人には「ホンマの中には写真家と編集がいて、いつも編集が勝ってどうたらこうたら」って書かれたことあるけれど、編集しないアーティストなんている? ティルマンスもはっきり言ってますよね。「ささっと撮って、長く考える」。そこをブラックボックス化というか、「写真家は編集なんてするな」っていうのが日本ですよね。これは言っていいのかどうかちょっとわからないけれど、100パーセントお客さんにわかられたくないってところもあって。だって全部わかっちゃったら、つまらないと思うんですよね。
後藤 不親切っていう編集だよね。
ホンマ だからそのギリギリでやっている。
後藤 僕は世代がちょっと上だから、ゴダールやウォーホル、テクノミュージックで育った。だから不親切っていうエディットがよくわかる。人間的に話せばわかるとかっていうのは、嫌いなわけで、写真もそういうメディアでもあるんだよ。ホンマくんのエディットの感覚はどこから来ているんだろう?
ホンマ そうですね。もちろんゴダールもウォーホルも好きだけど、そもそも、わかりやすい物語とかは好きじゃない。だからストーリー映画はやらないし、小説だってやっぱりわかりやすいのは好きじゃない。
後藤 だからアピチャッポン・ウィーラセタクンへの共感があるんだろうね。わかる/わからないが接続されていて。
ホンマ そうですね。わかっているってそんな重要?って思っちゃう。
写真というメディアで何ができるか
後藤 避けて通れないので聞くけれど、中平卓馬さんは、『PROVOKE』の頃「ドキュメンタリー」の重要性を論理ギリギリまで書き続けた。それを論理的に理解することもできるんだけど、論理的にわかりましたっていうのは、今さらなんか嫌なんだよ。古臭くて。
ホンマ 中平さんの言っているドキュメンタリーはすごく素朴だと思いますよ。でも結局、最後のカラー写真とか、それを超越しちゃっているじゃないですか。あれは中平さんが言ったドキュメンタリーでも何でもないっていうか、もう完全にニュー・ドキュメンタリーだと思うし、完全にドキュメンタリーを超越してますよね。
後藤 中平さんっていうものを被写体にしたこと自体がクリティックだし。僕はすごいなと思った。撮ってしまえば批評になる。それは写真のリアルな教えなんだよね。それをホンマくんはやった。
ホンマ 中平さんのことで一番好きなのは、まあ結局、病気のせいなんだけど、前やっていた夜のアレブレのモノクロとかを全部捨てて、バッチリ身も蓋もないカラー写真になった!っていうことに最大の共感があるんですよ。結果論だけど、それまで評価されていたことを全部捨てて次に行った。未だに中平さんのモノクロが好きな人が大半かもしれないけれど……、わかってねーなーって(笑)。
だから「ホンマさんは次から次へと色々やるね」とか揶揄されたりもするけれど、何とも思わないんですよ。
後藤 記録っていうことを正しくポストモダン的にシフトできたのはホンマくんだけなんだよね、僕の理解では。そして、その色んなメディアでのアウトプットの一つずつが、ニュー・ドキュメンタリーなんだと思う。
ホンマ そうかもしれない。だから写真集をつくるのも、展覧会のインスタレーションをするのも同じ姿勢でつくっていて、とにかく写真は何にでもなるっていうのが、やっぱり本質なんですよ。
後藤 90年代写真家の多くは、見事に停滞したんだと思うんだよね。僕は懐かしく思ったりしないね。その後、写真はメディアだっていう自己原理回帰みたいなのを通じて、コンテンポラリーアートとしての写真に変成していった。そう変成できることが面白いんだよね。
ホンマ 写真は何にでもなるっていうのが、やっぱり僕にとって最高のことだから。「ホンマさんは、波も撮っているし、建築も撮っている。一体何が好きなんですか?」みたいなことを言われるけれど、写真というメディアで何ができるかなんだよね。若い人のポートフォリオレビューで「これは、このとき僕がこう思って」とか「彼女にとって大切な何とかで」とか言う人いるけど。あは、そんなの、見る人には全く関係ないからね。
後藤 写真は人でなしだから面白いよね。じゃあ、もうひとつ質問。中平さんの『きわめてよいふうけい』って傑作だと思うんだけど、でもあれもそういうような、思い入れを少なくした写真なのかな。
ホンマ いい質問ですね(笑)。この前も久々に上映することになって、そのとき、タカザワケンジくんがトークしてくれたんですが、彼は、変に僕のこと知っているから「さすがホンマさんらしい、突き放した感じの距離感ですね」とか言っちゃって(笑)。
そのときに僕は「いやいや、これだいぶ好きになっちゃってるね、中平さんのこと」って言ったんですよ(笑)
後藤 サンプルとして見てないってこと。
ホンマ あの映画は結構みんな褒めてくれるけれど、僕にとっては、今ならもうちょっと出来るんじゃないか? っていうのがあって……。
後藤 退屈度が低いよね。他ならもっと上手く退屈にしているじゃん、大体。
ホンマ あはは、そうそう。あれでも、だいぶ「退屈だ」って、最初横浜美術館で上映したときには言われましたけどね……。
今だったら、もっと意識的に、それこそウォーホル的に退屈にしますよね。
後藤 そうね、好きになっちゃったか。
ホンマ 仕方ないですよね、中平さんに関してはね(笑)。
後藤 ホンマくんは、見事に90年代写真を上書きできた。でも、同時代的なものってあるのかな。
ホンマ どうなんですかね? 結局、残す、残るのはさ、他人が決めることであって、例えば、90年代で言えば、HIROMIXたち3人娘のほうが、わかりやすくまとめられるから。今レスリー・マーチンがまとめようとしているらしいけど。HIROMIX、長島有里恵と蜷川実花。
後藤 さすがレスリー、エグい企画だね。世界的には、日本の90年代、他はなかったことになるね。
ホンマ まあ、でもそれが歴史化ってことですよね、良くもわるくも(笑)。