Re-think 現代写真論――「来るべき写真」への旅

第02回 進化するパイオニアたち① エグルストン

先行者としてのウィリアム・エグルストン

 80年代から、ウィリアム・エグルストン(1939年- )は、僕にとって特別な写真家だった。そしてスティーブン・ショア(1947年- )もである。

 1981年に出版された『The New Color Photography』という、複数の写真家によるアンソロジー写真集が日本に入ってきたのを偶然見て、彼らの写真において、日常的な風景がどこか微妙に違って見えることに驚かされたのだと思う。それを振り返って整理すると、色彩のテクスチャーを、コトバではない「共通言語」にしていること。そして「まなざし」の伝染である。

 その点において、エグルストンとショアの写真は強く印象に残り、その後の僕に刷り込まれたのだろう。

 しかし、もちろんその頃は、現在のような「コンテンポラリーアートとしての写真」という事態も、彼らがその最重要人物になるとも予想だにしなかった。彼らは「パイオニア」であり、「先行者」だ。その変異がどのように起こっていったのか、を考えることは、われわれの「今・ここ」の写真を考える上で、とても重要だと思われる。

 この章では、エグルストンについて取り上げたい。

 まずは、「コンテンポラリーアートとしての写真」の前史としての話から始めよう。

 エグルストンに最初にインタビューしたのは1992年、彼のメンフィスの自宅だった。ちょうどアメリカは大統領選でビル・クリントンが優勢だった。僕は『エスクァイア 日本版』でアメリカ南部特集号を企画し、取材した。クリントンの記事だけでなく、エルヴィス・プレスリーのグレイスランドや、アウトサイダーアーティストのハワード・フィンスターのガーデン(彼の絵はトーキング・ヘッズの1985年のアルバム『リトル・クリーチャーズ』で使われた)など、南部の奇妙さ、ストレンジさをクローズアップしようと思ったのだ。

 偶然だったのだが、映画監督のジム・ジャームッシュが『ミステリー・トレイン』(1989年)でメンフィスを舞台にしていたことも影響された。

 取材に際しては、当時僕が、ほとんどコンビのように一緒に仕事をしていた高橋恭司と組んだ。

 僕らのイメージソースだったのは、ウィリアム・エグルストンの写真集『The Democratic Forest』『Faulkner's Mississippi』であり、様々な南部系の写真。すなわちウォーカー・エバンス、ウィリアム・クリステンベリー、そしてエリオット・ポーター。サリー・マンやベロック。そして直接的にはメンフィスではないが(舞台はテキサス)トーキング・ヘッズのデヴィッド・バーンが初映画監督した『トゥルー・ストーリー』(1986年)からもインスパイアされた。

 

「カラー写真は、アートにならない」? 

 当時、イメージプロセッサが普及して、カラーのプリントをラボに発注しなくても写真家が自分のスタジオで制作できるようになったのだ。それまでは雑誌や広告の写真入稿は全てポジだった。

 高橋恭司は、日本のニューカラーフォトグラフの先導者として、1990年代初頭に突如出現した、何の文脈からも独立した異才だった。この異才から日本の90年代写真の全てが始まったと言ってもよいぐらいだ。

 エグルストンは、ダイトランスファーという、ある種、写真を版画的にプリントする手法を使っていて、それが日時風景を微妙に変換させていた。この秘密を、僕と高橋恭司とでよく話し込んでいたのを思い出す。

  したがって、僕らが取り組もうとしていた『エスクァイア 日本版』南部特集号は、僕と高橋恭司による、エグルストンの写真へのオマージュといってもよいものだった。

 連絡がなかなか取れず、帰りの日にギリギリ捕まえたエグルストン宅でのインタビューと写真は、今も忘れ難い(とりわけ南部取材の少し前に、僕と高橋恭司は、グルジアとアルメニアへ旅し、撮影を行なっていて、そのプリント群をエグルストンに見てもらいたいと思っていたのだ。そのプリントをエグルストンが1枚1枚丁寧に見たときのことは忘れ難い)。

「カラー写真は、アートにならない」という論争は、以前から写真家アンセル・アダムスとエリオット・ポーターの間でも交わされていて、カラー写真の色の「不安定感」が主因とされていた。

 確かに、1976年にニューヨーク近代美術館において、カラー写真で、初めて個展が行なわれたのはエグルストンであったが、彼の評価は、まだまだ定まっていなかったというのが正確だろう(この展覧会に合わせて出版されたのが彼の初期代表作を集めた写真集『William Eggleston's Guide』である。長く絶版だった)。

 

世界を平等(デモクラティック)に捉える写真

『現代写真論』の冒頭において、シャーロット・コットンもまたエグルストンとショアを取り上げる。

 そしてエグルストンについて適切な分析を行なって、こう書く。

「エグルストンの写真は、構図が戦略的であり、取るに足らない対象や視点を迫力ある視覚的形態へと緻密に変容させた。まずはエグルストンがカラーを使った作品を制作し始めたのだが、その試みも当時はまだ、造形美術として確立された写真の領域には受け入れられなかった。だが、1976年になると、彼の作品(1969年から71年にかけて制作されたもの)がニューヨーク近代美術館で展示され、カラーを主体とした写真家の個展としては初めての展覧会となった。ひとつの展覧会がアート写真の方向性を決定付けたなどと事態を簡略化するつもりはないが、この展覧会によりエグルストンの手法にある可能性が時宜を得て紹介されることとなったのである。その後30年間にわたり、彼の評価は上昇の一途をたどる。エグルストンは依然として「写真家」を先導する存在としてアート写真の分野に大きく貢献し続けており、現在でも世界中の本や展覧会で取り上げられている」

 シャーロット・コットンの視点は的確だ。彼女はエグルストンを70年代の半ば以降、写真を作家の自己表現的に捉える「モダニズム」から、われわれがどのように世界を見ているか、その「まなざし」の制度を逆手に取った「ポストモダニズム」のエッジーなものとして写真が再定義され、つくられるようになったと考えている。

 エグルストンの写真の秘密は、日常的なものを、あたかも初めて見たような気分にさせる視点、色、構図にあると言うのである。

 オーバーに言えば、世界を「平等(デモクラティック)に」捉え、世界を「再発見」すること。それがエグルストンの発明なのだということになる。意味と無意味、美しいものと汚いもの、文化的文脈と切断、全体とフラグメント化。それらのイメージをないまぜにしながら、イメージの強度を生み出す力。

 彼以前の写真家の多くが、「決定的瞬間」というクライマックスを「写真の力」の秘密の回路にしていたのに対し、エグルストン(やショアも)はアンチクライマックスでありながら、かつ、絵画的な物語性やイメージの引用に頼らない方向を選択した。

 

「病みつきになる」写真──日常の再考を促す

 トーキング・ヘッズのデヴィッド・バーンもエグルストンの写真に取り憑かれた1人だ。次のように告白したことがある。

「その写真はそもそも、何かについての写真ではないのだろうか? そもそも私たちに何かを語りかけている写真ではないのだろうか? しかし、わたしは繰り返し彼の写真を見ることに立ち戻り続けた。さらに見続けた。あたかも、長く見続けることで、彼の写真の謎を見抜き、なぜそれらの写真がわたしの心を混乱させるのかを理解できるかのように。そして、写真の根底にあるシステムの仕掛けや、手法をついに発見したと思うたびに、わたしをすっかり面食らわせる何か別のものに見えてくるのだった。たぶん面食らわせられる感覚こそが、わたしが探し求めていたスリルなのだ」

 バーンは、エグルストンの写真には、軽い方向感覚の喪失のスリル、快楽があって「病みつきになる」とまで言う。

 これがエグルストンの写真の力の秘密だろう。

 しかしこの「写真」生成術は、アート的な戦略や意図から始まったものというより、彼の天才的な直感、いや写真との相関によって、彼が写真から教わった思考法によるものと言ってよい。

 僕は1992年にメンフィスで、2005年、2010年に東京で、彼にインタビューしたが、そのときこう言った。

「自分を越えて外に出なきゃならないのさ。そうしなければ、ずっと同じ道を運転しているようなもんだ。外国人になろうとするってことは、アンユージュナルな見方をすることだ。例えば、この冷蔵庫の写真。いつもの冷蔵庫がいまだかつて見たことないように見えるんだ。急に見たこともないものに見えたら、写真を撮る。そして、それは風景写真じゃないんだ。クローズオブザベイションって言ってもいい……観察だ」(1992年)

「メキシコへ行っても、東京へ来ても、全く同じさ。いつも、事前に何が起こるか、何もわからない。何を期待していいのかさえわからない(笑)。全く撮らない日もあれば、プロジェクトによっては、行った先で数百枚撮ってしまうこともある。撮影は直感的、インテューティブなものだ。それに撮影は考える間もなく早いし、ときには被写体を見ないこともある。もう、ただ撮る(笑)。……何が動かしているのか。写真がどういうカタチで来るのかわからない。いやわかるんだけども、コトバにするのは難しい……」(2005年)

「今、何が起こっているのか、写真とは今を捉える手段なんだ。日常、生活に一番関心がある。わたしの写真を見て“映画的”とか感想を言う人がいる。それは、全てのものは、絶えず変化してゆく。“映画的”に見えるのは、常に動いてゆくものを撮るからだろう……別に物語を伝えたいと思っているんじゃない。まず、写真ありき。写真は、写真であるということだけだ。そのコトバに付け加える必要は何もない」(2010年)

 エグルストンの写真になぜ惹きつけられるのか?

 その写真の力はどこから来るのか?

 それはエグルストンの写真がなぜコンテンポラリーアートの分野で評価されるか、という以前に重要だし、しかし、それを考えることは、その問いにも答えることになるだろう。

 

エグルストンは語る──ドローイングに隠された秘密

 僕は写真の秘密は、コトバで解けるものではないと知っている。だからこそ、92年のメンフィスでは高橋恭司とともにエグルストンのモチーフの現場を訪ねて撮り、写真を「見せ合ってもらった」し、2005年には、2日間にわたりポラロイド写真で彼の撮影を追って、いつ撮影が決定されるのかを見た(この来日のときにエグルストンは、初めてデジタルカメラを使って撮影も行なった。またキヤノン「写真新世紀」の審査、そしてワークショップも行なった)。

 そして2010年は、原美術館で、2009年にパリのカルティエ財団現代美術館で行われた展覧会をアレンジした個展のタイミングだった(個展「ウィリアム・エグルストン:パリ―京都」)。そこには70年代の南部を舞台にした写真とともに、それらとは異質な、京都やパリの町をクローズアップした写真と、マーカーで描いた「ドローイング」が同時に展示されていた(このインタビュー時の取材写真は。小山泰介と小浪次郎に依頼した)。

 エグルストンは、朝から片時も酒とタバコを手から離さず、酩酊しながらインタビューに答えた。

 相変わらずデジタル写真機は使っていないこと。1シーン、1カットしかシャッターを押さないこと。

 家でシンセサイザーやピアノで演奏している話。またエグルストンのドキュメンタリー映画『William Eggleston in the Real World』(2005年、マイケル・アルメレイダ監督)について話した。

 そのときのインタビューを抄録しておきたい(全文は『美術手帖』2010年8月号)。

後藤(G)あなたを撮ったドキュメンタリー映画『William Eggleston in the Real World』でも自宅でドローイングしているシーンがありました。

エグルストン(E)いつでもどこでも描いている。飛行機の中でも、車の中でも、ここでもね(笑)。5歳の時から描いてる。もう何千枚もあるよ。ペンがあれば(と言って、スーツの内ポケットから色鉛筆セットを出す)。エルベ(ディレクターのエルベ・シャンテス)がプレゼントしてくれたペンさ(笑)。

G 展示されているドローイングですが、色が透明なのが多くて、重なり合っているところが面白いと思ったんです。何かを再現したり、コンセプトを表すというより、描いてみないとわからない絵ですね。

E そう、わからない(『パリ』展のカタログを出して)。そして大切なのは……左右の対になっている写真と絵が、全く無関係だということなんだ。そう、「関係ない」と知っていることが大切だ。そしてもう1つは、ドローイングのほうは、必ず原寸大でなければならないことだ。

G 写真評論家たちは、あなたのドローイングを全く無視しているんですが、僕は実に興味深いと思っているんです。まず、どこから描くんですか?

E いや、説明できるようなものじゃないね(笑)。レイヤーが重なり合い、線や色が働き合い、できていく。何かに惹かれているか、自分でもわからない。

G あなたは、あなたの写真とドローイングが全く関係ないと言う。確かに絵のほうはインプロビゼーションに近いし、音楽的だ。でも、このクローズアップ系の写真も、色々な事物が重なり合って、瞬間ある状態になっているところを捕まえたりしていますよね。

E (写真を指でなぞりながら)ここだ。そして重なり合いだ。写真自体が、そもそも空間が重なり合っているものを撮るわけだから。

G 描くことは、トレーニングであり、ある種の快楽でもあるのでしょう。好きな絵描きとかいるんですか?

E 描くのも、酒を飲むのも愉しいさ(笑)。でも、好きな絵描きなんていない。皆、エゴの固まりだから。

G 写真家はエゴが強くないですか?

E わからない。オープンでい続けることは難しいし、ラッキーでありたいけれど、自分がラッキーかどうか実はわからない。心配するのはやめたほうがいいと思う。夢がいいのは目が覚めると、どんな美しい夢だったか忘れてしまうことだ。音楽も聴いてしまうと忘れるだろう。

G じゃあ、あなたにとって写真とは?

E さあ……。それはわたしの人生であるかもしれないし、そこの木かもしれないし、この指の間に挟まったタバコかもしれないし。でも、写真を止めることはできないし、戻ることなんてできないさ。写真というのは、どんどん進んでいってしまうことだから。それを説明しようと思ったら、スティーブン・ホーキングが必要だ(笑)。彼が隣にいたらよかったなぁ。ハッハッハッ。彼の頭の中は、バッハと同じように働いているんだ。

G あなたの頭の中もそうだと思います。

E イエス!

G だからこそ、1シーン、1カットで膨大な写真を撮り続け、こんな絵が出てくるんですよ。

E もうたくさん仕事をしているんだ(笑)。

G 写真のイメージには大きさがない。一方ドローイングの大きさを、原寸大にこだわるのはどうしてですか? どう違うんですか?

E 絵にはネガがない。前に大きい絵を実験的に描いてみたけど、違うんだ。やはり原寸だ。腕章には、腕章の大きさがある。それが重要だ?

G じゃあ、写真の大きさはどうなるんですか?(と言って写真集のページをめくる)。

E そら、この大きさは、これでわたしはいい。でも、これじゃないとダメだということではない。それが絵と違う。

G あなたは今まで膨大なイメージを撮ってきた。そして現実は常に流動的に新しくなっていくわけだから、それを撮り続ければ新しい写真が生まれる。あなた自身は、常に「今」だ。過去に撮ったイメージを全部見てみたいという欲望が湧くことはないのですか?

E (しばらく考えて)うーん、あるかもしれない。そう、それは考えるに値するかもしれないと、今、初めて気がついたよ。

 

写真にしかできないこと、アートであること──連立方程式を解く

 多くの人は、南部の旅写真、視点を外したアンチクライマックスなど、初期の「エグルストンの写真」を褒め、この「写真+ドローイング」の意味に隠された重要性を無視しているようにも思われた。

 エグルストンは、写真とドローイングの「対比」のアイデアはカルティエ館長エルベのものに過ぎず、しかも重要なのは「写真とドローイングは対比ではなく、無関係ということが大切なんだ」と繰り返し強調している。

 確かに、彼にとって写真とドローイングは全く別のものだ。それは彼が写真と音楽(彼は作曲もやる)が全く別のものだと言うに等しい。

 しかし、彼のドローイングは、戯れだ。まるでロラン・バルトがプレイフルに試みていたドローイングと同質の、美しい戯れなのだ。

 一見アブストラクトに見えるが、よく見ると、ある運動性を持った断片的な線や色が重なり合い、そのレイヤーの偶然性により、純粋な強度あるイメージが浮かび上がる構造を持っている。

 それは彼が被写体が何であろうと関係なくシャッターを押すタイミングと等しい関係がある。

 これがエグルストンの、写真の力の秘密の根源にある。

 インタビュー中に、エグルストンは、具体的に写真を指でなぞりながら、「ここのところだ。ここが気になる。写真も現実の様々な重なり合いを撮るものだ」と説明した。

「風景ではなく、観察」。事物が重なり合ったとき、ただイメージの強度がぐっと来る。彼はそのぐっと来る「今」に対してシャッターを押す。彼にとってドローイングは日々の快楽、そのトレーニングの痕跡なのだ。そのことを、インタビューして気づいた。

 写真は絵画をなぞってきた。風景写真やポートレートはそれだ。アブストラクトフォトだって、抽象画をなぞったものはダメだ。なぜなら、写真でしかできないことに向かわない限り、写真がコンテンポラリーアートとして進化していくことはできないからだ。

 それは一体何だろうか。

 エグルストンの戦略は、流動化する世界と並走し、「イメージの今」「イメージの純粋強度」を生け捕ることだ。その快楽の強度は、ドローイングや音楽によって日々身体化されてきたものに違いない。

 写真でなければできないことと、アートであること。

 その2つを満たす解をエグルストンは、シンプルに見つけることができた。彼の強さはそこにある。

 再度言うが、今エグルストンが重要なのは、われわれの日常生活の見方を再考させる「まなざし」を与えたことにとどまらない。それならば過去の偉大な写真家の1人に過ぎない。

 彼の重要さは、全てが流動化する中にダイブし、意味や無意識すらもデモクラティックに超えて、イメージの強度がクロスしたときに、それを「撮る」ということを徹底してやり続けることの有効さを体現したことだ。そこには、まなざしの制度化を逆手にとったアート戦略も、物語性の捏造も、キレイさっぱりない。

 彼は、「あなたは南部の写真家?」という質問に、「わたしはメトロポリタンだ。わたしは世界に住んでいる」と答えたことがある。

 いや、彼はどこにも属していまい。

 流動化し続けるポストモダンワールドを相手に、移動し続け写真を撮る。その写真はひたすら「今」というポストモダニティの産物となる。エグルストンは、来るべきアーティストたちの、先行者なのである。