【季節・夏 分類・生活(ファッション)】
項顕にす(うなじあらはにす)
傍題 髪結ぶ ポニーテール 髪だいぶ切る ベリーショート
友人Rに、またもネオ季語の相談。「ポニーテール」か「髪切る」で迷ってるんだけど、どう? 「ポニーテール」の方がキャッチーだけど実感あるのは「髪切る」なんだよなぁ、と言ったところ、「え、私は冬に切りますよ」と言う。初耳だ。「だって、夏は髪結べないと暑いじゃないですか、冬は首隠れてる方があったかいけど」と。たしかに。私はふだんショートカットで、夏になるとベリーショートになるので、「首に髪がかかるのが暑い」という考え方は同じだ。そのふたつをひとつの季語で表したいと考えた結果、「項顕にす」という言葉を開発するに至った。あらわは「顕」か「露」かで迷ったが、「露(つゆ)」が秋の季語であることから混同を避けるために「顕」を使用。「髪結ぶ」も「ベリーショート」も傍題とした。夏の季語「浴衣」や「水着」を着るときに髪をアップにするのも「項顕にす」でいけそうだ。
少し話は逸れるが、「髪洗ふ」という言葉は、今のように毎日の洗髪が一般的ではなかったころに夏の季語となった。夏場は汗をかき、頭がくさくなるから、頻繁に髪を洗わざるを得なかった。とくに髪の長い女性について用いられたようである。〈前に梳きうしろに梳きて洗ひ髪(山口波津女)〉など、「『洗ひ髪』といえば女性に限られる」(平井照敏編『新歳時記(夏)』(河出書房新社)より)のような説明をする歳時記も少なくない。要するに、女性の色っぽさの表現につかわれてきた言葉らしい。
歳時記には季語の「本意」が記載されているものがある。本意とは、その季語の持つ意味やイメージの共通理解であり、それをもとに一句の世界をつくっていくことも多い。ただ、時代に応じて新しい季語が増えるように、本意も時代とともに変容するのが当然だ。歳時記は作品(用例)ありきなので、まずは俳人が季語の本意を更新するような新しい名句をつくる、その句を歳時記に例句として採用する、本意に新しい意味が付加される、そういう順番となる。大事なのは、実作者や歳時記の編纂者がそれまでの本意をルール化しないことだ。俳句として素晴らしいことと、季語のつかい方が新しく、現代の我々の感覚にかなっていてこれからの共通認識になり得ること、その両方を兼ねる句を書こう、そんな句を見つけよう、とがんばるわけである。
「髪洗ふ」を、これからも季語としてつかっていくのだとすれば、ジェンダーレスな作品も書かれていくのがいい。その時代に応じた日本語のあり方を残していくのも俳句の役目だからだ。未来の人に「「洗ひ髪」という季語は令和あたりでも女性に対してのみ用いられたらしい」と思われるのは、私はなんかイヤだ。
というわけで、「項顕にす」は一見古めかしいし、どうしても女性のことのように見える場合もあるだろうが、性別に関わらずつかうことでネオ季語として育てていきたい。
〈例句〉
対岸のウクレレ項顕にす 佐藤文香
髪だいぶ切つてパスタにコンビーフ