前々回、町で見かけた小学生同士の会話を紹介した。
「一日に三度しゃべれば友だちさ」
「俳句だな」
そうだ、と私も思う。俳句だ。そして、小学生に向かって話しかけたくなる。偉いぞ。いいところに気がついたね。この世のすべての言葉は俳句と短歌になりつつあるんだよ。政府の首脳にもまだ知らされていないけど、プロジェクトは極秘に進行中。近い将来、それ以外の言葉は全面的に禁止となるだろう。
背が低いキリン専門家も二度見
ほら、これも俳句だ。ネットニュースの見出しを見ながら、スマートフォンの画面に向かって私は呟く。いいぞ。それにしても、「専門家も二度見」ってなんなんだ。
カメルーン代表に魔術の使用疑惑 ピッチで死んだコウモリが見つかる
こちらは短歌だな。しかも秀歌。その調子だ。でも、と心配になる。「カメルーン代表」は短歌を知っているだろうか。同じ「魔術」の仲間でも、「コウモリ」などを用いることなく、音数律による言霊だけで勝利を呼び込める日本の短歌。お薦めです。
スマートフォンの中には、無数の俳句と短歌が溢れていた。スマホは世界の窓。その世界は音数律に充たされつつある。街角の小学生は定型で語り、「俳句だな」「もちろんさ」と讃え合っている。そして、若い恋人たちは恥じらいながらお気に入りの季語を教え合う。
「好きな季語はね……」
「うん。何?」
「……『童貞聖マリア無原罪の御孕りの祝日』」
「!」
俳句形式そのものよりも長い掟破りの季語を告げられて感極まる青年の可憐さよ。どうていせいまりあむげんざいのおんやどりのいわいび。二人の未来に幸あれ。
そんな或る日のこと。久しぶりに乗ったタクシーの窓から、会社らしい建物のシャッターに貼り紙が見えた。
良質残土あげます
あれ? と思う。これは俳句でも短歌でもないな。世界規則違反じゃないか。通報すべきだろうか。いや、そうか、わかったぞ。自由律俳句だ。でも、「良質残土」ってなんなんだろう。「あげます」と云ってくれるなら貰ったほうがいいのか。何しろ「良質」だからな。そんな考えを巡らせる歌人を乗せて、タクシーは夕闇の町を突き進んでゆく。ラジオから流れる音楽は演歌もポップスもラップもすべてが七五調。ミラーの中の運転手は微笑んでいる。