パンケーキフレームワークで変化をとらえる 

第8回 『脱ハンコ』から学べること

ハンコ、捺してますでしょうか? これだけデジタル社会になってもなかなか根強い「ハンコ文化」ですね。なぜ、なくならないのかを考えると、人々が「変われない理由」の典型例を見ることができるのです。

 旧来の技術から新しい技術による移行と、それによるイノベーションが起こったときに共通して起きる旧来のやり方への固執や新しいやり方への抵抗の例として、今回は「脱ハンコ」を取り上げます。

 ハンコを廃止するという動きは、特にコロナ禍にあって多くの組織に見られたことでしょう。しかしながら依然として脱ハンコは完全に図れたわけではなく、その移行の過程は変革が起きる構図の縮図ともいえ、これまで連載で語ってきたような現象が教科書の事例のように起こります。

 

    

 変革における4つの領域をベン図型の集合を用いて、「従来できたが新たにできなくなること」(「1」の領域)と、旧来できなかったが新しくできるようになること(「3」の領域)に着目して考えるのが、本連載のフレームワークでした。

 この構図が、「脱ハンコ」でどのように起きるのかを当てはめてみましょう。コロナ禍ではリモートワークが推進され、多くの人がわざわざオフィスに出勤しなくても仕事ができる「テレワーク」が推進されました。それでも「どうしてもオフィスに行かなければならない仕事」の一つとして最後の最後まで残ったのが、「紙の書類に物理的な印鑑を押す仕事」(並びにその書類を処理したり保存したりする前後の仕事)でした。

 政府からの後押しもあり、ほとんどの書類にハンコが不要であると宣言されたにもかかわらず、このビジネス慣習は執念深く生きながらえています。既にコロナ禍が2年近く継続中の2021年末現在になっても、激減したと感じる人は少ないのではないでしょうか。なくなるどころか、脱ハンコが進んだのは結局何割かの「一部の業務」にとどまったところも多いのではないでしょうか。

 このように、「紙+ハンコ」が「デジタル書類+デジタル署名」に移行する過程で何が起こったかを振り返っておくことは、今後の様々なデジタル・トランスフォーメーション(DX)による業務改革を考える上で、大変参考になるかと思います。それは、この過程で起こったことが、特殊な事例では決してなく、DXを推進するうえで全く同様の問題に直面することが容易に予想できるからです。これまでの連載でも紹介してきたことも含めて、その典型的なパターンを挙げていきましょう。

・同じことでも新しい技術で予想される問題は、必要以上に懸念が大きい

 自動運転をはじめとする機械化や自動化の際に機械の不具合があると、「それ見たことか、やはり人間がやった方が心配ない」という意見が多数出ます。しかし、人間こそ疲労や睡眠不足、あるいは飲酒等によって、正常な操作ができないことが多発しています。

 脱ハンコで議論されるこの手の懸念というのは、例えば「デジタルはなりすましが可能である」というものですが、これこそハンコの最も弱い部分であり、最大の課題とも言えます。

 出先など、すぐに印鑑が使えない状況で押印が必要な場面で、「近所のハンコ屋で自分の名前の印鑑を調達して代用した」経験がある人もいるのではないでしょうか。印鑑証明の必要な実印でもない限り、「本人確認の手段」として、むしろ印鑑ほど脆弱性のあるものはないと言ってもよいでしょう。それなのに、デジタル化した途端にいきなりセキュリティの脆弱性が「できない理由」として挙げられてしまうのです。

・「なぜハンコが必須なのか?」を説明できる人が、実はほとんどいない

 誰かが「ハンコ不要論」を唱えたとしましょう。何人かは「いやそれはルールで決まっている」と言いますが、「なぜ」そのルールが必須であるのか説明できる人はあまりいません。例えば(特定の書類が次に送られる)「〇〇部門が必要だと言っている」と答えられる人は多くいますが、それが「なぜ必要なのか?」を答えられる人は一気に少なくなることでしょう。

 このように「なぜのなぜ?」までいくと、答えられる人はどんどん少なくなっていきます。「○○部門が必要だと言っている」をさかのぼっていって当の○○部門に聞くと、今度はその隣の「××部門が必要だと言っている」となり、これが伝言ゲームのように連なり、その行き着く先は「幽霊の正体見たり枯れ尾花」(結局最後には誰も絶対に必要だと言っている人はいなかった)といったことも多いのではないでしょうか。

 特にコロナ禍においては、「最後に行き着く先の理由」として強力であった法律や政府の要求というところが多数撤廃されたこともあって、おそらく日本中に「枯れ尾花」が出現したと思われます(ここまでたどり着くことなく、「誰も知らない理由」によって阻まれている「脱ハンコ」も多いのではないでしょうか)。

・デジタル化してもはじめは「外枠」は変わらない

「電子署名」ということで、ハンコの印影を電子化して、電子化された書類の「押印欄」にそのままペーストするという、「笑えない電子化」もデジタル化初期にはよく見られるのではないでしょうか。

 デジタル化するということは、物理的にやっていることを「そのまま」電子化するのではなく、デジタルでしかできないやり方で承認等のプロセスを再設計することが本来のはずですが、表層的なデジタル化では、とかくこのようなことが起きるというのも、本連載で示してきた通りです。

・「上位目的」を考えることの重要性

 上記の「そのままデジタル化」が起きる原因の一つがこれで、目的を考えずに手段の置き換えだけをしようとするとこのような落とし穴にはまります。ハンコを押すことの目的として、例えば前述の「本人確認」があるのであれば、そもそも電子的には他の方法も存在するわけで、必ずしも「電子印影」である必要はないのです。

・「論理的な理由が存在する」よりも、「皆がそう思っている」ことが重要

 人間社会に存在する規範やルールというのは、「論理的に明確な理由が存在するから」ではなく、(揺るぎがたい論理的な理由があろうがなかろうが)「皆がそう思っている」ことが重要なことが多いのです。

 例えば男性の正装の象徴としての「スーツ+ネクタイ」というのは、なぜそれが正装として認められ、儀式にノーネクタイで現れた人は無礼で非常識であると思われるかという理由を論理的に説明できる人はいるでしょうか? ドレスコードで書かれている場合を除いては、それを明確に説明できる人はあまりいないでしょう。要はこれも、「皆がそう思っているから」としか最終的に説明ができないのです。たとえドレスコードに記載されていたとしても、さらにそこに「なぜ?」と突っ込みを入れれば、結局は上と同じ話になっていくことかと思います。

 このように、新しい技術や価値観への移行が難しいのは、規範やルールの根拠が希薄になっているにもかかわらず、人々の心に居座り続ける共同幻想が大きな抵抗要因として働くからです。「脱ハンコ」に関しても、なぜ「ハンコがやめられないのか?」への答えは、「皆がやめられないと思っているから」が実は適切な説明となるのではないでしょうか。