昨日、なに読んだ?

File80. 何かを変えるための勇気とヒントをくれる本
朴沙羅『ヘルシンキ 生活の練習』

紙の単行本、文庫本、デジタルのスマホ、タブレット、電子ブックリーダー…かたちは変われど、ひとはいつだって本を読む。気になるあのひとはどんな本を読んでいる? 各界で活躍されている方たちが読みたてホヤホヤをそっと教えてくれるリレー書評。三省堂書店成城店の大塚さんが、『ヘルシンキ 生活の練習』を読んで考えたこと、思い出したことを丹念に書いてくださいました。

 30代半ばをすぎたころ、自分は子どもをもたずに生きるのかもしれないとはじめて思った。子どもがほしいと感じたことは一度もない。怖かったのは、子どもを産まない人生を死ぬまで送る覚悟が、まったくできていないと気づいたことと、それをいつか目の前の恋人のせいにするかもしれない自分だった。いくつかの別離と出会いを経て、子どもを産んだのは8年近く前になる。

 子どもをもつまで、自分はよりよい暮らしを選ぶ権利を、他人に迷惑をかけることなく行使していると考えていた。しかし育児はあまりに予測不能な肉体労働であり、自分ひとりの力ではとても背負いきれない。母となった自分の前に、家族や友人などの私的な救済だけでなく、公的な制度やその仕組み、人間ひとりをとり囲むこの社会なるものの姿が、表情をもって現れはじめた。

 先日、新幹線の車内で会話のできない乳児に、長時間話しかける母親を非難した芸能人の発言が議論となった。話しかけることで言葉を教えていると解釈されていたが、おそらくそうではなく、車内で乳児が泣き出すことのないよう、必死にあやしていたのだろう。乳児を連れての公共交通機関の利用は、苦行であり恐怖だ。睨まれる、舌打ちされる、座席を蹴られる、暴言を吐かれる、母親はそのどれもを予期している。できるだけそのような事態が起こらないように、子どもと自分の精神を守れるように、母親はたくさんの小さな武器を携え、交通機関を利用するのだ。

 『ヘルシンキ 生活の練習』で、フィンランドの長距離電車に設けられた「子ども車両」についての記述を読みながら、この発言を思い出した。滑り台や知育玩具が備え付けられたこの車両は、とくに工夫もなくかわいらしいわけでもないが、通常の乗車料金を払えば、子どもなら誰でも利用できるのだという。

 〈おおまかな工夫をすることによって多様なニーズに応えられるのと、そのおおまかな工夫のなさを個々人がイライラしあったり責めあったりしてカバーするのと、どっちが好きかと言われたら、私は前者のほうが好きだ。〉

 この国の普通列車に子どものための車両はなく、できる予定もないだろう。ただ個人の努力と忍耐によって、かろうじて平穏が保たれるような現場や問題について、いよいよ仕組みから考え直す時期がきているように思う。乳児を連れて新幹線に乗る母親が悪い、母親に対する想像力のない芸能人が悪い、と安易な二項にかえすのではなく、その先の解決策を互いに協力して探ることを、そろそろはじめてもいいのではないか。

 在日コリアンの出自をもつ著者が、この国にはびこる差別から距離をおくため、子どもと移住したヘルシンキで感じた二つの国の違いを、ニュートラルに映し出した本書から、受けとったキーワードが三つある。「自立」と「仕組み」、そして「技術」だ。

 〈自立とは他人に頼ること〉であるという教えを再確認する序盤から、母親として安定するために〈助けてくれる人や仕組みが必要〉と理解する中盤、「技術」とは、思いやりや感受性を個々の性質ととらえるのではなく、〈練習することが可能な技術〉ととらえることで、問題解決のための道筋をともに見出すことが可能な、フィンランドの教育のあり方によるものである。各章に多彩な気づきがあり、何かを変えるための勇気とヒントを得た。

 子どもを産んだことを後悔してはいない。ただ、子どもをもたないことを選べなかった自分が、いまも一人でどこかに生きているような気がしている。子どもを産まなければ女性として、人間として見放されると思いこんでいた。〈どんなふうに生きようとも、あなたは世界に歓迎されている〉と語りかけられたいまなら、あのときは耳をかたむけることができなかったさまざまな女性の声を、聞きとることができるのかもしれないと思う。

関連書籍

朴 沙羅

ヘルシンキ 生活の練習 (単行本)

筑摩書房

¥1,980

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