私たちの生存戦略

第三回 家族=呪いの輪

日本アニメ界の鬼才・幾原邦彦。代表作『輪るピングドラム』10周年記念プロジェクトである、映画『RE:cycle of the PENGUINDRUM』前・後編の公開をうけて、気鋭の文筆家が幾原監督の他作品にもふれつつ、『輪るピングドラム』その可能性の中心を読み解きます。

家族とは時に、まるで呪いのようである。
もしかしたら、ある日あなたは気がついてしまうかもしれないのだ。憎んだものとまるで同じことをしている自分に。かつて被害者であった自分が、いつの間にか加害者になっていることに。あたかも循環する呪いの輪に閉じ込められているかのように。
そんなに恐ろしいことはない。そんなに悲しいことはない。苦しんだからこそ、自分を苦しめた当のものと似てしまう――これほど残酷なことが、一体他にあるだろうか?


家族という「呪いの輪」を描く物語:『輪るピングドラム』
2011年に放映された、幾原邦彦監督による全24話のテレビアニメシリーズ『輪るピングドラム』(略称ピンドラ)――それは、家族という名の「呪いの輪」を描く物語であった。
犯罪加害者の子ども達を中心として、「家族」をめぐる苦しみを様々な角度から描くこの物語は、被害と加害の入れ子構造こそを描く。
すなわち連鎖してやまない苦しみを描く物語であった。傷つけられた人が、自分を傷つけた当のものと同じ行動をしてしまう、その種の残酷さをあますところなく描くものであった。
加害者の子ども達――高倉冠葉、高倉晶馬、高倉陽毬――と、被害者遺族――荻野目苹果――については前回すでに紹介している。各々別の仕方ではあれ、家族に囚われてやまず、何者にもなれないという苦しみを彼ないし彼女らは抱えていたのだった。
きっと何者にもなれないお前たちに告げる、とその物語は言う。
だから今回触れるのは、憎んでやまない当のもの以外の何者にもなれない、という類の苦しみを抱えた人々についてである。