私たちの生存戦略

第五回 少女革命とテロリズム

日本アニメ界の鬼才・幾原邦彦。代表作『輪るピングドラム』10周年記念プロジェクトである、映画『RE:cycle of the PENGUINDRUM』前・後編の公開をうけて、気鋭の文筆家が幾原監督の他作品にもふれつつ、『輪るピングドラム』その可能性の中心を読み解きます。

ところでなぜ、『輪るピングドラム』はテロリズムの物語だったんだろう?
物語は「家族」をめぐる問題を描きながら、同時にこの世界の残酷さに耐えかねた人々によるテロルを描くものでもあった。だが、かつて『少女革命ウテナ』で、一人の女性が解放される様、抑圧され狭い棺の中に閉じ込められるようにしていたその世界が革命される様を描いた監督の次の作品は、なぜテロルを扱うものだったのか?
それはひとつには、『輪るピングドラム』が兄の物語だったからである。
妹の解放には少女革命が必要だったが、兄の解放にはおそらくテロリズムに限りなく近づいていく「自己犠牲」を選ぶ他なかったからである。

少女革命ウテナにおける二人の「花嫁」
さて、『少女革命ウテナ』とは、「お姫様」の呪いを解く物語であった。
家父長制における「花嫁」は、お姫様の呪いにかけられている。
たとえば「花嫁」は、家と家の間で物のようにやり取りされることがままあるだろう。家柄が良い、ないしは見目麗しい「花嫁」は、あたかも出世した男性が獲得するトロフィーのように扱われることもあるだろう。あるいは、他人の様々な願望を反映する鏡のように、身勝手な理想を押し付けられることも、憎悪を向けられることもあるだろう。
いずれにせよ彼女自身の意思は省みられない。与えられた役割に縛り付けられ、力を奪われ、軽んじられる。過度に理想化され、規範から外れれば魔女として罵られる。にもかかわらず「花嫁」は幸せの象徴でもある。彼女の苦痛は看過される。そして幸福と牢獄の区別がつかなくなっていくのだ。あたかも美しい棺の中に閉じ込められるかのように。
それは「お姫様」の呪いである。
『少女革命ウテナ』においてこの呪いにかけられていたのは、姫宮アンシーという名の少女であった。物語は姫宮アンシーがある少女に解放される様を描く。彼女の痛みに寄り添い、彼女を苦しめる女性性の規範を破壊せしめる少女によって、ついに世界は革命されるのだ。

一方で、「王子様」の呪いというものもある。
姫宮アンシーの兄である鳳暁生がかかっていたのは、この呪いであった。彼は人から、まるで王子様のように振る舞うことを求められているのを知っていた。とびきり魅力的で、白馬に乗って颯爽と現れ、お姫様を救ってくれる完璧な存在――彼がかけられていたのは、王子様ではないにもかかわらず「王子様」から降りることができないという呪いであった。
呪いにかけられている彼は、もちろん王子様として振る舞う。
けれども実際のところ、彼は物語の舞台となる鳳学園という「学園」の中でのみ通じる権力を持っているに過ぎない。要するに子どもたちの中でのみ権力者として振る舞える、惨めな大人に過ぎない。そしてその権力の基盤すら、脆弱なものでしかない。
というのも、彼が「理事長」でいられるのは、鳳学園の理事長の娘と婚約しているからである。そして彼がその母親と寝ていて、本当の「理事長」が健康に務めを果たせることを阻害しているからなのである。
それは悪意に満ちた策略のようだけど、別の角度から見れば、いかにも惨めである。
彼は権力を持たないが故に、自分よりずっと年上の人間と寝て、好きでもない人間と婚約しなければならない。自分の性的魅力を売り物のように使わなければならない。他に何もないから。性的魅力以外に、権力者と結婚する以外に、力を持つ手段がなかったから。
彼はまるで金も力も持たず、好きでもない男と結婚しなければならず、にもかかわらずあたかも幸福な権力者のように言祝がれ、苦悩を看過されてやまない「花嫁」そのものである。
だから実は、少女革命ウテナという物語の「花嫁」は二人いたのだ。
一人は姫宮アンシーという少女であり、もう一人は鳳暁生という大人の男性である。