私たちの生存戦略

第三回 家族=呪いの輪

日本アニメ界の鬼才・幾原邦彦。代表作『輪るピングドラム』10周年記念プロジェクトである、映画『RE:cycle of the PENGUINDRUM』前・後編の公開をうけて、気鋭の文筆家が幾原監督の他作品にもふれつつ、『輪るピングドラム』その可能性の中心を読み解きます。

生存戦略とは何か
物語では、変身を遂げるシーンの始まりにあたって「生存戦略」と叫ばれる。
印象的な仕方で幾度となく使用されるこの言葉は、物語の中で特に説明されていない。けれども、こうして主要人物らについて紐解けば、この言葉の意味は明らかである。
人は自ら選んだわけではないものによって、否応なく規定されている。
たとえば高倉冠葉が懸命に「良い長男」であろうとしたように、高倉陽毬が「良い妹」、荻野目苹果が「桃果」であろうとしたように、人は必死に何かになろうとする。
傷ついた自分を守るために、非合理的な妄想に囚われ、常軌を逸した行動に出ることもある(荻野目苹果のストーキング)。あるいは、生まれ落ちた環境の負荷に耐えかねて苦しみ、自罰的な思考に陥ることもある(高倉晶馬の罪責感)。虐待やトラウマによって、自分を苦しめた当のものに似てしまうことさえある(夏芽真砂子、時籠ゆり、多蕗桂樹)。
どれほど傍目には正しくないものに、奇妙で非合理的なものに見えたとしても、その人が生き抜くために選び取った考えがある。行動がある。その背景には自分では選ぶことのできなかった環境があり、望んだわけではないトラウマがある。
つまり生きぬくための様々な行動を、人は自ら選び、同時に選ばされているのだ。
まるで遺伝子にあらかじめプログラムされていて、とはいえその瞬間には生き延びることを目的とした決死の戦略行動のように。
だから「生存戦略」とは、囚われながらもなお生き延びようともがくことに他ならない。
家族の逃れがたい影響を、その呪いの連鎖を精緻に描きながら、同時に呪いの輪からどうにか抜け出すべくもがく物語こそ『輪るピングドラム』である。
であれば、物語の中で「生存戦略」という言葉が繰り返されるのは、全く当然だったのだ。


家族という名の呪いの輪から、どうすれば脱出できるのだろう?
脱出の方法なんてあるのか? 桃果の書き換えが全てを救ったわけではないとしたら、他に何があり得るだろう、生存戦略の行き着く先はどこだろう?
実は、物語で繰り返される「ピングドラムを手に入れるのだ」という謎めいた言葉は全て、この困難な問いを巡るものなのである。