昨日、なに読んだ?

File85. 家をおっ建てたくなったときに読む本
読売新聞社会部『日本の土』(東京大学出版会) /後藤暢子・後藤幸子・後藤文子+伊東豊雄『中野本町の家』(住まいの図書出版局) /トマス・ウルフ『天使よ故郷を見よ』上・下(大沢衛訳、講談社文芸文庫)

紙の単行本、文庫本、デジタルのスマホ、タブレット、電子ブックリーダー…かたちは変われど、ひとはいつだって本を読む。気になるあのひとはどんな本を読んでいる? 各界で活躍されている方たちがおススメ書籍をそっと教えてくれるリレー書評。今回ご登場いただくのは、『蹴爪』『震える虹彩』など、精力的に作品を発表し続けている、作家の水原涼さんです。


 同級生はだいたい自分の部屋というのを持っていた。私はきょうだいが多く、当時住んでた借家は狭く、物心ついてからもしばらく兄と二人部屋だった。長姉が進学で家を出て、彼女の部屋に兄が移ることで、ようやく私は自分ひとりの部屋を得た、のだが、兄はそれまでの惰性のように我が物顔で私の部屋に入ってくる。私はけっきょく、自分が進学で郷里を出るまで、ここは自分の部屋だ、と思える空間を手に入れることはなかった。
 それから十数年経った今、私は東京のマンションの一室でこの文章を書いている。生まれてから三十三年、私は私の人生を生きていて、それは、私以外のどの人も同じだ。
「われわれは、われわれの生のあらゆる瞬間の総和なのだ」というのは、トマス・ウルフ『天使よ故郷を見よ』(大沢衛訳、講談社文芸文庫)の冒頭、「読者に」と題された章の一節だ。二十世紀初頭のアメリカを代表する小説家の一人であるウルフは、〈伝記不要の小説家〉などと揶揄されるとおり、自身の全人生──〈生のあらゆる瞬間〉をあまさず書きこむことをめざして小説を書いた。
 自分の部屋どころか机ももたず、冷蔵庫の天板で執筆した、自伝的な内容故にプライバシー訴訟を起こされかけた、伝説的な編集者マックス・パーキンスと父子のように密着した関係を築いた、と、彼自身にまつわる逸話はいくつもあるが、本作は、そういった出来事より前、ウルフ自身を投影した主人公ユウジーン・ガント(後期の作品ではジョージ・ウェバー)の二十歳までの人生を描いた連作長篇の最初のひとつだ。
 どんな小説にも適切な長さがあり、ウルフが志向したように、ある人物の生をとじこめる、生(活)を小説のなかに仮構するには、その重荷に耐えるだけの巨大な器が必要だ。
 ユウジーンは著者と同じく一九〇〇年に生まれ、母の経営する下宿屋で育ち、二十歳で大学を卒業した。その間に二人の兄を亡くした。屈強な石工だった父親も病を得て衰弱していった。恋をし、手ひどく裏切られ、また恋をした。第一次世界大戦がはじまり、終わった。
 その過程でユウジーンが見、聞き、触れ、感じたことが、本作には余さず描き込まれている。

 ひっそりした道だとか、月の照る森林地だとか、地上のありふれた一切の物をユウジーンは異様ななじみ深さで思い出す──そしていつかそこへ歩いて行って見ようと思う。行ってみてちっとも変わっていないことを知る。幻でみたままのものをそこに認めてはっと驚くのである。そうした道や林は彼のために大昔からずっとあったわけなのだ。

 もちろん道や林はユウジーンのためにあるわけではない、だが、ユウジーンにとってはこれが真実だ。一人の人が認識できるのはひとつひとつの瞬間に目の前にあるもののことでしかなく、そこから先はすべて想像力の産物だ。
 本作のおわり、長い人生の途中の区切りにさしかかって、ユウジーンは、死んだ兄ベンの幻影と対話する。

「何を思い出したいのだ?」
 石ひとつ、葉ひとつ、見出だされぬ扉一つ。そして、忘られた顔と顔。
「僕は名前を忘れ、顔を忘れ、ささやかな追憶を忘れる。桃にとまったところをそのまま呑み込んでしまったあの蠅のことは覚えている。セント・ルイスで三輪車に乗っていた少年のことを覚えている。グローヴァ兄さんの襟首にあったほくろを覚えている。ガルフポート附近の待避線にいた一六三五六号の、ラッカワンナ貨車のことを覚えている。フランスへゆく濠州兵がノーフォークで波止場の道をたずねたその顔を憶えている。」

 私はここでユウジーンがつぶやくさまざまな瞬間を、たしかに読んだ。しかし、大部の小説の記述のすべてを記憶にとどめることなんて無理だ。だからときどき遡って描写をたしかめる。もう一度それを見る。この人生を生きたユウジーン/ウルフと違って、読者にはそういうことができる。
 つぶさに描写されるひとつひとつを思い描きながら、ユウジーンとともに彼の生を生きるのもよい。しかし本作を成立させているのは何よりも、ときに耽美にすぎるような叙情的な言葉のつらなりだ。要約すればほんの数行で終わるのに、引用をはじめようとするとすぐ何ページも必要になる。
 言葉の怒濤に身をゆだね、酩酊すること。テーマもストーリーも必要ない。人ひとりの人生を閉じ込めた文章はそれだけでひとつの大伽藍だ。家をおっ建てられなくても、ひとまず私は小説で、後世まで残る大伽藍をおっ建ててみっか、と思いついたが、そっちのほうがよっぽど難しいかな。
 

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