雲にハサミを入れる po/e/t/ry

ビデオテープ
「雲にハサミを入れる —po/e/t/ry—」①

詩人の岡本啓さんの連載を始めます。皆さんの知り合いに「詩人」はいますか? 存在は知られているのに、実際どんな生活を送り、どうやって作品を書いているのかが知られていない「詩人」。その生活について、言葉について、創作について。現代詩の各賞を総なめにし、いま注目の詩人である岡本啓さんによるエッセイの連載です。ぜひお読みください。(タイトルデザイン:惣田紗希)

 いつのまに詩人になったの。ともだちにきかれた。

 ひさしぶりのともだちに会うときは、どきどきする。話しはじめてしまうと驚くほど昔のまま。いつかのふたりの空気になる。いったいどこにいたんだろう。ひさしく見当たらなかった自分がみつかる。大学のころは、詩にも文学にも興味がなかった。ともだちは気になってぼくにたずねる。十年くらい前、詩の雑誌に投稿して、で、それでなったんだよね。ぼくはこたえる。わずかに詩を書く現在の面持ちになって。あらわれるのはともだちの知らなかった顔だから、会話の流れがすこしゆっくりになる。コップの氷がたてるおとも聞こえてくる。

 詩について聞かれると、冬でも大汗をかいてしまう。子どもを保育園に迎えにいったさいの立ち話、あるいは、はじめてだれかに会うときなんか。詩人なんですか。そうなんです、なんだか変なのですけど、とか、そうそう、びっくりだよねとか。まごついて、いらない言葉をつけくわえる。でもおもうのだ。詩人なんて自分をいうひとが目の前にいたらどうすればいいのだろうと。ぼくも詩を書きだすまえは、この時代に詩人がいるなんて考えもしなかった。だからそんな当時のぼくみたいなひとに、いまの自分についてどう説明すればいいか、いつもとまどう。

 と同時におもう。ともだちやみんなの、わかった、なるほど、とぱっとあかるむ顔がみたい。だけどいつもなかなかうまくいかない。それなら思い出しながら書いておこう、こうおもった。詩について知ってもらうばかりでなく、ぼくの未来の自己紹介の練習にだってなるかもしれない。

 まずはここから話そうか。ビデオテープ。黒いケースのなかの磁性体に信号が記録されている。ふるとカチャカチャ安っぽい音の鳴るなつかしいあれ。あれをデッキに差しいれ再生する。

 2000年代中頃、あのころは、ビデオテープがDVDに置き換わるタイミングで、レンタルビデオショップの軒先には、百円均一のカゴが並んでいた。蛍光灯で褪色した『アンダーグラウンド』や『緑の光線』が、国道沿いで埃をかぶって、さらに西日にやられていた。さわるとジャケットケースに被さったビニールがボロボロくだけ、手のなかにこぼれた。観ておきたい映画がレンタル落ちになっていないか巡るうちに、貼り紙をみつけ、町の小さなレンタルビデオ屋でアルバイトをはじめた。

 平日の昼すぎは、時間がとまったようなお店だった。返却があると、射しこむ光にきらめく盤面をかたむけて、傷を一枚一枚確認した。傷ついた盤面には、豆粒大の研磨剤をチューブから押しだし、機械で研磨する。

 大学時代、ぼくは落第生だったけど、それでも少しかじったドイツ観念論の用語、絶対性とか、現存在とか、普通には通じない言葉で頭がいっぱいだった。昼下がりの店内で、足立区で有名らしい姉御肌の吉川さんと、とりとめもない会話をしながら、傷だらけの盤面をいく日もいく日もなめらかにしていくうちに、通じない言葉はきれいに拭いさられて、ひっかかるところがなくなった。

 大学は終わろうとするのに、就職活動にうごきだそうともせず、卒業後もぶらぶらそこにいた。ぎりぎり生きていけるくらいしか働かず、卒業証書はとりにいかなかった。自分の人生でなにも始めたいとはおもわなかった。

 ときおりお店になにかが起こった。売上の持ち逃げ、犯人は、北海道から上京したばかりの夜勤の女の子。まさか、とか、ね、あやしいとおもっていたとか、にわかにアルバイトは活気づいた。一、二週間もすると、また会話に余白が目立ちはじめ、うわさばなしは埃の表面にきえていった。しばらくしずかな時間がきて、こんどはアニメ好きの店長の自殺があった。はち切れそうだった彼のベルト、その大柄な身体が風船みたいにふくらみ、ほんとうにベルトがはち切れて、ある日いきなり消滅してしまったかのようだった。ショックはうけなかった。だけど、こんどはだれも、話すことはあまりなかった。

 店員としての仕事は、返却されたDVDをすばやくジャケットのある位置の棚にもどす。迷わない。それが重要だった。だけどそんなことは、この店を一歩でたらなんになるんだろう。働くひとだれも、頭の片隅でこのことがよぎっていた。時間をぼくらは貸し出しているんじゃないか。見上げると、蛍光灯のそばにいつも空虚ななにかが浮かんでいて、おりてくることはなかった。

 ビデオからDVD、それからオンラインへ、物体はもはやこの世に必須ではなくなっていた。やがて、そのお店はツタヤに吸収された。だからツタヤの店員になった。挨拶の研修があって、支給された制服を着て、ぼくはいくどもハキのない声をだしていた。1980年代から日本全国をキノコのように覆っていったレンタルビデオショップの時代は、終わろうとしていた。けれど、ぼくは一人の変化することのない自分で、あたらしくなろうとする人物はここにいなかった。ピンで留められた名札がそれを教えていた。