雲にハサミを入れる po/e/t/ry

透明人間
「雲にハサミを入れる —po/e/t/ry—」②

いま注目の詩人である岡本啓さんによるエッセイの連載第二回です。今回は、詩を書き始めた頃の話。詩を書き始めたきっかけや、詩が雑誌に載った! という話。ぜひお読みください。(タイトルデザイン:惣田紗希)

 その本棚は、ゆっくりゆっくり傾いていった。

 ホームセンターで一番安い集積材を買ってきて、ぼくは日曜大工をした。平日のあかるいひかりのなかで。

 まだ詩を書きはじめる前のはなしだ。二十代の中頃、アルバイトを入れていない日、つまりは大半の日、ぼくは東京の町の隅を徘徊していた。団地や住宅街で不審者に注意という言葉をみかけるたびにぼくは困った。自分こそが、不思議な時間にうろつく不審なおとこだから。職務質問にどうこたえよう。いつも自分を紹介する言葉をもたなかった。

 目的もなくひたすら歩くのはむずかしい。そのうち古本屋が目的地になった。お店では、だれに話しかけられることもなく、本の背表紙も物静か。それにそのころはまだどんな駅の近くにも小さな古本屋が一軒はあった。だから、どこへいくにもそれは目的地として都合がよかったのだ。ほんとうには目的がないから、値段を見比べてみることだってできた。ぼんやり古本屋さんごとの値つけをながめる。お客さんは自分一人、店主が一人、静かすぎて気がひけるようなお店では、一冊だけ安いものを選ぶ。それが溜まってきて、やがて本棚が必要になった。

 時代においつかないものばかりだけど、小説やエッセイ、文章を読むようになった。ただ、それを読む自分自身は、どんなときも本のなかの人々とちがって、はっきりした意志がなかった。うれしいとか、かなしいとか、本のなかの言葉がその言葉によって醸しだすほどは、自分の感情はいつであっても明瞭でないようにおもわれた。登場人物のように行動にもでない。それなのに、唯一の自分に世界はべっとりくっついて、決してはがれることがない。自分はとても物語になりそうにない人物だった。 

 小さな本棚は、黄茶けた本でふさがってきた。部屋の片隅に陣取っていた自分だけのお手製の本棚。それは傾いていた。ある日とつぜんその歪みに気づいたというわけではない。物語でみかけるはなしと現実はちがって、つくったときから、ぼくは長持ちしないことはわかっていた。ぼくは、何年もかけて釘がゆるみ、少しずつひしゃげていく姿を、何年もかけてみていた。それなのに、歪んでしまうと、全部の背表紙が、首をかしげて、ぼくになにかをたずねているようだった。

 詩にいつ興味をもったのだろう。ぼくは日記をつけない。自分について記す習慣がないと、ふりかえっても時間の流れはおぼろで、過去は湖のようにぼんやりひろがるだけだ。どうしてぼくは詩を書いたのだろう。ただただ書いたとしかいえないといつも思う。詩に関することで、あのころなにが波紋をたてただろうか。

 そうだった、忘れていた。セミフ・カプランオール、トルコの映画監督だ。あの時期、彼のユスフ三部作というのが働いていたレンタルビデオ店に入荷したのだ。たしか主人公の名が、すべてユスフだった。気になって借りた。その青年期を描いた『ミルク』。ユスフ青年は、詩の雑誌に投稿しているのだ。掲載されて、よろこびで田舎道で叫びあがる。で、それを友人に見せる。自分の詩を読む友人を見つめるユスフのその冷めた目線。ユスフは、そのシーンで、もはやだれもが自己投影できる主人公ではなくなっていた。よい映画だった。

 詩がある映画を見ながら、自分も詩を書こうと思いたった、その覚えはないのだ。だけどわからない、記憶がないだけで、自分という湖のふかい底では、書くことを勇気づけられたのかもしれない。詩は元手が0なのがいい。とにかくお金のない自分にぴったりだった。詩と自分がおもうなにかを書いた。書いたら、すぐだれかに読んでほしくなった。投稿してみようとおもった。『現代詩手帖』と『ユリイカ』。現代詩と呼ばれるものが、なにかは知らなかったけれど、詩であればなにを書いてもいい。

 疑問はあった。自由であるがゆえに、もはや目指すべきなにかのなくなったこの現代で、ある作品がよいかわるいかなんていうことができるんだろうか。投稿するにも勇気がいった。ネタを書いて、ポストに投函する。二月分おくった。ラジオみたいじゃないか。ラジオにも投稿したことがなかった。卒業論文を書いて以来、文章を書いたことがなかったのだ。

 月末の発売日に、本屋でうまれてはじめて文芸雑誌のコーナーにいった。巻末の投稿欄をひらいて目をこらす。めくり返し、くまなくさがす。どこにも載ってなかった。もうやめようとおもった。才能がないんだ。いや、選ぶひとがわかっていないんだ。落胆と不満。

 詩はもう書かない。すぐぼくは詩をあきらめた。ただ、翌月の発売日にも、念のためまた新刊書店によって雑誌をひらいた。と、ちいさく見かけた。岡本啓。ある。ある。活字になった詩がまぶしくそこにあった。そうなのだ。この地上で、本屋のなかにぼくの詩があった。まぎれもなく。

 あたりを見回した。書棚のまえにぽつぽつひとがいた。かすかなBGMのおとも。すると肉体をもつぼくから、とつぜん署名のぼくがわかれて、あたらしいひとがうまれたような感覚がおとずれた。雑誌を握りしめて、ぼくはレジに並んだ。そのときすぐ背中を、透明人間になったもうひとりのぼくが歩いていった。おともなく。あかるい出口にむかって。こんなことは生きてきて一度もなかった。舞いあがった。28年生きたなかでとびきり一番。ぼくは詩を書くようになった。