妄想古典教室

第十一回 鏡よ、鏡よ、神々よ

映らない鏡
 ところで、神社に置かれた鏡はなにかを映すものなのだろうか。それとも映すつもりのない鏡なのだろうか。和辻哲郎は『日本倫理思想史』のなかで、神鏡は映らないことにその神秘性があると述べている。映らなくても、鏡であれば、それが神器なのだ、という。弥生時代の遺物として出土された銅鐸や銅鉾が「鳴らない楽器」であったり、「使えない武器」であったりしたように銅鏡は、「うつらない鏡」ではないまでも少なくとも「うつさない鏡」であったというのである。和辻は、この「使えないもの」こそが、これらの銅器を聖なるものの象徴形式として祭儀的に機能させるとし、すでに映らなくても鏡であればそれが神器なのだという神をめぐる心性を言い当てようとする。

当時のシナにおいて鏡が顔をうつす道具であったことは疑いのないところであるが、しかしわが国の鏡は、「うつらない鏡」ではないまでも少なくとも「うつさない鏡」であったらしい。鏡の遺品のうちには鈕の著しく摩滅したものがあって、恐らく所有者は鏡を胸に懸けて歩いたのであろうという推測を喚び起こしている。胸に懸ける場合には、もちろん磨いた面を外に向けるのである。それは円形の輝くものとして、太陽と同じく、人に神秘的な威力を印象したのであろう。古墳の副葬品として見いだされる場合にも、シナの古墳におけるごとく化粧道具の一つとして埋められているのではなく、死者を護る呪力的なものとして死骸の中枢的な場所に置かれているのが認められた。(「日本倫理思想史上」『和辻哲郎全集』第十二巻、岩波書店、1962年)

 つまり、鏡は丸くて光るものでありさえすれば、それで呪力をたたえることになったというのだ。とはいっても、たとえば『土佐日記』につづられた西海の舟旅で、海を静めるために鏡を奉納するのも映らない鏡でよかったのかどうか。「眼もこそ二つあれ、ただ一つある鏡を奉る」として、眼であっても二つあるものが、ただ一つしかない鏡を奉るのだといかにも口惜しそうに海に沈められた鏡は「眼」と喩的連想の糸で結ばれているのだから、眼のように明らかに見えるものでなければならなかったのではないだろうか。海の神に宝物たる鏡を捧げて海に沈めれば、やがて神の怒りが鎮まり、海が「鏡の面」のごとく静まると考えられた。そのことを、こんな歌で表現している。

ちはやぶる神の心を荒るる海に鏡を入れてかつ見つるかな

 鏡が「眼」と関わる「見る」ことに分かち難く結ばれていることを思うと、瞳のように世界を映すことがまずは前提条件であるように思えてくる。
  和辻のあげる銅鉾の例は「武器としては到底役立たないほど広い刃を持つ」ものや、「驚くべき巨大なもの」として、確かに武器として有用性に乏しそうであるのに対して、鏡の例の場合、「うつらない鏡」を「少なくとも「うつさない鏡」」と言い換えて、ずらしているのだが、これは小さくない差異である。和辻は「うつさない鏡」の例として、お守りとして胸にかけて用いられた鏡を挙げているが、それが身を守る呪的なものであるならば、少なくとも鏡はよく磨かれた光るものでなければなかったはずだ。よく磨かれた光る鏡なら、「うつさない鏡」かもしれないが「うつらない鏡」ではない。
 ちなみに、鏡の光をあつめる機能を利用したのが平等院鳳凰堂である。鳳凰堂では、薄暗い堂内を明るくみせるために、影像を映すことを目的としていない装飾用の小さな鏡が天蓋にたくさん張り付けられている。反射鏡として用いられたその鏡面は太陽や月に代わってあふれる光を演出する。言うまでもなく反射鏡は姿見としての役にはたたないものの、光を映しこむための装置である。首からかけた魔除けの鏡も同様に、光を反射させる機能はあったろう。その意味で和辻のいう「うつさない鏡」とは、単に姿見の用をなすためのものではないものという以上のものではないということになる。

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