旅を続けながら、ぼうっとする技術が徐々に上がっていったように思う。カナダのあとに訪れたカウアイ島では、一日中海辺で、いわゆる解脱状態で寝そべり続けた。目の前に海辺があるというのに、そして50メートル先には、憧れの、海辺で読書して過ごす人々がごろごろといるのに。いまこそフレンチスタイルで読書する絶好のチャンスだったにも関わらず、わたしは解脱の道を選んだ。もういいんだ、なんもしないで。泳ぐか寝るかビールを飲むか、最高の日々を過ごした。サルになっていく気がした。
そして、この旅の最終地ハワイ島で、わたしは初めて、活字を欲したのである。滞在は山の中だった。わたしが宿泊することになっていたゲストハウスは、また随分と山の中にあった。歩いては決して行けない。舗装されていない道路が続く、山道を、車でぐんぐんと突き進む。もう行き止まりか、という地点からさらにまだ奥へ進む。深い竹やぶを通過して、さらに奥。そこに小さなコテージがちょこん。コテージのすぐ後ろは深い谷になっていて、緑が生い茂っていて、月がきれいに輝いている。夜になると、異常な量の星が見えた。まさにスペクタクル。幻想の夜の風景が、ここから見ることができた。ここでわたしが読みたくなった本は芥川龍之介の『藪の中』。このコテージも藪の中を超えたところに現れる。ここでわたしは『藪の中』をどうしても読みたいと思った。AmazonのKindleストアで『藪の中』をダウンロード。無料のやつね。コテージの外に、ベンチ代わりに置かれている丸太の上に寝そべって、空の下、『藪の中』のページをめくり始めた。この文学を読むための最高のシチュエーションを用意できたんじゃなかろうか。
旅中における、わたしの優雅な読書はこの一度きり。読後の感想。もっともっと藪の中を感じるかと思ったが、この本は映画「羅生門」の原作にもなっており、わたしは読み進めながら映画のシーンばかりが頭に浮かび、三船敏郎ばっかりが現れて、予めもくろんでいた文学の世界に没入するような楽しみ方はできなかった。これ以来、コテージで眠れない夜は無料の芥川龍之介をダウンロードして読むようになった。
帰国後、わたしは少し純文学を読み返そうという気になっている。でもそれよりも欲しているものがある。Kindleの端末。これはね、旅中に見かけた旅人たちが、Kindleを手にして本を読む姿が、とても素敵だったわけで、ただそれだけのアホな理由。iPad miniは片手に収まらないけど、Kindleの端末は片手に収まるじゃない? あれがとてもいい。あれを持ってまた旅に出たい。中身は未定。