絶叫委員会

【第119回】OKのライン

PR誌「ちくま」9月号より穂村弘さんの連載を掲載します。

 子供の頃、相模原に住んでいた。近くに米軍の基地があって、或る時、その中の小学校を見学することになった。外国人の子供と一緒に授業を受けるのだ。緊張しながら教室に一歩入った瞬間、強い衝撃を受けた。机の位置がばらばらだったのだ。生徒たちの席が、だいたい教卓の方を向いていればOK、という感じで適当に散らばっている。カルチャーショックという言葉を当時は知らなかったけど、まさにそれだ。私たちはいつも机をきちんと揃えるように云われていた。縦のラインを合わせたら次は横のラインを合わせる。どちらから見ても歪みがないように、と。何の疑問もなくその教えに従っていたのだが、アメリカンスクールの机を見てから疑問を感じるようになった。この作業はいったいなんのためなんだろう。でも、その思いを口にすることはなく、結局、卒業までずっと揃え続けた。あれから半世紀近く経ったけど、もしかして、まだ縦のライン横のラインってやってるのかなあ。
 自分がいいと思うだけでは制度や慣習は変わらない。そこが困るところだ。例えば、真夏に打ち合わせや講演に行く時、上着をどうするか、毎回迷ってしまう。普通に考えたら、今の日本の夏に長袖のシャツと上着なんてあり得ない。でも、目上の人やクライアントがそうしていたら、半袖のシャツ一枚で行くのは気が引ける。そして、みんながそう思っていたら、いつまで経っても世界は変わらない。
 学校を卒業して会社に入った時、びっくりした。部長のことを部下たちが「マコトさん」と呼んでいたからだ。ずいぶんカジュアルなんだなあ。会社がコンピュータのソフトハウスだったってこともあるだろう。それまでの社会には存在しなかった新しい業種だ。社員の平均年齢が二十代半ばで部長といってもせいぜい三十代。だからこその「マコトさん」だ。私はその風通しの良さが嬉しかった。普通の会社なら絶対に許されないようなことが他にもいろいろ認められていた。フレックスタイムで服装も自由、机の周囲にフィギュアをびっしり並べている先輩もいた。
 入社して数ヶ月が経った或る日のこと。会社の電話が鳴った。私はそれを取った。
「Sの家族の者ですが」
 同期のSくん宛てだった。どうやらお母さんらしい。
「今、Sくんは打ち合わせ中ですが、折り返しお電話するようにお伝えしましょうか」
「あ、では、伝言をお願いします」
「はい。どうぞ」
 私は伝言メモを引き寄せてペンを持った。
「晩御飯ができたから帰ってくるように伝えてください」
 えっ、と思ったけど、一応書き取った。

「S」様へ       「ほむら」受
「お母」様より
御伝言がありました。
「晩御飯ができたから帰ってくるように」
とのことでした。

 うーん、と思った。「お母」様よりって、なんかふざけてるんじゃないか。そう思う私の頭が硬いのだろうか。ちなみに、それから十七年後に私が会社を辞めた時、Sくんはシステム部の部長になっていた。
 

PR誌「ちくま」9月号

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