ランドセルを背負った子供同士の会話はたいてい面白い。大人同士の会話に較べて、社交辞令や目的意識といった要素が少なくて、無駄や無意味を怖れていない。そのために、魂のおいしい部分だけが言葉になっているのだ。
先日、耳にした二人の小学生女子の会話は、こんな感じだった。
A「じゃんけんでさあ」
B「うん」
A「ずーっと、あいこが続くとさあ」
B「うん」
A「だんだん男になっていくよね」
B「きゃー」
A「きゃはは」
いいなあ。たぶん、あのことだろう。「じゃんけんぽん。あいこでしょ。しょっ! しょっ‼ しょっ!!!」と繰り返すうちに「しょっ」の部分がどんどん強まってゆく現象。あれを「男になっていく」と表現するなんて見事だ。
下校中の小学生男子と小学生女子のやり取りを、後ろから聞きながら歩いたこともある。
女「いるの?」
男「いるよ」
女「誰?」
男「ないしょ」
女「ヒントヒント!」
男「んー、最初が「し」」
女「それから?」
男「最後が「う」」
女「……」
好きな子の名前についての探り合いらしい。どうやら女の子は彼のことが気になっているようだ。そして、男子の方もたぶんそうっぽいんだけど、はっきり云わずにはぐらかしている。そんな二人からは聞いているだけで嬉しく恥ずかしい空気が出まくっている。
男「「し」で「う」だよ」
女「しまじろう……」
男「ピンポン!」
女「もう! 女でだよ!」
男「ぎゃはは」
女の子は焦りのためか、かなりストレートになっている。「女でだよ!」というフレーズが妙に生々しい。でも、男の子は言質を取られたくないようだ。のらりくらり。ここからどんな展開を見せるのか。私は二人の後ろで聞き耳を立てる。だが、小さな路地を二回曲がったところで、はっとした。これは、まずい。ランドセルの後ろにぴったり貼りついてスマホでメモを取っている。今の私は不審者に見えるんじゃないか。というか、そのものだ。慌ててコースを変えた。うう、残念だなあ。あの続きはどうなったんだろう。幸あれ。
PR誌「ちくま」12月号より穂村弘さんの連載を掲載します。