重箱の隅から

「コロナ後の世界」には女はいない、あるいは、分別と多感④

 鈍感という言葉の反対の概念は、繊細――敏感や多感――かもしれないのだが、それについて書く前に、しばらく前(’16年4月24日朝日新聞)に多少話題になった、国際NGOが公表した「報道の自由度ランキング」で日本は「世界72位」という記事(スクラップを入れた、箱のすみというか底から出てきたのだ)について触れておきたい。
 横紙面のほぼ半分、縦五段の記事で、NGOの発表の「72位」というランキングについて国連の専門家が懸念を表明していることが報じられている。「政治の圧力とメディアの自主規制が背景にあると指摘」されているのだ。
 当時、話題になったのかもしれないが、国際婦人年に発表された日本の女性のおかれた地位の低さに比べれば、メディアの自由度ランキング72位という事実は、すっかり忘れられているようである。
 この記事の下には2段で、NHKの籾井勝人会長(前身は商社社長)が、熊本地震への対応を協議するNHKの災害対策本部会議で原発関連報道について、住民の不安をいたずらにかき立てないよう、公式発表ベースで伝えてほしいと語り、さらに被災地での自衛隊の活動なども報じるように求めたという記事が載っているし、同年の「週刊朝日」には、イギリスの「エコノミスト」誌の記者がNHKの会長の発言に触れながら、現場がこの発言に忖度しているだろうということを、NHKラジオ番組からコメントの出演依頼を受けた時の経験から語っている。福島原発、皇室制度などを語りたいという提案がやんわりと拒否され、オリンピックについて話すことになっても、さらにコメント中の沖縄に関する発言がカットされたと言うのだ。
 しかし、2021年の朝日新聞の論壇時評の書き手が、時評の中立性というものが存在するかのように広告会社と新聞社が大々的に参加している「失敗五輪」に触れ「さらに、NHKも政府の拡声器となり下がっている疑いが濃い」と書くのは、「報道ステーション」の新キャスター、元NHK政治部記者の臆面もない「鈍感力」を、女性的繊細さで批判したことになる。「なっている」というはっきりした文末を選ばず、「疑いがある」で終わることさえせず、それらは「濃い」という比較の濃度に染められた装飾的な(草木染めのような?)言葉でしめくくられる。
 前回に引用した元NHK政治部記者の語る鈍感力とは「権力者」にとっては大変に都合の良いものであることは言うまでもない。なにしろ「『そんなのかけられていないよ』と思えばいい。鈍感力で勝負だ」と言うのだ。自己欺瞞とか順応主義といった社会的活動時に生じる問題についての言葉だけではなく(とりあえず、いくらかは自分の言っている鈍感力が欺瞞的だとは意識しているのだろうか?)、過剰適応という病的な心理状態を思い出してしまうではないか。
 むろん、鈍感力で勝負(?)するためには、権力者の圧力を敏感というか繊細に察知する弁え力が必要であることは当然のことであり、忖度である。鈍感と繊細は織り物のように混りあって、一見いかにも平板で通り一遍と言うより公報的なニュースや時評の言説を作り出すだろう。
 たとえば、アメリカ大統領就任式に詩を朗読した若い黒人女性の似顔絵(毎月誰もが必ず少しも似ていない絵の)が、日本の文芸雑誌の表紙になり、そのいかにも素直な誰にでも理解できる詩の原文と訳が紹介され、それを一体誰が読むのか見当もつかないが、現代詩というより今どきの詩も決定的にピュアに幼稚化傾向を加速しているということは昨年五月号「特集詩とわたしたちの時代」(『文學界』)を読むと、理解は出来ないが「わたしたちの時代」の有様がわかりはするし、東京新聞の匿名コラム「大波小波」が文学について書く時の、匿名をいいことにして書いた粗雑さとはとても思えない書き手の本質的な思考の粗雑がまる見えの文章なども、幼稚な老化現象と呼ぶべきなのかもしれない。
 読者からいただいた手紙には、あきれ果てたという調子で「大波小波」の文章について「絶望的にズレっぱなし」と書かれていたが、そうしたズレっぱなしの老化と幼稚化が同時に進む言説とは、おそらく即自的な自己愛が杜撰な素直さで肯定される場で成立する。
 もうかなり昔のことだが『快適生活研究』という小説集を上梓した時、帯に「快適生活を送るには? 鈍な自己愛とお金が必要⁈」という文章を書いたのだったが、この小説集をA新聞のインタビュー欄で扱うために現れた大変に個性的な女性記者は、快適な生活を送るために純な自己愛が必要なのはわかりますけれど、お金は、本当に必要でしょうか、と、加齢によってさえも衰えることのない類の繊細な無邪気さ(純な自己愛と言い換え可能)で質問するのであった。
 私としては何を聞かれているのか、そもそも「純な自己愛」とは何なのか、訳がわからず、目のやり場に困ってテーブルに置かれた自著の帯を見ていると、彼女が金偏と糸偏をどうやら取り違えたらしいことが理解されはしたものの、ナルシストという言葉はあるけれど、しかし、人はそれを「純な自己愛」などという言葉で表現するものだろうか。私の小説で扱っているのは、糸のように柔軟でたおやかな自己愛ではなく、金属の強度を持つ鉄面皮で鈍感な自己愛なのだ、と説明する気力を、すっかり奪われてしまったことを思い出したのは、アメリカの心理学者の提唱した症状というより概念であるHSP(Highly Sensitive Person)を「繊細さん」と、従来は「敏感すぎる人」と訳されてきた言葉を意訳した当事者の新聞インタビュー記事を読んだことによる。
 この概念について本を出したインタビューの当事者は、よく誤解されるが、繊細さは、傷つきやすさや不安定さとは別で「感じ方」の違いに起因する困惑があるだけなのだと語り、身近にHSPの人がいたらどうしたらいいかという記者の質問に、無理に共感しようとしなくていい、と答える。「感じ方が違うわけで、天使が「羽が痛い」というのに共感するようなものですから」
 しかし、これは一体どういうことなのだろう。私は思わず「天使」という、よく耳にも目にもするし、通俗的と言えば言える概念というか、言葉を辞書で調べてしまった。大谷翔平の所属するメジャー・リーグのチーム名は別として、あるいはもう30年近く前だったか『ベルリン・天使の詩』というタイトルの映画がヒットしたことを思い出しもしたが、自分はとても繊細(と、くれば続く言葉は優美ではないのか?)なんてもんじゃないと思っている者にとって天使という言葉は、むろん言うまでもなく、自己と他者を対比させる時に使用される概念ではなく、映画のタイトルを引用したので、そう言えばと思い出したのが、黒澤明が自分の映画製作に臨む気構えとして語って箴言化した「悪魔のように細心に、天使のように大胆に」というウンベルト・エーコを思わせる類の気の利いた逆説的表現である。黒澤的表現者が悪魔だの天使だのと大仰なことを言うのは、それなりの歴史があるわけだが、同様に歴史は(専ら西欧の)主婦の美称として「家庭の天使」と呼び、金色巻毛とバラ色の混じった白とでプクプクと肥え目は青い幼児や若い女の見た目(のもっぱら美しさや愛らしさ)を「天使」と呼びならわす一方、自己犠牲的な仕事に従事する看護婦に白衣の天使という美称を与え、神の使いのようにいたわり深く優しい人を称して天使と呼びならわしてきたのだった。その一方、死者をそう呼ぶエンジェル・フライトなどという言葉もある。
 ウィーン少年合唱団が天使の歌声と呼ばれるのは賛美歌も歌うわけだから無理もないところだが、歌の関連で高齢者が思い出したのは黛ジュンの『天使の誘惑』という歌謡曲で、しかし、これは白衣の天使が登場するポルノ映画を連想させるていのものであるし、天使のはねと言えば、ランドセル販売のテレビ・コマーシャルで、子どもたち(中には天使のような子どももいるかもしれない)の小さな肩と背にのしかかる重荷の負担が軽減されるように設計されたランドセルの図々しい商品名でもあったし、133人の乳児がヒ素入りのミルクで死亡した粉乳を作ってきた会社のマークは天使だったこと等、様々な事例を考えれば、天使はいわば差別や被害を生み出すものかもしれない、という不安に駆られるというものである。
 新聞紙面で初めて知ったHSP(心理的な反応の概念?)は「敏感すぎる人」と訳されていたのが、「繊細さん」と呼ばれることによって「ポジティブな印象」の「使い勝手のよい言葉」となったと、同じ紙面で社会学者が解説しているが、まさしくそのとおりだと思う。「繊細さん」の言う「天使」もまったくポジティブな使い勝手の良い言葉である側面を持っている。
 言ってみれば「敏感すぎる人」は、自分を天使に喩える盛大な比喩に気恥ずかしさというより、顔も赤らむ痛みを感じてしまうかもしれないが、「さん」を付されて呼ばれる「繊細」は、どこかフィクショナルで、彼女が「天使」と発言すると、ユニクロの軽くて安い羽毛製品のテレビ・コマーシャルに登場する、子役の女の子の演じる小さな羽を背中に付けた「天使」のようなキャラかな?と思えてしまうのだ。HSPの生きづらさは想像することが可能だが、「さん」付の「繊細」が「天使」の「羽が痛い」などと言い出すと、私としては、鳥じゃなくて天使なんだから、「羽」ではなくせめて「翼」と言ってほしい、とつい考え、すぐに坂口安吾のことを思い出して、自分の気取った滑稽さを思い知ることになってしまう。言葉に関して繊細な安吾は、頭痛薬の「ケロリン」という名前がなんとも恥ずかしくて口にすることが出来なかったと言うのだ。何かを伝えようとする繊細さには、いやな物はいやだと言う際の芸が必要なのである。

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