重箱の隅から

墓場とユリカゴ④

 図書館という概念であるにせよ、あるいは建造物であるにせよ、もちろん一国の首相と呼ばれる存在、あるいは個人名よりは長い生命を持つのだろうが、それにしてもその有名建築家による建造物は、すでに決まっていたのが首相によって取り消されたザハ・ハディドの流動的でダイナミックなデザインや、ʼ64年の丹下健三設計に比べるまでもなく、上空から見ると曲げ木細工のチンマリとコンパクトな弁当箱(わっぱ)のように見える。この国立競技場の設計者は、同時に話題性のある2つの図書館の設計者であった。
 元自衛隊員だった人物の手作りの銃と銃弾によって、元首相が殺された時、前回の原稿のゲラを戻してから一週間たっていたので、仕事机の上には、引用するつもりでファイルしておいた前年7月23日の朝日新聞の切り抜き(「国立競技場 黄昏の時代の象徴」)があって、ʼ15年の夏、安倍首相が「直接的には建設費の高さを理由に白紙撤回」したことが語られていて、当時、昼のワイド・ショーでは、ザハ・ハディドを強欲で身勝手な前衛の鬼婆あつかいする言説と共に、コンパクトで日本にふさわしい建物を経済的に作ることが出来ると、みみっちく主張する建築批評家が出ずっぱりだったのを思い出すのだが、朝日新聞記者のインタビューに答える建築批評家は、ザハのアイコン的に際立った建築が日本ではあまり好まれていない事実、、、、、、、、、、、、があるにせよ、「あれだけ強権を発動した政権」なのだから「ザハ案を守る」ことは出来たはずで、彼女のデザインは、「海外から見た東京のイメージを刷新することもできたと思う」(*)のであり、隈研吾のデザインは「すごく皮肉な言い方」だが「今の日本を映し出し」て「身の丈にあっている」のは確かなのだと、批評する。それは、しばしば指摘されていたように、上空から見ると数字の「0」に見えるのだが、無観客開催となって、オリンピックの「まさに空虚なシンボル」になってしまったと言うわけである。
 オリンピックなどどうでもいいのだが、つい先日、それを巡っての大手の紳士既製服屋と電通の贈収賄事件を伝える若い男のスポーツ系アナウンサーは、残念なニュースに触れ、去年のオリンピック・パラリンピック大会について、「日本中が熱狂した」と何の疑念もなく、オリ、、パラ、、と一続きの言葉のようにスラスラと言うのだったが、元首相のテロによる死も、当初は民主主義への挑戦だの否定する暴力だのと、メディア上で名付けられていた。もちろん、元首相が思想的に民主主義を体現していたからというわけではなく、暗殺(それも、民主主義の基本である国会議員選挙の最中)というテロ行為が、民主主義に反すると言うのだろうし、もうはるか以前、長期に亘ってその座を独占した首相になる以前、今では思い出す者も少ないようだが、NHKの従軍慰安婦を巡るドキュメンタリー番組の担当者を呼びつけて、普通に考えれば権力を笠に着て脅した、、、というエピソードを誰でも知っているはずだが、と思いつつ、もう一枚の切り抜きに眼がとまる。年寄りらしいいい加減さで、ʼ21年8月、そんなことがあったことさえ、実はすっかり忘れかけている「五輪強行」や「コロナ対応」が「大戦時と重なる」ということを語る3人の識者(加藤陽子、長谷部恭男、杉田敦)による「考論」の中で、元首相が「一部の人にとってはアイドル=偶像だった」らしいことを初めて知ったのだった。
 アイドルというのは、長谷部によれば「観衆が自分の思いや願いを投影」できる、「自分のために歌ったり踊ったりしてくれるんだ!と意味づけることが」可能な存在で、だから、アイドルはアイドルでいられる、というのだが、若い頃から、芸能界のアイドルにも政界のアイドルにも、とんと興味のない者としては、まるでピンと来ない考えで、たまたま今朝の朝日新聞(8月30日耕論「安倍元首相にみる「偶像」」)では、元首相が「アイコン的存在と見られていた」のは、どうやら学識的な社会現象のようなのだ。
「耕論」欄のインタビューで若い女性の文筆家は、安倍の支持者たちを「負けても応援する阪神ファン」でそれ故に「強固」なのだと語るのだが、阪神ファン層はそう単純ではないのだし、アイドルと言われても、もうすぐ後期高齢者になる者としては、シルヴィ・ヴァルタンとジョニー・アリディ(フランスのプレスリーと呼ばれた)とシャルル・アズナヴールも出演していた、日本では東京オリンピックの年に公開された『アイドルを探せ』を思い出すのである。あの邪悪な顔のシルヴィ・ヴァルタンが『三銃士』のミレディをやるミュージカル映画があったらよかったのにね、と姉と老婆話しをすると言うズレぶりなのだから当然として、なぜ元首相がアイドルと呼ばれるのか、加藤陽子が、あれは言うなれば「疑似アイドルではないか」と軽く異をとなえても、ピンと来るところがないのだ。
 第一次安倍内閣の時、病気のために首相を辞任するというニュースを耳にしたのは、網膜剥離の手術のために入院中で、6人の患者のいる部屋だったが、病院で貸し出しているテレビのニュースを見ていた1人が、安倍さん辞めるんだって、やだあ、かあいそうに、と、感に堪えないと言った口調の大声を出すのだったが、私を含めて5人の重傷や軽傷の患者たちはまったく無反応だったのを覚えている。奈良県の寺の名前のついた、むろん初めて耳にする名の駅前の物さみしい広場での選挙の応援演説の場が設けられた空間には、大勢とはとても見えない元首相の演説を聞く者たちの姿が映り、暗殺の瞬間を捉えた映像は、その何とも言えない警護の無防備ぶりを唖然とするまでに晒け出していた。
 蓮實重彥が言うように「背後に瞳を向けている者など一人としていない」、「ハリウッドで量産されているボディーガード映画の要人警護の原則からして、素人同然」なのだが(本誌の連載9回「些事にこだわり」)、それはもちろんのこととして、暗殺現場の、なんと言うべきか、様々な意味でにぎやかさ、、、、、のない、物わびしさが、眼科の入院患者以外はほぼ完治の見込みはないだろうという事が素人にもわかる病室を思い出させたのだ。
 テレビの画面には、犯人が銃弾を発射させるわずか何秒か前、元首相の背後の、人気のない地方都市の駅前のロータリーを台車を押して右から左に向かって歩く男と入れかえに、ゆっくりと老人らしい漕ぎ方で自転車で右から左へ進む男の姿が映しだされるのだが、常識的な警護であれば、当然、演説をする元首相の背後の道路は通行止めになっていたのではないか。
 私たちは二十世紀初頭から、フィルムの映像によって、記録であれフィクションであれ、幾つもの幾つもの暗殺シーンを見てきたのだが、元首相に銃弾が命中したあの映像は、大変珍しいシーンだった気がするのだ。映画で見慣れている銃撃による暗殺シーン(と、もちろんそれより数知れずに大量のネットを通した戦場の映像)につきものの群衆、、、、、、、(熱狂しているせいではなやかな、、、、、、と言ってもいい)に決定的に欠けている。事件を最初に伝えるテレビ・ニュースでは、複数の人間がビルの上階から射撃したらしい、という憶測が、1回だけだったが伝えられていて、こうした憶測の元になっているのは、ケネディの頭部に命中した銃弾が、パレード沿道の教科書会社のビルから発射されたという記憶(と言うか知識、、?)によるものだろう。ビルから撃ったのだとすれば、犯人像はもちろん射撃に長けた人物で自衛隊出身に絞られることになるわけで、その点では実際の犯人と一致はしている。事件について、たとえば「女装オカマ」を自称する人物は、銃弾が少しでもずれていたら「違う惨劇になっていたか」とも思い「安倍さんがたったひとりで市民や国民の盾になってくれたような気がして胸が締めつけられる」とむしろ、「右翼オカマ」とでも称すべきことを書いているのだが(「週刊朝日」ʼ22年7月29日「アイドルを性(さが)せ! 非銃社会で安倍晋三が守ってくれたもの」ミッツ・マングローブ)、これでは自殺したアイドルへの過剰におセンチな思い入れにしか読めない。
 さて、元首相と「アイドル」という言葉が結びつく例をほぼ偶然に読むことになったのだが、7月8日(ネット上ではうそつ忌と名付けられてもいるらしい)の事件後、それまで伏せられていた名称が出て一定のカセが外れて以来、テレビと週刊誌は統一教会と自民党の関係を巡ってのあれこれにあふれ返っていたのに、NHKは、長いこと報道することを控えていたと目されてもしかたがあるまい。
 ところで私は、墓場の1つである図書館という建造物について書くつもりだったのではないか? しかし、その前に思い出したことがあった。その滑稽なほど小ぶりなオリンピックのメイン・スタジアム(客席の椅子を色とりどりで不ぞろいにすることで、空席があっても、、、、、、、目立たない、、、、、親切な配慮のある)には、オリンピックに欠かすことの出来ないと目されていた(と言っても汚職沙汰ではなく)聖火台、、、が欠けていたのだ。建築家がそれについてどう語ったか、引用する資料がないのだが、前回の東京オリンピックでは、神殿の階段、と言うより、長いきざはしを昇ると言いたいような高みの上に聖火台があり、海外のジャーナリズムでアトミック・ボーイと呼ばれた最終ランナーが、そこを馳せのぼる様子について、大江健三郎が書いていたものだった。(つづく)

(*)ザハのデザインが採用されなくとも、国立競技場建て替えをチャンスに、明治神宮外苑地区の、東京都がʼ70年に条件を設けた15メートルの高さ制限が80メートルまで引き上げられたそうだから、国内外の大手の開発業者には東京のイメージは刷新どころか甘美な誘惑そのものでもあったはずだ。
 

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