重箱の隅から

生活困窮者を前に新しい児童図書館は有効か①

 隔月連載を一回休む(体調のせいによって)となると、なんとなく時間の流れが変化するという傾向があるのかどうかは、何度も経験したわけではないのでわからないものの、次回の連載に書くつもりでいた事に対して、熱意、、がなくなるような気分になるのはどうしたことか。
 もちろん、この連載エッセイのタイトルから察せられるように、言い方を変えれば不要不急のことについて書いているわけなのだが、それ、、が一体いつ、、だったのか、その一部分を除いてすぐにはもう思い出すのが困難な、テレビ中継で見た殺害された元首相の、いつの間にか決まって、いつの間にか行われた国葬である。元文部科学事務次官の前川喜平のエッセイ(「ユウエンナルスメラミクニ」東京新聞 ʼ22年10月2日「本音のコラム」)を読んで、自衛隊の音楽隊が演奏していた儀式用らしき曲の正体がわかったのだったが、国葬について書かれた新聞記事もテレビのニュースでも、それがどういった曲なのか伝えていないのは、やはり感性が鈍化しているからであろうか。
 前川氏が黙祷(もくとう)の際に演奏された「國の鎮め」という軍歌の名を見て「戦慄を覚えた」のは当然として、さらに天皇の使いの拝礼の際に演奏された「悠遠なる皇御國(すめらみくに)」は「これも戦前に作られた曲かと思いきや」と文語体風に驚く以外にないところで、「作曲者は自衛隊の音楽隊員で、初演されたのは二〇一九年」なのだ。どういった場面で演奏される目的で作られた曲なのかは知らないが、前川氏の言うように、「この曲名は戦前の國體思想そのもの」だろう。
 ついでだから前川が引用している「國の鎮め」の歌詞をここにも書きうつしておくことにするが、もちろん、「君が代」との釣り合いが良くとれている。「國の鎮めの御社と斎き祀らふ神霊今日の祭りの賑ひを天翔けりても御覧せ治まる御世を護りませ」というのである。
 ところで、国葬(政府的には、国葬儀、、、というのが正しいらしいが)について、朝日新聞には社会学の橋爪大三郎、東京新聞には作家で法政大国際文化学部教授の島田雅彦が書いていて、どちらも新聞記者が書いたとしても、この程度のものだろうが、それでも具体的な記述があるという点で二人の女性記者の書いている「記者が見た国葬その日」の方が、大衆読者にとどかねばならないことになっている新聞記事を書くプロ、、だけに、まだまともに読めるような気がしたのだったが、記者たちは、まとめること(可能ならば上手に)が本分だと心得ていて、だから、前川喜平のように、演奏された曲の歌詞や、天皇の使いの拝礼時に演奏された、聞いたことのない曲について注意を払うことはないのだが、元首相夫人が現首相に遺骨を託すあたりのところで演奏された「悲しみの譜」という曲が流れると「一気に厳かに。」と書くのだが、この、曲名を初めて知った曲は、映画館で本篇が上映される前に、1、2本の上映があったカートゥーンのシリーズ、「トムとジェリー」や「ポパイ」といった物の中で、悪役がボコボコにやられてのびてしまった時、軽い重々しさ、、、、、、で流れるおなじみの、敵の死(負け)を表わすメロディーのはずである。私たちは古いアニメのナンセンスな暴力シーンを思い出し、もちろん、「気品と美しさ」が「国教会の伝統と教義で整えられて」(橋爪大三郎)いるところのエリザベス女王の国葬では演奏されない。葬式はクマのパディントンをお茶に招待するのとは違うのだ。東京新聞の記者は国葬(政府的には国葬儀、、、)に「十六億円を超える血税が投入された」ことに疑問を呈しつつ、「黙とう」の時に「国の鎮め」が「生演奏」されたことを伝えるが、それがどういう曲であるかは、3日後の前川のコラムを読むまで、ほとんどの読者にはわからない。その後、舞台の巨大スクリーンにはオリンピック招致のイベントで大好きなゲームのキャラに扮した元首相の「思い入れがあったという東日本大震災のチャリティーソング「花は咲く」をピアノで弾く姿でスタート」で、その意味では全体の構成はバランスが取れ、つじつまは合ってはいる。
 フット・ボール・ワールド・カップの日本代表のユニフォームに使用されているアニメ感覚のシンボル・マークが神武天皇が熊野から大和へ入る際の先導をしたという八咫烏であることだって、相当にあきれてはいたのだった。「国」を代表するとなると、どうも話がおかしくなる。それはそれとして、私としては、知ってはいたがテレビのニュースや新聞記事を見もしなかった吉田茂の国葬の時には、どのような曲が使われていたのかも知りたいところで、あの不思議な文章の書き手である長男の健一は、どのような様子で国葬の喪主をつとめたのか、とふと思ったりもするのだが、それはそれとして、安倍元首相の国葬に反対とか賛成と言う以上に、いわば、その様式上のいかにも美しくないいくつかに、私は違和感を持ったのだった。
 その違和感には根拠があることはあるのだが、それは、「明らかに国家神道の歌」である明治の軍歌が「国の機関が行う行事でこのような曲を演奏することは憲法20条3項の政教分離原則に違反している。」(前川喜平)からと言うより、明らかな憲法違反を古めかしい歌や曲を繰り出し、スメラミクニとかなんとか言って犯すからには、多少なりとも様式的な美しさと言うか、軍隊的に訓練された兵士たちの美しい動きを見せる必要があるのではないかという、単純な疑問だ。それだって、ジャニーズの男子たちのダンスよりBTSの男子らのダンス(と見ため)の方が、ずっとマシだし、熱い勇気と感動を日本中にくれた八咫烏のチームにしたところで、冷静に考えれば、スペインとドイツのチームが弱かったからだ、という程度のことにすぎないのだが、たとえば、テレビのニュース番組で、戦時下に法的に制度化された国葬として、山本五十六の葬儀の記録映像が流れていたのを見ると、遺骨や国旗を持って運ぶ兵士たちの動きが、当然と言えば当然、自衛隊員の、正式名は知らないが儀仗兵のような者たちの動きに比べて、あきらかに差がある。吉田の国葬が、安倍の葬儀のように自衛隊式(と言うことは、「國の鎮め」や「悠遠なる皇御國」といった演奏つきの)に行われたのかどうか知らないが、普通にアメリカ映画を見て育った者の眼にはあの応援演説時の児戯にも等しいと見える警備体制に、それは似ているのではないかという印象をもたらすのだ。
 たとえば、中国では、建国記念日に天安門広場を決められた歩数で完璧に美しく行進する全国から選抜された兵士たちの訓練だけで一篇のスリリングな映画が撮られてしまう(『大閲兵』陳凱歌)のだし、それを見て私たちはジョン・フォードの映画のダンス・シーンと、さらに『長い灰色の線』の勇壮で見事に統制がとれてはいる(横から見ると整列した士官候補生たちの鼻がまったく同じ位置にある)のに説話論的にはささやかさが強調されている分列行進と、奇兵隊三部作の分列行進的なアンソニー・マンの『グレン・ミラー物語』で、形式化と疲労でたるんだ、、、、行進を、いわば戦後へ、、、と進ませるかのようなジャズの使い方を思い出してしまうのだ。ようするにそれは、多数の見物客を前に、演出された、、、、、訓練の極致の兵士たちによる古典的な見るに価する見世物、、、だろう。ハリウッドのミュージカルの群舞シーンに一時代を画したバズビー・バークレーが、第一次世界大戦の連合軍のパリの戦勝パレードを指揮したのは有名なエピソードだし、バークレーは陸軍士官学校(『長い灰色の線』の舞台である)の出身でもある。と、ビッグ・ネームをあえて出してまでそんなことを言ってもしかたがないのだが、あきれかえる額で膨張した防衛費というより軍備に自衛隊の儀仗兵たちの歩き方を査定するとなれば、とても釣り合っているとは思えない。
 ところで私は、有名建築家による公共建造物について書こうと思っていたのだ。児童図書館をはじめ図書館建築が様々な問題を持つものとしてここ何年か話題になっていたのだが、それは有名建築家の現代的な問題意識とヴィジュアルなコンセプトはさておき、根底にあるのは、この20年の間にさらに拍車がかかり尻に当てる鞭の速度も速くなった、本が読まれなくなった=本が売れない、という一部の社会問題現象とどこかで重なるせいなのだろうし、建築というよりはそれを支えている建設方面の、いわば景気と深い関係があるだろう。図書館に比べて規模がまるで違う国立競技場の建設に限らず、新しい施設が作られる時、建設労働者の事故死が増加する傾向があるし、建設のためにそこから追い出される者たちがいる。カタールのワールド・カップの競技場の建設でも、ゲームに参加する多様な出自を持つ代表選手、、、、たちの間で人権問題として抗議の対象になっていたのだが、日本サッカー協会会長は、いま、、、問題視するのは好ましくない、と発言する。今でなければ、いつ? と言いたいところだが、今、と書いて、すっかり忘れていたことを思い出した。2019年に完成した新国立競技場には、聖火台というものがなかったはずである。設計者は、依頼された内容に聖火台は含まれていなかった、と、なぜそれが無いのかという疑問に答えていた。どこか別の場所に聖火台が設けられ、見物客を入れなかったらしい開会式(国際的、、、に通用する名とは思えないプロ野球の元選手たちと日本国籍のテニス選手が聖火を点したはず)には、急遽作られた移動式の仮設聖火台が利用されたのを思い出したが、聖火台など、考えてみればそれで充分ではある。
 さて、今回のタイトルの内容についての前書きがいかにも長くなってしまったようである。(つづく)

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