絶叫委員会

【第107回】肉声

 飛行機に乗ると、機長の肉声によるアナウンスがある。どうしてだろう。あれには単なる挨拶のほかに「大丈夫ですよ。安心してください」というニュアンスが含まれているような気がする。
「大丈夫」とは、飛行の状況や天候のことでもあるだろう。でも、それ以上に機長自身のことだと思う。だからこそ、「大丈夫」な証として本人が喋るのだ。
 機長のアナウンスが流れた時、乗客たちはその内容よりも声と喋り方を聴いている。肉声には、話の内容を遥かに超えたメタレベルのメッセージが含まれているのだ。
 そのことがよくわかっているから、どの機長もいかにも賢くて頼りがいのありそうな喋り方をしている。どうです、この声、この滑舌、元気です、風邪なんかひいてませんよ、ちっとも鼻声じゃないでしょう? ほら、英語だってぺらぺらです、と。きっと、機長のためのアナウンス研修があるに違いない。
 もしも、職業的な能力は最高だけど喋り方がやばい機長がいたら、と想像してみる。どうなるだろう。とても挨拶はさせられない。アナウンスの時だけ、副操縦士が機長のふりをしてマイクを握る……、いや、それはまずい。乗客たちを騙すことになる。
 正直こそ最善の策である。機長の挨拶に続いて、副操縦士が「機長の喋り方ははあはあしててやばいけど、大丈夫です。能力はとても優秀で、私は尊敬しています。だから皆さんも安心してください」と率直にコメントするべきだろう。
 ただ、その場合、副操縦士の喋り方はしっかりしていることが前提である。こんなにちゃんとした人が尊敬してるんだ、と思わせなければ駄目なのだ。二人ともはあはあしていたら、いくら「大丈夫」と太鼓判を押されても不安だ。
 そんな飛行機のアナウンスとは逆に、敢えて肉声を避けている、と思われるケースもある。例えば、タクシーに乗った時、こんな声が流れることがある。

「お客様の安全のためシートベルトをお締めください」

 自動音声のアナウンスである。なるほどなあ、と思う。たぶん、法律的にこれを云う必要があるのだろう。でも、運転手自身が口にしたら、客が苛立って、トラブルの元になりそうだ。
 だから、自動音声。しかも、それが男の子と成人女性の中間めいた、なにやら不思議な声なのだ。天真爛漫な妖精が喋った、という雰囲気である。
 おそらくは意図的に人間の声から遠くしているのだろう。普通の肉声に近づけば近づくほど、客の苛立ちは大きくなる。でも、タクシーの妖精のお願いじゃ、仕方ないもんなあ。

(ほむら・ひろし 歌人)

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