『波』の著者は当初、自分の書いたものが本になるとは考えてはいなかった。2004年から2年経ってもトラウマから立ち直ることができないまま、信頼できるセラピストに勧められて自らの体験を書き始めた。
ソナーリはこの手記を、津波から8年かけて書き上げている。それくらいの時間が必要なのだ、一語一語を正確に選びながら、はやるように、つまずくように、「今」と「あのとき」、「ここ」と「あそこ」を行き来しながら、家族の物語を正確に、誠実に、忘れられない物語として紡ぎだす。
わたしはいつか、この破壊されかけている町の物語を書きたい。大きな揺れは収まりつつあるとは言え、余震も続いているので二次避難が推奨されている。水道の復旧にどれだけ時間がかかるかわからない。人口は減るだろうし、広大な面積の中に点在する集落、上下水道の復旧にかかるコストパフォーマンスは都会に比べてとても悪いと思われる。
しかし、そこにはかつて栄えた村があった、町があった、暮らしがあった。人口は少なくなるだろう、学校のグラウンドに仮設住宅が立ち並ぶだろう、そして何か言葉にならない大きなものが失われていくだろう。倒れた寺社、遺跡、鳥居、倒壊した古い蔵。
17年前の地震の比ではない、集落そのものが失われたのだから。お金では償えない大切なものたち。時間をかけてそれらと向き合っていく根気が、わたしにはあるだろうか。
「タイランド」(『神の子どもたちはみな踊る』収録作)の主人公は更年期を過ぎた甲状腺研究者の女性で心にトラウマを抱えている。ファミリーのような学会の後でバンコックに残り、高級ホテルでヴァカンスを過ごす。地震は起こらないが、彼女は有能なリムジンガイドに導かれ、占いのような体験をする。
リムジンガイドのニミットに、さつきが最後に自分のトラウマのことを語ろうとしたとき、彼はそれを制する。「ドクター、お願いです。私にはそれ以上何も言ってはいけません。(略)夢をお待ちなさい。……いったん言葉にしてしまうと、それは嘘になります」
わたしの物語が夢という形になって表れるまで、何年かかるだろう。嘘にならない言葉を聞き取ることのできる耳と、事実に向き合う勇気が欲しいと願う。
File 120. 「大津波警報」が出る前に、読んでいた本
紙の単行本、文庫本、デジタルのスマホやタブレット、電子ブックリーダー……かたちは変われど、ひとはいつだって本を読む。気になるあのひとはどんな本を読んでいる? 各界で活躍されている方たちが読みたてホヤホヤをそっと教えてくれるリレー書評。今回のゲストは、能登半島珠洲にある古本LOGOSの店主・川端ゆかりさんです。