昨日、なに読んだ?

File 121. 佐渡島の本屋で最初に売れた本

紙の単行本、文庫本、デジタルのスマホやタブレット、電子ブックリーダー……かたちは変われど、ひとはいつだって本を読む。気になるあのひとはどんな本を読んでいる? 各界で活躍されている方たちが読みたてホヤホヤをそっと教えてくれるリレー書評。今回のゲストは、佐渡島で本屋ニカラを営む米山幸乃さんです。

 本屋として店を開けたその日、一番最初に売れたのも、この本だった。
 佐渡に友人はおろか知人すらほとんどおらず、「誰も来ないかもしれないけど」と何度
も口に出すことで期待を打ち消しながら、夫とふたりで作った店。
 日頃お世話になっている集落の長老のような方が連れてきてくれたそのお客さんは、大学のサークル活動で佐渡に通い、卒業して社会人になってからも、仲間で佐渡に家を借りて、たびたび訪れ滞在しているという人だった。
 理系の研究職に就いていて「普段、論文や研究書以外はほとんど本は読まないんです
よ」と言いながらも、開店祝いに何か一冊買っていきたい、と動かす目線の先をこっそり
と追う。
 おすすめの本はなんですか、と聞かれて、その目が何度も留まっていた『断片的なもの
の社会学』を差し出した。

 それから一年ほど経って、その人が、本の感想を携えて再訪してくれた。

 「分析し、揺るぎない解答を導き出すためのツール、それが自分にとっての読書だったけれど、この本を読んで、分析をせず、結論を出さずに戸惑ったまま出版される本が存在することを知った。佐渡で遭遇する出来事も、この本に書かれていることと同じだと思う、自分の研究が人の生活に関わっている実感があるような仕事がしたくなった」

 連絡手段がないので確認できないのだが、この話は確か「だから転職しました」と続
く。
 その日、その人が選んだのは『佐渡に暮らす私は』という、高校生が佐渡で働く人たち
にインタビューし、まとめた本だった。この本にします、と決めたその人は「多分、あの
本を読まなければ、こういう本を選ぼうともしていないと思います」と言った。
 『断片的なものの社会学』が刊行されたとき、わたしはどうにも立ち行かない人間関係
に固執して、自分の人生をどう進めていけばいいのかさっぱりわからなくなっていた。
 その問題について自分以外の誰かが語ることを許せなかったので、自分で対処するほか
なくうんざりしていたが、あのとき、ここに書かれている人生の断片に触れて、確かに光
が見えたのだった。
 どんな人も「語り」を持っていて、わたしの内側にもそれはある。
 ただそのことを生きるよすがにしてきた。

 一日に来てくれるお客さんの数はとても少ないのに、なんだかずっと誰かと話をしてい
る。
 晴れたあたたかな日にはバイオリンを持って山の爺がやってくるし、店の前で燻製を
作って食べる会が開かれることもあるし、暮らしている集落のお世話になっている方が初
めて立ち寄ってくれたものの『佐渡鉱山と朝鮮人労働』を積んでいるのを見て顔を曇らせ
て帰ってゆくこともあるし、政治のこと、セクシュアリティのこと、推しのこと、田んぼ
のこと、漫画のこと、クソみたいな元彼のこと、いろんなことを話しに来る人がいる。
 花や鳥の名前を教わったりするし、知らない人から柿をもらったりする(毎年、柿の収
穫の時期に段ボールに詰めた立派な柿を持ってあらわれて「次は本をゆっくり見に来させ
てもらいます」と言って帰ってゆく人がいる)。
 いろんな人がいる。「いろんな人」という言葉で括られた集団ではなくて、いろんな、
一人一人の人生がある。疑いようのないほど素朴なその事実に、どうしようもなく救われ
ている。