先日、友人のツイッターを見ていたら、何かのポスターらしきものの画像が転載されていた。そこにはこんな文言が記されていた。
瀬戸内の海を渡ってやってきた
あらくれイノシシたち。
みかんを食い荒らしてきた
厄介物がみかん農家の
手によって美味しい
ソーセージになりました。
ぜひ一度食べてみてください。
友人のコメントは一言「これすご。」。同感である。説明文の内容自体もさることながら、独特のだるま落とし感によって、神話的と云うと大袈裟になるけど、不思議な迫力が生まれている。
具体的には、
①「瀬戸内の海を渡ってやってきたあらくれイノシシ」
↓
②「みかんを食い荒らしてきた厄介物」
↓
③「美味しいソーセージ」
同一の存在がこのように云い換えられているのだが、①から②への変化に対して、②から③への変化が実に急激なのだ。ここにだるま落としを感じる。ちなみに、それに反応した友人の「これすご。」も「これはすごい。」のだるま落としだ。
また、「瀬戸内の海を渡ってやってきた」「あらくれ」「みかんを食い荒らしてきた」「厄介物」という言葉は、いずれも「イノシシ」の生命力の強さを表している。それが一気に凝縮された「ソーセージ」は、さぞ「美味しい」だろう、と思わせるものがある。
と感心していたら、逆の例を思い出した。だるま落としの反対の、奇妙に引き延ばされた表現である。
日曜日に市場へ出かけ糸と麻を買ってきた
月曜日にお風呂を焚いて
火曜日はお風呂に入り
水曜日に友達が来て
木曜日は送っていった
金曜日は糸巻きもせず
土曜日はおしゃべりばかり
友達よこれが私の一週間の仕事です
ロシア民謡「一週間」より
逆だるま落としとも云うべき表現が見られるのは「月曜日にお風呂を焚いて/火曜日はお風呂に入り」のくだりである。ロシアの「お風呂」は冷めないのか。「炊いて」と「入り」の間で零時を跨いでいるのか。それとも、別の理由があるのだろうか。わからないけど、でも、これはこれでなんだか惹かれるものがある。だるまが伸びる面白さだ。
(ほむら・ひろし 歌人)