妄想古典教室

第四回 男同士の恋愛ファンタジー

「稚児之草紙」のエロス

 鎌倉時代につくられた春画は、「稚児之草紙」「小柴垣草紙」「袋法師絵詞」の三点で、そのうち「小柴垣草紙」「袋法師絵詞」が女性のヘテロセクシュアルな欲望を描いたものであることは第二回に紹介した。ここでは男性の男性への欲望を描く男色絵巻たる「稚児之草紙」をみていきたい。「稚児之草紙」は、元亨元年(1321)の奥付を持つオリジナルとおぼしき一本が京都醍醐寺の三宝院に秘蔵されているらしい。この作品は幾度も請われて写しを増殖させていったようで、「春画展」に出品された大英博物館蔵本も江戸時代の模本でありながら、虫食いの様子まで正確に写しているというから、これが醍醐寺本をうつしたものである可能性は高い。別冊太陽『肉筆春画』(2009年)で全体像が確認できる。

 構成は全五段で、仁和寺、嵯峨、法勝寺、北山を舞台に、それぞれに異なる僧と稚児の物語が展開する。詞書のほかに、絵の中に僧と稚児のセリフを書きこんだ画中詞も添えられている。詞書と画中詞は、福田和彦編『艶色浮世絵全集 第一巻 肉筆絵巻撰【壱】』(河出書房新社 1995年)による。

 どの話でも、恋心を抱く僧がいじましく、稚児がかいがいしく相手をしてやるといった構図になっている。第一段では、験者として名高い貴僧が、それでもなお男色をやめることができずに、お気に入りの稚児がいたのだが、盛りすぎた身であって、なかなか挿入が果たせないでいる。稚児は望みをかなえてやりたいと、乳母子の男を相手に、挿入してもらったり、大きな張形を入れてもらったり、油を塗りこんだりして備えたので、「少しもとどこおりなく入りけり」というのである。これを「かように心に入りてする児も有難くこそ侍らめ」と讃えている。一方、準備に駆り出された乳母子のほうはたまったものではない。「まら生えて堪えがたきままに、千摺りをぞかきける」状態である。

 第三段は、ときどき通ってくる僧といい仲になった稚児が、主人に隠れて風呂場で関係する話。第四段では、昼夜と立ちん坊をして悪情を好む稚児が登場する。この稚児に言い寄りたいが言いだせずにやせ衰えているのをみて、同情し、足を洗ってくれといって誘ってやる。足を洗わせながら「あやまちなるようにて尻を出して見せた」りして、法師を誘導するのである。といった具合にどの段も、稚児との絡みが描かれどおしなので、ここに絵を載せるわけにはいかない。物語性がさほどないことから、絵をみせることに重点がおかれている絵巻とみえ、見れば見るほどエロティックというよりは、即物的な感じがしてこなくもない。おそらくは、この絵巻の価値をあげているのは、いまだに醍醐寺三宝院蔵本の全容が知られないままにあることである。印刷物によって知られる前は、まさに秘蔵の一本を見せてもらうことにこそエロスがあったのだともいえる。

 

稚児愛と同性愛

 あるいは、稚児愛という永続性のなさにこそエロスが見出されているのかもしれない。稚児が成長してのちまでを共に生きるような物語は描かれていない。男色物語の多くは16歳の絶頂期の稚児を描きとめ、そして悲劇的な結末によって関係を途絶させてしまう。稲垣足穂は『少年愛の美学』(1968年)において、少年を次のように説明している。

 

女性は時間と共に円熟する。しかし少年の命は夏の一日である。それは「花前半日」であって、次回はすでに葉桜である。原則的には、彼が青年期へ足をかけ、ペニス臭くなったらもうおしまいである。その時彼は「小型の大人」であり、朝顔の前の夕日で、「小人」ではないからだ。少女と相語ることには、あるいは生涯的伴侶が内包されているが、少年と語らうのは、常に「此処に究まる」境地であり、「今日を限り」のものである。それは、麦の青、夕暮時の永遠的薄明、明方の薔薇紅で、当人が幼年期を脱し、しかもP意識の捕虜にならないという、きわどい一時期におかれている。

 

 成長のはざまにあるごく短い期間を「少年」として捉えるとして、その特徴は「P意識の捕虜」になっていない次期であらねばならないとする。稲垣足穂は、この一書のなかで、性器的なV(ヴァギナ)やP(ペニス)以外の性の在り方をA(アニュス)に求めている。フロイト理論なども引用されて熱のこもった議論を展開しているのだが、そのVでもPでもないAの可能性について、次のように述べている。

 

深部の世界という点においては、Aには単なる「恥部」以上の意義がある。それは先駆的エロティシズムの拠点なのである。この次第はしかし、幼少年的な孤立にあるのでない限り、何人にも感知されるという訳合いのものではない。VP両感覚が終る処で識別されることから云えば、それは「セックスの彼方」であるが、又、VP両感覚が始まる前に感知されるということから云えば、それは「セックス以前」である。未だP感覚に目ざめない時期では、「女性思慕」とは即ち「女性羨望」であって、先方の肉体構造に主眼点がおかれている。ここではP感覚的仲介は別に必要としない。それは原始受動性への志向とでも云うべきもので、A感覚だけで十分なのである。この時期にあっては、Pは未だ性器ではない。

 

 要するにペニスの快楽に集約されてしまう前の、P感覚以前の、A感覚への集中の一時期が少年愛の対象となるというのである。

 たしかに「稚児之草紙」に描かれた絡みの図において、僧侶が稚児のP感覚を刺激する図は一つもみられない。もっぱらA感覚への刺激をのみが描かれているのである。その一方僧侶のP感覚への刺激が稚児の手からなされている図もある。まさしく稲垣足穂のいうように、「稚児之草紙」では、P感覚に目覚める前の一瞬の輝きに稚児のエロスが見出されているのだろう。

 それほどに、稚児との性愛が永続性を持たない稀有な瞬間で、だからこそそれが物語として描かれたのだとするならば、稚児物語があの手この手で物語的趣向を凝らしていたことと考え合わせてみるに、物語の裏にはもっと多くのお話にならないようなありふれた男色関係があったということになる。稚児愛の物語ばかりしかないから、成年男性同士の性愛はなかったというということにはならないのである。成長してしまった稚児との関係が延々と続いたり、大人の男同士の性的関係など、物語に描かれなかったことは、なかったことではなくて、いかにもありふれたことだったとみるべきである。

 そういえば、ヘテロセクシュアルの恋愛を描く物語でも、お手付きの女房との性愛などはほとんど描かれていない。そういうことがあったことは子どもが生まれたりなどなんらかの事情でわかるけれども、物語の主題にはならなかった。同様に、女性同士の性愛についてもほとんど描かれていない。稚児物語の類推で考えるならば、これらもまた、お話にならないほど陳腐にありふれていたということだろう。中世の同性愛は、タイクツな日常のなかに紛れてしまっているのである。

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