昨日、なに読んだ?

File43.生産性が無いと言われたときに読む本
マヌエル・プイグ『蜘蛛女のキス』

紙の単行本、文庫本、デジタルのスマホ、タブレット、電子ブックリーダー…かたちは変われど、ひとはいつだって本を読む。気になるあのひとはどんな本を読んでいる? 各界で活躍されている方たちが読みたてホヤホヤをそっと教えてくれるリレー書評。 【王谷晶(小説家)】→→坂上秋成(小説家/批評家)→→???

 ワッツアップ、メーン? 近頃話題の非生産ピーポーこと同性愛者としてこの聳え立つクソのような世界でなんとか口を糊しているチンケな小説家、王谷晶と申します。名前だけでも覚えてってください。
 突然だが最近仕事が忙しい。賞も獲ってなけりゃ”美人女流作家”でもないのにありがたくも忙しい。そんな私に口の悪いダチ公どもは「非生産特需」などとぬかしやがる。いやまあ、でも、正直ちょびっとそういう側面もありますでしょうな。LGBT特需、差別特需、焼け太り。上等上等大いに結構。悔しけりゃ焼けて太ってみろってんだ。太る前に焼ける覚悟があればの話だがよ。ニュー・タイド・カンパニー(伏字)からオファーが来てればそれを蹴っ飛ばしてもう一発花火を上げられたのだが、運命の女神はそうそう皮算用に微笑んではくれない。誠にワックである。
 なんてな状況で書店をぶらぶらしていたら、一冊の文庫が目にとまった。『蜘蛛女のキス』(マヌエル・プイグ著、野谷文昭訳)。実は一度中学生くらいのときに読もうとして、厚さと注釈の難しさに挫折してしまった本だ。あれから二十年以上馬齢をスタッキングした今ならさすがに読めるべえと思い、さくっと購入した。
 刑務所の同房でモリーナとヴァレンティンが交わす大量の言葉。それは長い無聊の時間を埋めるための他愛もないやり取りだったり、つまらない言い合いだったり、身の上話だったり。そしてモリーナが幻灯機となって流してみせる映画の話。優しい声で語り続ける美しい/悲しい物語たち(小説だから当然音声は無いが、私にはその声が狭い監獄の中で柔らかく響くのが聞こえる)。
 モリーナは与え続ける。言葉を、会話を、娯楽を、食料を、身の回りの世話を。”女らしく”。政治犯であるヴァレンティンは理想を、革命を、社会を、使命を熱っぽく喋り続ける。”男らしく”。二人の”らしさ”は最初噛み合わずときに一方的な押し付けあいになったりもするが、次第にその頑なな”らしさ”の端が融け、混ざり合っていく。誰の視線もない二人だけの世界で、何らしくもないただのモリーナとヴァレンティンとして向かい合う夜が来る。
 ヴァレンティンは何くれと親切にしてくれるモリーナの好意を疎ましがり手酷く拒み、すぐにそれを悔いて言う。「受けることができないのは……けちな人間さ。なぜなら、与えるのも嫌うからだ」ヴァレンティンは確かに受け止めきることができないほどの何かをモリーナから与えられていた。モリーナはそれを作り出していた。言葉でもって。

 言葉っていうのはなんなんだろな~という答えの出ないことを、最近よく考えている。愛を語るのも言葉なら、ヘイトで暴力を振るうのも言葉。言葉は(おおむね)誰にでも使えるものだから、この世の幸せはだいたい言葉が作っているし、不幸もだいたい言葉から生まれている。愛だけを口にして耳にして生きていければいいけど、人はばかな生き物だからその尻を憎しみで汚さずにはいられない。
 あの雑誌に載った憎しみの言葉たちを書いた人たちを、私は個人的にはよく知らない。向こうも私のことなど知らんだろう。けれどあの憎悪は私に届いた。私はレズビアンだから。まるで一方的に殴られたような気分だ。このことを無視したり愚痴ったり忘れたりすることもできたけど、それもあまりに”非生産的”なので、私もこうしてモリーナのように言葉を使うことにした。あなたに届くように書いている。あなたがどこにいる誰かは知らないけれど、あなたに届くように書いている。

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