きょうがこの連載の最終回です。
第9回で取り上げた「『黒子のバスケ』連続脅迫事件」の渡邊博史さんの件は、当人の生きづらさの出発点として親からの虐待があった、というふうな理解をされやすいかもしれません。
渡邊さんの著書『生ける屍の結末』(創出版)によれば、親からの被虐待の過去を持つ人に取材した高橋和巳医師の『消えたい 虐待された人の生き方から知る心の幸せ』(現在はちくま文庫)を読んだのが、渡邊さんの自己認識が変化したきっかけです。だから余計に、親のせいで生きづらくなったように思いやすい。
しかし、『生ける屍の結末』を虚心に読むと、親からの虐待や過干渉だけでなく、同級生からの苛烈な虐待も記録されています。親だけではなく、同年代の仲間も、少年期の彼に影響を及ぼしたのです。
それからもうひとつ、これはいまの日本では言いづらいこととされていますが、人間の気質にはそもそも、遺伝的要因も大きく作用します。
〈子育て神話〉vs.〈仲間からの虐待〉
「人がどのような気質を持ち、どのような行動を選びがちになるかは、幼年期に養育者によって決定的に影響される」
という考えかたは、僕たちの社会ではかなり幅を利かせています。
フロイトの精神分析やジョン・B・ワトソン、バラス・スキナーの行動主義心理学以来、子どもの人格形成に幼児期の養育者が与える影響は決定的なものだと思われてきました。
一般的な育児書から発達心理学の調査論文までを支配しているこういう考えかたのことを、米国の心理学者ジュディス・リッチ・ハリスは〈子育て神話〉と呼んで批判しました。
〈子どもとは生まれながらにして純粋無垢な善人であり、親が模様を描いてゆく無地のスレート板だ、という考え方は私たちの文化の中でも無害な通念である。
この社会通念と背中合わせにあるのが、私たちが望んだとおりに子どもたちが育たなければそれは親の責任に違いないという考えかただが、これはもう人畜無害とはいえない〉
(『子育ての大誤解 新版 重要なのは親じゃない』[1998/2009]石田理恵訳、ハヤカワ文庫、下巻、262頁。引用者の責任で改行を加えました)
ハリスは、進化心理学などの知見をもとにデータを再解釈し、一般に言われているより親の影響力は(好影響も悪影響も)少ないと主張しました。発達心理学の分野では「親の影響は絶大だ」という結論を疑わずに、それを証明するようにデータをストーリー化してしまったのだというのです。発達心理学者たちが持っていた「世界観」によって、調査・実験のデータ間の相関関係が因果関係へとすり替えられてしまった、という事例が多いらしい。
〈子育て神話〉はふたつのものを軽視しすぎています。ひとつは学童期・思春期における〈仲間〉(同級生や遊び仲間)の影響、もうひとつは遺伝です。
たとえば、幼児期の本の読み聞かせが児童の知能に好影響を与える、という伝説があります。しかし、読み聞かせをするような親がもともと高い知能の遺伝子を持っていて、子どもはただそれを受け継いだだけかもしれない(つまり読み聞かせをしなくても同じくらい高い知能に育ったかもしれない)のです。
ハリスは社会学者アン=マリー・アンバート(アンヌ=マリー・アンベール)の報告に言及しています。アンバートは大学生に入学以前の自分史を書かせ、いくつかの質問を用意したなかに〈何がもっともあなたを不幸にしましたか〉という問がありました。
「親の好もしからぬ対応・態度」と答えたのはわずか9パーセント、これにたいし「仲間たちからの邪険なあつかい」を挙げた学生は37パーセントにのぼりました。
〈その経験のために自分は永遠に不利な影響を被っていると彼らは感じている。アンバートはこれを「仲間からの虐待」と呼び、この重大な問題に対してこれまで適切な配慮がなされてこなかったと結論づけた〉(243頁)
ハリスの引用によれば、アンバートは、
〈児童福祉の専門家たちが親にのみ注目することが多く、思春期における精神的苦痛の最も大きな原因となるであろう仲間との確執や仲間からの虐待を軽視してきた〉
と指摘し、
〈これらの自分史の中には、幸せで十分適応していた子どもが、仲間たちに拒絶され、排斥され、陰口を叩かれ、人種差別を受け、笑いものにされ、いじめられ、性的な嫌がらせを受け、嘲られ、追いかけられ、殴られた経験の後で、かなり急激に心理的にまいっていく様子や、時として身体的に病み、学力が低下する様子が描かれているものがある〉
と報告しています。
渡邊被告(当時)の生きづらさに、かつての同級生たちがなにも負っていないとは、僕には考えられません。
罪悪感、自責の念、疚しさ、後ろめたさ、申しわけなさを抱かせるシステム
前々回、前回と、僕が祖母が死ぬまでの約10年間、一度も顔を見せなかったことについて書きました。
顔を見せなかったことについて僕は自責の念を持っていましたが、前の2回で書いたように、いまはそこから解放されていると感じます。
親・祖父母などの尊属や兄姉・先輩などの目上の人にたいしてはなにごとも譲るべきだ──と盲目的に考えてしまうのは、僕たち日本人が、儒教で言う「孝」「悌」「忠」の価値観が通俗化したものを空気のように吸って育つからかもしれません。
そして人はこの通俗的「孝」「悌」「忠」の世界観に一体化できないときに、罪悪感、自責の念、疚しさ、後ろめたさ、申しわけなさを抱いてしまう傾向があります。
これとは逆向きに、しかしまったく同じメカニズムで、〈子育て神話〉は、罪悪感、自責の念、疚しさ、後ろめたさ、申しわけなさを親に抱かせるシステムとして機能しています。だからワイドショウは少年や若年者の犯罪報道では、その親を取材しようとするのです。
日本語には「親の顔が見たい」という言い回しがあります。ひょっとしたらかつては遺伝的な(むかしは「血」などと言った)意味で言っていたフレーズなのかもしれませんが、いまは、少なくとも僕のここ数十年の観測範囲では、これは親の「育てかた」のことを言っています。
「親の顔が見たい」と言っている人が自分の子どもを誇りに思っているか、少なくとも「よそさまに迷惑をかけるような子ではない」と思っているとしたら、その人は「自分の子どもが真人間になっているのは自分の育てかたがよかった(少なくとも間違ってはいなかった)」と考えているのかもしれません。
だとしたらその人は、「公正世界」の誤謬(世界は帳尻が合うようにできているという誤信念)とコントロール幻想(自然現象や他人をコントロール可能な対象とみなしてしまう発想)を抱えているのでしょう。
ほんとうは自分が子どもに伝えた遺伝子のせいかも、また親のあずかり知らぬところで子どもがいい仲間に恵まれた(少なくとも悪い仲間に傷つけられることはなかった)おかげかもしれないのですが。
このように人間は、世界の成り行きを、年表や履歴書のようなたんに時間順の前後関係で把握するというよりは、「原因→結果」とか「動機→行動」といった因果関係のストーリーでとらえようとする傾向があります。
どういうストーリーで、自分の体験を把握するか
前々回に書いたように僕は、自分が祖母の最後の10年間、彼女に会いに行かなかったことを、彼女の死後、長年にわたって
「僕が祖母に不義理していた=僕が悪かった」
というストーリーで説明しつづけていました。
その自責の苦しさが終わったのは、自分が祖母に会いに行かなかったことの説明が、
「僕は祖母が僕にした行為が厭だったのだし、それは厭だと思ってかまわない行為だった」
というストーリーに変わった瞬間でした。
ですから、自分の苦しみを「だれか」や「なにか」のせいにしたほうが自分が納得するのであれば、そういうストーリーを人は選ぶことができます。
ただしそれは、その「だれか」や「なにか」が恨みや憎しみの対象とならないときにかぎります。
自責をやめたはいいけれど、もしその「だれか」や「なにか」を恨み、憎しみつづけることになれば、やはりべつの苦しみが始まります。人を憎むというのは、その人に自分の感情の支配権を受け渡してしまうことだからです。
ネガティヴ感情に執着するのは不健康なこと
いつごろからか(1980年代? 1990年代?)日本では、事件や事故や災害で家族を失った遺族が命日などに、作文を発表したり読み上げたりしてTVがそれを報道する習慣があります。
作文には、感情を整理するセラピー要素があります(ちょうど前の連載が僕にたいしてセラピー効果があったように)。だから作文には意味があります。
けれど、形式好きの日本人は、この作文に卒業生答辞的なテンプレートを作って守りはじめました。
いわく、
「あれから何年経ちましたが、この悲しみはまったく変わっていません」
「これからも永遠に変わらないでしょう」
「この悲しみに押しつぶされない日は、あれから1日としてありません」
どれもこれも、恨みを固定し、立ち直りを遅らせ、自分に呪いをかける呪文です。
不慮のできごとで家族を失った遺族はおそらく、どう表現してよいかわからない感情にのみこまれています。その不定形な感情を言語化することは、傷ついた心に平和をもたらすために、大いに意味があります。
けれど、その言葉はひとりひとり手さぐりで、違った経路を通って発見されるはずのものではないでしょうか?
もし遺族が上述のような形骸化したテンプレートにすがってしまうようなことがあるのなら、そういう風習を報道することはもうやめたほうがいい。
(日本人が上述のような「憎しみや怒りを風化させない」=「ネガティヴ感情に執着する」形式の呪文を好んでしまうのは、日本人に多い激しい宗教嫌いの副作用で、自分の報復感情を宥めることが得意でなくなっているせいであるように思えます)
いつまでもとどまっていると碌なことはない
僕はというと、
「自分が祖母に会うことがなくなったきっかけは祖母の行為である」
というストーリーを思いついて以後の2年間、亡き祖母を憎んだり恨んだりする気持は起こっていません。
彼女はたった一度の、しかもおそらく親切心(と無知)に発した過ちが原因で、その夏以来死ぬまでの10年間、最年少の孫とは二度と会うことがかなわなかった。
あえてストーリー的な物言いをするならば、祖母はふさわしい報いを受けただけなのです。そしてそのことは、僕が気に病まなくてもよかったはずのことでした。
祖母に恨みを抱く気もなければ、同情する気もありません。
単一のストーリーに縛られると、自分やだれかを責めてしまう
今年、NHK総合『目撃! にっぽん』で、娘さんを強姦殺人で失った(犯人は自殺)お母さん(中谷さんというかた)が、
「罪を犯した人は自分が幸せを感じなくなっている。自分が幸せを感じられなくて他人の幸せを願えるだろうか。自分が幸せを感じることができてはじめて償いにとりかかれる」(大意)
という意味のことを言ってるのを見て、胸を打たれました。
人は自責・罪悪感が強いと、償えないのです。
同番組によると、この発言にたいしてべつの被害遺族から、
「加害者が自分を責めるのは身から出た錆である。苦しみ続けるのが当然である」
「あなたは亡き娘をどう思っているのか」
と批判があったといいます。
しかし僕は中谷さんの姿勢が好きです。
僕がもし被害遺族になったら、中谷さん側に立ちたい。
立てるだろうか。その自信があるとは必ずしも言い切れないけれど……。
いまこの瞬間にも、自分の過去の過ちを思い出して、自分を責めている人は多いと思います。
その苦しみのいくぶんかは、あなたにとって無駄なものではないでしょう。
けれど、たとえあなたの過ちがどれだけ大きなものであったとしても、自責の苦しみにいつまでも泥(なず)むのは、なんの益もないし、たぶん害しかない。
罪悪感、自責の念、疚しさ、後ろめたさ、申しわけなさを抱かせるシステムからは、いますぐ──というのが無理なら、できるだけ早く──必ず身を引き離すのが大事だと思います。
自責のストーリーが立ち上がってきたら、ひとしきり自責の時間を過ごしたあとで、自分に問うてみませんか。
「それ、ほんとの話?」
と。
(了)