昨日、なに読んだ?

File34. 千野帽子・選:ストーリーの不思議について、いっしょに考えてくれる本
パスカル・ボイヤー『神はなぜいるのか?』、Thomas Pavel, La Pensée du roman、渡邉博史『生ける屍の結末』

紙の単行本、文庫本、デジタルのスマホ、タブレット、電子ブックリーダー…かたちは変われど、ひとはいつだって本を読む。気になるあのひとはどんな本を読んでいる? 各界で活躍されている方たちが読みたてホヤホヤをそっと教えてくれるリレー書評。 【千野帽子(エッセイスト/俳人)】→→花田菜々子(書店員)→→???

「人間は言葉を使うから動物と違う」とか言う人がいますが、僕のような素人(僕はほとんどのものについて素人です)から見るとそれは、蜘蛛は尻から糸を出すから動物と違うと言い張るような議論だと思います。
 宗教や美術、スポーツや文学などの文化現象も動物の行動として見てみるのが楽しいし、いろいろほっとするというか、なんだか風通しがよくなる気がします。世界各地で人がてんでに神というものを想定してきたことも、人間という動物の行動の重要ポイントですよね。
 そういったわけで、パスカル・ボイヤー『神はなぜいるのか?』(鈴木光太郎+中村潔訳、NTT出版《叢書コムニス》)を、最近というか、最近も相変わらず読み返してます。ボイヤーはフランス出身の人類学者で、姓はもともとボワイエと読むんですけど、米国で活躍し英語で書くことが多いので英語読みで定着してます。
 『神はなぜいるのか?』は2001年にフランス語版が出て、原題を『そして人は神を創造した 宗教をいかに説明するか』という。翌年に英語版『解明される宗教 宗教的思考の進化論上の起源』が出て、さらにそれをもとに仏語版を改訂したのが出ました。
 『解明される宗教』ってダニエル・デネットの本(青土社)じゃないの? と思う人もいるでしょうが、デネットの旧著『解明される意識』(同)に因んだ日本語題なだけです。あれは原題を『呪いを解く 自然現象としての宗教』という。ボイヤーはデネットの原題に因んで自著の英語版を命名したわけです。
 さて、同じく仏語版(2003)・英語版・仏語改訂版を持つThomas Pavel, La Pensée du roman(『小説の思考』)の、その仏語改訂版も読み直してます。
 小説は人間というものを、ときにきわめて高潔な存在として、べつのばあいにはこの上なく陋劣なものとして、記述してきました。この高潔↔陋劣の振れ幅とヴァリエーションを、古代ギリシア小説から現代文学までを串刺しにして論じる大著。おもしろいけど、読み手がいろいろ試される厄介な本でもある。
 『生ける屍の結末 「黒子のバスケ」脅迫事件の全真相』(創出版、2014)の著者・渡邉博史(ひろふみ)さんは、《週刊少年ジャンプ》人気連載およびその作者・アニメ化作品・同人誌を標的とした連続脅迫事件で逮捕された人です。
 この手記は何度読んでも胸を打ちます。そして、ストーリーを生み出すという人間的行動について、いくつものヒントを与えてくれます。僕はたぶん、この本について世界で一番書いたり喋ったりしてる人間でしょう。
 なんでこの3冊──だけじゃなくてクロード・E・シャノン『通信の数学的理論』(植松友彦訳、ちくま学芸文庫)とか神谷美恵子『生きがいについて』(みすず書房)とか──を読み返してるのかというと、あさって(2018年5月25日)から月2回、この《Webちくま》で、『人はなぜ物語を求めるのか』(ちくまプリマー新書)の続篇を連載するので、準備のために慌てて読み直してるんです。どの本も、ストーリーの不思議について、いっしょに考えてくれます。
 同書のもととなった連載「人生につける薬 人間は物語る動物である」も当サイトで読めますので、もしよかったら読んでみて。気に入ったら本を買ってください。

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