重箱の隅から

予言について②

 世紀末の社会が抱えていた問題を解決できないまま、「さらに余裕をなくした社会に」生きているの「だからこそ「物語」が復権する予感もある」と若い作家は語っていたのだが、復権、、というかなんというか、物語を必要としているさまざまな場所(メディア)(むろん、いわゆるフィクションの場だけではなく)では、不安、、をもとにいつでも小規模な誇大妄想の物語はいくつも作られ語られるのだし、前世紀が世紀末にさしかかろうとしていた1984年、ジョージ・オーウェルの『一九八四年』(1949年)の描いた暗黒の未来は当たっていたかどうかと取り沙汰されたものだったが、これは予言ではなく書かれた当時の独裁社会の現実だったのだし、トリュフォーが映画化したレイ・ブラッドベリの『華氏451度』の「本」を所有し、読むことが罪に問われ、本が燃やされる未来社会については、焚書などという手間を掛けずとも自発的に本を読まない、、、、、、、、、、人間が増えているのだから、このSFファンタジー小説のカリスマの描いた未来の予言は微妙と言わざるを得ないのだが、「本」を製造、生産する立場にある紙に印刷された文字を商う分野は小規模ながらある幻想を持っているようなのだ。宗教方面は言うに及ばず、予言的世界観と密接に結びついているのだが、芸術家や知識人や科学者も含めて鋭利な想像力が、明るいにせよ暗いにせよ未来を予言をし、それがピタリと当る、、ことがあると思われていることは、あえて書物を繙(ひもと)くまでもなく、紙に印刷された文字の中にいくらでも散見できるだろう。
 つい何カ月か前、テレビの天気予報(生活情報とも疑似科学的教養とも、無難なエンターテインメントとも言える)で、積乱雲のかたまりがいくつも重なってできる鉄床(かなとこ)雲の現象を視聴者の投稿写真で紹介していて、それは核爆発で生じるキノコ雲の形に似ているのだが、それで思い出したのが半世紀以上前、60年代前半の『美術手帖』に、アメリカの現代美術の紹介者であった前衛美術批評家が、芸術家の幻視者的能力について触れ、ヴィクトル・ユゴーの、今にして思えば鉄床雲に違いないデッサンを(多分、オディロン・ルドンの版画やポーの『大ガラス』やフローベールの『聖アントワーヌの誘惑』について触れ書いた文章だったろう)、ユゴーが核爆発を幻視的に予言していたのではないかと書いていたのを思い出した。ノストラダムス研究室主宰者によれば「70年代の日本は科学の進歩と迷信がまだ混然一体の時代」だったのだが、それはそれとしてこの場合、前衛美術批評家は雲の種類など知らない無知を根拠に、幻視者の見た予言的映像と思い込んで、大小説家の予言能力に魅惑されたのだったが、アートに「予言の力」があると上擦(うわず)って考えるのは今日の「現代アート」の状況においても変わってはいない。略して「ヨコトリ」と呼ばれる美術展「ヨコハマトリエンナーレ」について朝日新聞の編集委員(大西若人)は「現代美術展で、企画内容や出品作品がコロナ禍や人種差別問題といった世界の「今」を、事前に見通していたのではないかと話題になっている」ことを踏まえて「現代アートには、「予言力」があるのだろうか」と書く(9月8日朝日新聞)のだが、これには五島勉の死によって思いおこされたノストラダムスが影を落としているかもしれないと、つい考え込んでしまう。「未来を察知したかのような言葉や表現。アートには予言力があると考えてよいのだろうか」と編集委員は思い、「ヨコトリの組織委員会副委員長を務める蔵屋美香・横浜美術館長」が「ある討論の場」で「指摘した」言葉を引用する。「アーティストは、日常に埋もれた『しるし』を見つけて形を生み出すことで、現在を解釈し未来を占う、シャーマンのような存在かもしれない」。アーティストたちの、あまり深いとは思えない発言と作品の説明の後に編集委員は教訓を読み取った、、、、、、、、とでもいった調子で結論を書く。「アーティストたちは注意深く、日常の中で埋もれたものや見過ごされたものを見つめたり、角度を変えて見たり、過去に学んだりすることを通じて表現するため、結果的に未来の予言に映ること」があり「逆にいえば、私たち自身がこうした態度を身につけたとき、彼らの表現は予言には見えなくなるはずだ」。
 こうした態度、、、、、、というのは、態度、、というのもやけに雑な言い方だが何もアーティスト特有のものでも、ましてシャーマン、、、、、のものでもなく、いわば歴史感覚と日常感覚をもって思考する常識的な人間の生き方ではと言うべきだろう。とは言え、たとえば2016年、アメリカを中心とした国際チームが初めて重力波を直接観測して「アインシュタインの残した宿題に決着をつけた」ことを報じる記事(毎日新聞2016年2月13日)に付された子ども向け(?)の解説コラム(「質問なるほドリ」)は、「重力波があることを100年前から予言していたアインシュタインって、どんな人?」「他にはどんな予言をしたの?」という素朴な質問に科学環境部の記者が「彼の予言」を説明するスタイルになっているのだが、アインシュタインの仮説だった理論が、なぜ予言と呼ばれるのか。私たちとしては、2013年のノストラダムス研究室主宰者の「70年代の日本は科学の進歩と迷信がまだ混然一体の時代でした」というのはもっと後年までだという気にさせられるというものである。
 もちろん、「予言」はアーチストや科学者だけではなく、19世紀のジャーナリズムの勃興とともにメディアの花形となった小説家も関係して当然だろう。しかし、前々世紀のものとはいえ、小説は予言ではなく、歴史となった時代と現在の暗黒部をあばくものとして正義の味方であり、同時に、SF小説としてバラ色であれ暗黒であれ、現在の雛形としての未来を予言というか予測してきたのだ。
 朝日新聞の折り込み広告と共に月2回配達される(「ASA(朝日新聞販売所)は高齢社会を応援します」と赤地に白ぬきの大きな文字が一面の上部に印刷されている)その名も「定年時代」というタブロイド紙の記事に、新作小説『コロナ黙示録』を書いた医療ミステリー作家海堂尊(かいどうたける)のインタビューが載っているのだが、十年前の作品『ナニワ・モンスター』(2009年から翌年にかけて流行した「新型インフルエンザのパンデミック騒動を活写した」小説との説明あり)は、「今、「予言の書」とも言われる」とインタビュアーが書いている。日本では大流行はしなかったが、韓国では大流行の経験を元に作られた対策がある程度の効果を示したわけだが、未知のウィルスによる感染症のパンデミックが起こり得る、ということを語るのは(たとえ「小説」という前々世紀、、、、の遺物めいた愛すべき形式(メディア)をとるにしても)、言うまでもないことだが予言ではなく想定内、、、の予測ではないか。
 そして、島田雅彦は、緊急事態の外出の自粛が求められても「元々、物書きは引きこもり傾向が強い」から「外出自粛などは屁の河童で、日課のように近隣の森を散策するカントやルソーのような暮らしをしている」と書く。屁の河童というより、コロナ時代の新しい生活様式、、、、、、、、、、、、、では、対向歩行者と2メートルの距離、、、、、、、、をとった散歩は、別に自粛の対象にはなっていないのだし、三密(なんだか宗教的な秘義――密教系の?――のように聞こえる言葉で、どうも迷信的な印象を持ってしまう)は避けられている行動なのだから、屁の河童もなにも誰からもとがめられない行動なのだ(『暮しの手帖』’20年8-9月「散歩者は孤独ではない」)。4年ほど前の自作小説の筋を短い文章の中で丁寧にたどっているので、およそどういうものなのか未読の読者にもわかる小説には、今度のコロナ騒ぎに「既視感」を感じてしまうことが書かれているらしい。作中のボトルネックと命名されたウィルスを「コロナウィルスと命名、、、、、、、、、、していれば、予言の書、、、、になっていた」(傍点は引用者による)だろうと書いている。予言、、といえば、本でも書籍でも小説でもなく、であるらしい。海堂尊の小説のように、読者にそう呼ばれたのではなく、作者がそう呼ぶのが、いかにも予言の書的である。そういえば、島田の新作『スノードロップ』刊行記念対談(『波』5月号、望月衣塑子との対談「皇后陛下が立ち上がる時」)の編集部による惹き文句には、「「令和」改元から1年。新しい天皇陛下の世がいよいよ本格的に始まる今、小説家・島田雅彦の想像力が未来の皇室像を予言する、、、、……。」(傍点引用者)と書かれている。ふと、ギリシア神話の預言者カサンドラの名を思い出す。
 小説のような観念的物語にとらわれた作家(に必ずしもかぎらないのだが、私見によれば物語、、を製造するアーチストたちであろうか)ではない人々の語る率直で冷静な言葉に、私は共感する。
 去年、設計事務所を解体した建築家の鈴木了二のインタビュー(「ローカル/ソシアル/異端」『GA JAPAN165』’20年7-8月)である。「無理矢理アゲている感じが露骨」な東京から久しぶりにいなくなる予定だったのに「コロナが来て」、「自分が籠もるつもりだったのに、世界が籠もってしまったわけ(笑)」で「人がいなくなった東京を、夕方、散歩する範囲で歩き回った」と鈴木の話すことは、予言とか河童とは関係なくあくまで具体的である。夢想する小説家とくらべる必要などないのだが、鈴木了二は人気(ひとけ)のない渋谷を散歩してカメラのシャッターを切り、「今が福島の時と違うのは、起きている事態がどの程度のことか、参照項がないから世界中で誰もわからないこと。みんな自分で考えて、ものを言わないといけないし、間違いもあるから翌日には修正する必要も出てくる」と語るのだが、無人の都市と福島を結びつけて語る言葉に、ここでようやく出会ったと言ってよいだろう。おびえと自足から発せられた非常時の予言の言葉、、、、、、、、、ではなく――。
〈この項つづく〉