昨日、なに読んだ?

File56.献立が決まらないときに読む本
稲田俊輔『おいしいものでできている』/車輻『川菜雑談』/パニコス・パナイー『フィッシュ・アンド・チップスの歴史』/唐魯孫『中国吃』/崔岱遠『中国くいしんぼう辞典』

紙の単行本、文庫本、デジタルのスマホ、タブレット、電子ブックリーダー…かたちは変われど、ひとはいつだって本を読む。気になるあのひとはどんな本を読んでいる? 各界で活躍されている方たちが読みたてホヤホヤをそっと教えてくれるリレー書評。

 夕飯の献立が決まらない。
 レシピを繰ってもぴんと来ないときは、たいてい食べものについての文章を読む。

 昼は久しぶりに麻婆豆腐を作った。それもエッセイ集『おいしいものでできている』(リトルモア)の一章、「麻婆豆腐の本質」に出てくる「ミニマル麻婆豆腐」に刺激されたためだった。著者の稲田俊輔さんが「僅かな情報と妄想を頼りに」して「当初の麻婆豆腐」を再現したもので、必須の材料のはずの豆瓣醬(トウバンジャン)すら使わないシンプルさだ。「せっかく家で作る料理なのにありふれたお店の味になってしまうのは、それがたとえ文句なくおいしかったとしても勿体ない! と思ってしまうのです」というところが、プロの料理人であり食いしん坊である著者ならではだ。

 麻婆豆腐の昔の作り方については、四川料理に関するエッセイ『川菜雑談』(生活・読書・新知三聯書店、日本語訳未刊)に詳しかったはずだ。1920年代、成都の「陳麻婆豆腐」がまだ一膳飯屋のような小さな店だったころから厨房を仕切っていた料理人、薛祥順(せつしょうじゅん)のやり方は「菜種油を鍋に入れて温めてから、牛肉を入れ、ぽろぽろさっくりとしてきたら、豆豉(トウチ)を入れる。(略)トウガラシの粉は入れるが、豆瓣醬は入れない。これが師傅の調味料の使い方の特徴だった」とあった。
 現在の麻婆豆腐のレシピには欠かせないと思われている郫県(ピーシエン)産の豆瓣醬は、20世紀のはじめくらいからようやく有名になっていったもので、うまみ調味料「味精(ウェイジン)」とともに、20世紀の半ばには四川の「料理店の味」らしさを作るだいじな存在になっていた。それらに頼らない単純な味に、薛祥順も「麻婆豆腐の本質」を見ていたのかもしれない。

 そういえば『フィッシュ・アンド・チップスの歴史』(栢木清吾訳、創元社)も近い時代を扱っていた。この本のいちばん読ませるところは何といっても、フィッシュ・アンド・チップスといえば誰もがイギリス人という「国民」を連想するが、その魚の衣揚げはもともとユダヤ系の人々のもので、マイノリティと結びついていたものだった、という部分だ。「フライドフィッシュのにおいは、反ユダヤ主義がはびこるヴィクトリア朝時代のイギリスにおいては、ユダヤ人の存在をほのめかすものだった」ものが「20世紀初頭にフィッシュ・アンド・チップスが労働者階級と関連づけられるようになるにつれて、徐々になくなっていった」のだという。

 日本における麻婆豆腐だってそうなのだが、ある民族や移民の集団などと結びついていたものが、どこかで「ふつうの食べもの」になる過程はいつもおもしろい。

 中国に戻れば、1908年生まれの唐魯孫(とうろそん)『中国吃』(景象出版社、日本語訳未刊)で、羊のゆでモツ「爆肚児(バオドゥル)」について書いたときには、北京で爆肚児を売るものは、「飯館(レストラン)ではなく屋台のような小店ばかりで、みなムスリムだった」といい、「屋台の看板はぴかぴかに磨き上げられたのが立っていて、表面にはアラビア文字が彫られ、それとは別に漢字四字で「清真回回」の四字のある銅の札が掛けられていた」とするが、1960年代生まれの崔岱遠(さいたいえん)氏は『中国くいしんぼう辞典』(みすず書房)で、「北京っ子にとっては、「爆肚児」の誘惑はしばしば「涮羊肉(シュアンヤンロウ、羊肉のしゃぶしゃぶ)」にも勝る」と書き出し、たとえば「肚仁児(ドゥレル)」という部位は羊に由来するのに「活け貝」そっくりの食感とうまみを持っているなどさまざまな味わいがあると続けて、あくまで北京人一般のソウルフードとしてまとめている。

 さて今夜の夕食は、まず副菜はうちの定番「にんじんしりしり」にしてしまおう。しりしりは「沖縄料理」からちょうどふつうの家庭料理になってきたところではないだろうか。にんじんを穴の開いた金属板に押しつけるようにして細切りにし、フライパンの中で少し炒めて缶詰のツナを入れ、溶き卵を加えて混ぜ火が通ったらできあがりだ。この金属板ことしりしり器は台湾にもそっくりなものがあり、「菜銼(ツァイツオ)」と呼ばれていて、台湾と沖縄の距離からしても互いに関わりがありそうな気がしている。
 主菜は牛肉の沙茶醬炒めにしよう。「沙茶(サテ)」は台湾でよく使われる調味料で、細かくつぶした干し魚と干しエビ、ココナッツパウダーに唐辛子などを加えて油で風味を引き出している。やけに複雑なのにまとまりのある味がして、牛肉の脂の少ないところを適当な野菜と炒めるのにぴったりだ。ちょうど去年、沙茶醬が台湾でどのように「ふつうの食べもの」になったかを書いた本も出たばかりだ。

 さっそくにんじんをしりしり器にかけながら思い出したけれど、いま訳している台湾の食べものエッセイにも、似た道具でうるち米から作った生地をめん状に削った「米苔目(ミータイムー)」が出てきた。この食べものについては、さっきの沙茶醬の本の話といっしょに、夕飯をすませた後にでも。

関連書籍

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崔 岱遠

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