丸屋九兵衛

第37回:日系空手家はチャイニーズ・サシミ。高慢と偏見とアフリカン・カンフー・ナチス

オタク的カテゴリーから学術的分野までカバーする才人にして怪人・丸屋九兵衛が、日々流れる世界中のニュースから注目トピックを取り上げ、独自の切り口で解説。人種問題から宗教、音楽、歴史学までジャンルの境界をなぎ倒し、多様化する世界を読むための補助線を引くのだ。

 自分のセリフに笑うようなコメディアンはダメだ。だからわたしも――まったくもってコメディアンではないが――なるべく笑わないように努めたい。
 現時点で笑いすぎだ。遺憾。もっともっと、キープ・イット・仏頂面でないと。町山智浩先輩に「笑った写真がないから怖がられるのだ」と何度言われても。

 そんなわたしは、「好きなコメディアン」ならたくさんあげられるが、「笑わないコメディアン」という観点で仰ぎ見る対象は限られている。ほぼ二人だ。
 まずは、今は亡きバーニー・マック。
 そして、ロニー・チェン(Ronny Xin Yi Chieng 錢信伊)である。

 ロニー・チェンに関して素晴らしいのは、キープ・イット・仏頂面であるがゆえに、なにげない発言がすべて皮肉に聞こえることだ。その威力は、スタンダップ・コメディで遺憾なく発揮される。
 

 とはいえ、わたしがロニー・チェンという人物を知るきっかけとなったのは、スタンダップ・コメディではなく、映画『Crazy Rich Asians』でもない。トレヴァー・ノアが司会するニュース風お笑い番組――のはずが、FOXニュースよりよっぽどマトモな報道をしてくれる――『The Daily Show』に"特派員"として登場したことである。
 その『The Daily Show』におけるロニー・チェンの仕事の中でも素晴らしいのは、着任間もない頃にFOXニュースのレイシストぶりを告発したものだ。

 かつて、FOXニュース名物といえばビル・オライリーの番組『The O'Reilly Factor』だった。
 2016年10月、このオライリーが「大統領選挙関連で中国が話題になったから」と、特派員Jesse Wattersをニューヨークのチャイナタウンに派遣。しかし、いかんせんFOXニュースだから、住民たちを小馬鹿にした映像のオンパレードとなるのだった。
 例えば、Jesse Wattersがチャイナタウンの若い男性に「カラテ知ってる?」と質問、その直後のシーンでテコンドー道場の師範にしごかれ、そこにブルース・リーの映像が挿入されるのだ。これに対してロニー・チェンは仏頂面に怒りを交えながら言う。
「レイシストなら、せめてステレオタイプを間違えるな! カラテはチャイニーズではなくジャパニーズだし、その道場はテコンドーだからコリアンだ!」

 

 もちろんわたしはロニー・チェンと同意見で、「いやしくもレイシストならば、ステレオタイプを正しく捉えよ」と思う。
 だが、それは「我々はチャイニーズではないので、中国が発祥地であるコロナとは関係ない」「コロナを理由に差別・迫害するなら、中国系の血を引く連中だけにしてくれ」という――被差別側のいち集団が差別する側に情状酌量を求めるような――主張ではない。
 そもそも、コロナの件が中国系アメリカ人に対する迫害の大義名分になるのであれば、第二次世界大戦中の日系人強制収容はどうなる? 「日本軍が真珠湾を攻撃したのだからやむなし!」と正当化されてしまうではないか。
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 日系アメリカ人といえば。
 空手家サクラ・コクマイ(國米櫻)は1992年、ハワイ生まれ。つまりアメリカ人だが、同志社と早稲田を出ている。さまざまな大会でメダルを獲得した彼女は、きたる(本当に?)東京オリンピックに、空手のアメリカ代表選手として参加することになっている。

 そんなコクマイが、カリフォルニア州オレンジカウンティの公園でトレーニングしていたところ、見知らぬ白人男性が「このチビ」「ボコボコにしたる」等と叫んできたのだ。
 もちろん、この男がコクマイを空手家と知らないがゆえにできた脅迫ではあろう。だが、そのときコクマイの心に去来したのは、「彼が実力行使に出たとしても、私は対応できる。でも、これが私ではなく私の母なら? 祖母だったら?」ということだった。

 このレイシスト野郎がコクマイを罵る時に発した言葉に注目したい。
 それは「チャイニーズ」と「サシミ」。
 それを聞いたコクマイは「サシミは日本のものです!」「私は日系です、チャイニーズではありません!」と抗議……するはずもない。
 共にゆえなく差別されている同胞である以上、彼我の区別を叫ぶことに意味などないのだ。
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 ある日、アメリカ在住の我が兄弟はこう書いた。

8人も殺しといて、生きて捕まったって報道見るだけで、「犯人は白人男性」って写真見る前から分かった。日本には「日本人と中国人は違う」とかアホなこと言ってる人いるけど、中国人も日本人も韓国人もベトナム人もタイ人もみんな一緒。アジア人全体がヘイトクライムの危険に晒されてる。

 するとディックヘッドが湧いて出る。

ほう、じゃあ、米国がイラク侵略したから
フィンランド人がイスラム圏で殴り殺されても、フィンランド人は文句を言う権利が無いの?インド人がパキスタン人との違いを主張する権利はある。
「アジア人は中国人」という偏見と差別に加担しないで欲しいね


アメリカ人が無知だからといって
アジア人=中国人という偏見を肯定していいわけがない。

ドイツ人とイタリア人の民族性は同じではない。
アジア人が皆、犬を食べるわけではない。

アジア人は全部一緒、というバカな事を言う人連中に
反論する権利もないの?


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 ビル・マーレイの金言――"It's hard to win an argument with a smart person, but it's damn near impossible to win an argument with a stupid person"(賢者との論争に勝つことは難しいが、アホと論争して勝つのはまず不可能)――を思い出すが、精一杯のことを書いておく。

 アメリカに住むアジア系/アジア人が"アジア系アメリカ人"という一つの集団として等しく苦難にある時期に、「アジア人=中国人という偏見に加担するな」と場違いな主張をすることに何の意味がある?

 さらに。
 この人物は被害者ヅラをしている(ように思える)から、中国系アメリカ人が日本人と誤認されて殺される時代があったことを思い出させてあげたい。
 それも戦前戦中ではない。1980年代のことだ。
 被害者はヴィンセント・チンという青年。彼を殺害した白人男性3人は有罪となったが、判決は「軽い罰金と執行猶予付きの懲役(=実刑なし)」だった。
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 余談めいているが、「悪としての日本」伝説をもう少し。
『高慢と偏見とゾンビ』と、『アフリカン・カンフー・ナチス』と、『イップ・マン 完結』と。

『高慢と偏見とゾンビ』は、『高慢と偏見』にゾンビものの要素を付け加えたマッシュアップ小説。リリー・ジェイムズ主演で映画化もされた。ベネット家の姉妹はカンフーの達人。一方、対立するレイディ・キャサリン・ド・バーグが抱えるのは忍者軍団だ。まあ、「善のカンフー」vs「悪の忍者」である。

 そして『アフリカン・カンフー・ナチス』。死を装って第二次世界大戦末のドサクサを生き延びたヒトラーと東條英機がアフリカで再起を図り、ガーナの皆さんを洗脳して「ガーナアーリア人」軍団を結成するという話だ。東條英機が伝授する空手による恐怖支配を確立するが、カンフー道場で修行する現地青年アデーが立ち向かう! つまり、「善のカンフー」vs「悪の空手」だ。
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 さらに、ドニー・イェンが主演する本家本元の葉問(イップ・マン)シリーズ第4作、『イップ・マン 完結』の悪役も、空手が得意な白人たちである。
 このシリーズで「カンフー vs 空手」が描かれるのは初めてではない。そこには、現在の中華圏ショウビズでは避けづらい中華ナショナリズム演出の意図――もっとも我が香港のSF仲間に言わせると「ドニーは政治に無頓着」らしいが――もあるだろう。

 あるいは、『イップ・マン 完結』のもう一人の主人公であるブルース・リーが60年代にアメリカ生活の中で感じた「空手はこんなにメジャーなのに、なぜカンフーは知られていないのか」というフラストレーションを反映したものかもしれない。
 そんなブルースの不満は、解消されたとも解消されていないとも言える。彼の最終作『燃えよドラゴン』が契機となり、カンフー・ブームは確かに世界中で爆発した。だがその後も、例えばアメリカの映画館で上映されるカンフー諸作は、往々にして"カラテ・ムーヴィ"と称されることになる。今に至るまで。
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『イップ・マン 完結』には、そんな「善のカンフー」vs「悪の空手」という構図はあるにせよ、それは決して「中華系 vs 日本」あるいは「中国人 vs 日本人」ではない。バッドガイたちは確かに空手の使い手ではあるが、あくまでアメリカ白人。
 それによって『イップ・マン 完結』は、制作陣が当初意図していなかったであろうメッセージ性を帯びることとなった。

 同作が撮影されたのは2018年の春から夏にかけて。その頃は予想もできなかったことだが、中華圏やアメリカ、オーストラリアやニュージーランドで――つまり日本以外で――封切られた2019年末から程なくして、世界は変わってしまった。
 以来、我々アジア系/アジア人はコロナウイルスに関連づけられて、世界中で疎まれ(以前にも増して)蔑まれ、「出ていけ!」と追われる存在となった。特にアメリカでは。
 半世紀ほど前を舞台にしているはずの『イップ・マン 完結』は、そんなアメリカの現状にそっくりだ。同作で描かれるサンフランシスコのチャイニーズ・コミュニティは、異物として主流社会(ほぼ白人)から差別・迫害・弾圧されるが、それでも中華系移民協会の会長は「我々はここに留まる」と宣言する。
 そんな彼らの苦難を目の当たりにした葉問師匠(香港人)も、同胞として彼らと共に戦うのだ。

 日本人よ、君にとって大切なのはどちらだ?
「サシミはチャイニーズではない!」「アジア人が皆、犬を食べるわけではない!」と誤解を訂正して回ることか。
 それとも、同胞に寄り添うことか。