丸屋九兵衛

第47回:石原慎太郎の偉業、黒シール事件! 「北朝鮮より帰化」勢の立候補を阻むべき理由

オタク的カテゴリーから学術的分野までカバーする才人にして怪人・丸屋九兵衛が、日々流れる世界中のニュースから注目トピックを取り上げ、独自の切り口で解説。人種問題から宗教、音楽、歴史学までジャンルの境界をなぎ倒し、多様化する世界を読むための補助線を引くのだ。

 どちらの側にもアレな人はいる。以前から書いているように。

 もちろん基本的には、アレはもちろんネトウヨの皆さんのお家芸であるはずだ。
 例えば「保守思想ですが、考えや思想に共感できるなら国籍民族属性関係なく賛同します」というポリシーが立派なこの御仁。

【オモニ食堂】
(韓国語でお母さん食堂)という店が、日本国内に複数存在するのですがこれは問題ないのですか?

 日本を代表する巨大便利商店チェーンの一つであるファミリーマートが展開する「お母さん食堂」と、日本に点在する「オモニ/オムニ食堂」(多数の同名異社からなるモトリーなクルーだと思う)が抱える社会的責任を同一視できる慧眼が素晴らしい。
 さらに、「#フェミニスト団体幹部の多くは韓国慰安婦団体と連帯しています」というハッシュド・タグまで付けているが、その二つが連帯することに何か不可解な点があるようだ。不勉強なわたしがまだ気づけないでいる事柄ゆえ、できれば教えて欲しいと思う。
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 だが同時に、「左側」にも同種の逸材がいる。

 自己認識がリベラルだったりフェミニストだったりしても、他人に自由を許さないタイプ、と言おうか。
 彼女とか。
 とか。

 こういった人たちは、たまたま一時的に「こちらサイド」に靡いているだけ、その本質は千葉麗子なのではないか……と思ったりもするのだ。
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 では、この綾野という人はどうだろう?
 曰く「フェミニストとヴィーガンやってる現役JD(休学中)/国民を啓蒙するツイート/大学で女性の権利を守る活動してる人」、以下略。

【驚愕】オタクくんたちが大絶賛するサイゼリヤ、勉強のために行ってみたら...(4年ぶり) ヴィーガンが注文できるメニューが一切なし。私への配慮ゼロ。15分メニュー表見ても何ひとつ頼めない。なにこれ?もう怒りでお腹いっぱいになったので店員さんにメッセージ付き注文用紙だけ渡して帰宅した。

こちらの動画、コメント欄に目を通し終えました。いいね付いてるコメントは一通り完封。かわいそうなくらい論破しておきましたw 前回は少し目線を下げて話したからアンチが喜んでたけど、今回ちゃんと論理的に話したらこの様。アンチの浅さが分かる。今からいいね少ないコメントも完封しにいきます笑

「国民を啓蒙するツイート」を自称し、「w」と「笑」を織り交ぜながら「論破」を主張する姿勢に漂うのは、フランスで高等遊民をしている某氏に通じる肥大したエゴ。案じてしまう。
 若さゆえの傲慢かもしれないが、それもそれで恐ろしいものだ。00年代半ば、わたしは16歳だか17歳だかのクリス・ブラウンに半日ほど密着して「この子、誰かちゃんとした人がついてへんとアカンのちゃうか」という危惧をうっすらと覚えた――その後、彼は本当にアカンようになった――が、それに似た不安を覚える。
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 それでも。
 この人が自分の要望を主張することを他人が責めてはいけない。
「イヤなら出て行け」「サイゼリヤに来るな」という意見が多数派のように見えるが、そもそもヴィーガンに対応した食事処が少ないのであれば、それがたまたまサイゼリヤだっただけのことである(もっとも、「いや、サイゼリヤはヴィーガン・メニューを備えている!」という指摘も目にしたが、わたしは100年ほどサイゼリヤというものに足を踏み入れていないので現状は知らない)。

 わたしが言いたいのは。
 ヴィーガンが来るならレストランはヴィーガン対応すべきだ、ということだ。
 とはいえ、それはもちろん理想論。「一握りのヴィーガンのために対応なぞできん」というのが実情だろう。だが、その数がある程度に上れば、店は変化すべきだ。

 これを一般化すると「社会は、人々のニーズに応じて変化するものだし、変化すべきものだ」ということになる。
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 社会が人々のニーズに応じて変化すべきこと。
 例えば結婚。

「結婚とは人生の墓場である」というパンチラインを木原敏江の作品で目にした日からずっとそれを信じているし実例も目撃してきたわたしは、問われればきっと、同胞にも同じ考えを勧めるだろう。
 だが、それでも。同性愛者が結婚を希望するならば、その権利を与えられるべきだ。

 当然ながら選択的夫婦別姓も同じ。
「私たちは何年間もこのルールで」「あなた方こそ現行制度を破壊したい同姓反対派」と言う人々は、古いルールと制度に蹂躙されてきた少数派の気持ちを知らない。
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 さて。
 先日、惜しまれながら世を去った石原慎太郎といえば、統一教会とも霊友会とも交流があり、かつては日本・南ア友好議員連盟幹事を務めていた国士である。
 その生涯は小気味いい言動の数々に彩られたものだ。

 1975年、衆議院議員の職を辞して、初めて東京都知事選に出馬。その時は、対立候補の美濃部亮吉(当時71歳)に関して「美濃部さんのように前頭葉の退化した60、70の老人に政治を任せる時代は終わったんじゃないですか」と発言した(が、石原自身は80歳を過ぎても政界に居座り続けた)。
 なんにせよ、この都知事選に落ちた石原は、その翌年に衆議院議員総選挙で復活当選を果たす。
 その後、1983年の衆議院選で起こしたのが「黒シール事件」である。

 石原慎太郎の対立候補、新井将敬の選挙ポスターに「北朝鮮より帰化」というシールが貼られ、石原の秘書が関わっていたことが判明。もちろん石原の指示が疑われたが、慎太郎はサラッと「秘書が勝手にやった」と答える。まあ、ここまでは想定の範囲内だ。
 しかし、「選挙民は立候補した人のパーソナルヒストリーを知る権利がある」とまで発言したとなると、どうだろう? ……あ、それもここ日本では想定の範囲に収まってしまうのか。

 新井将敬のパーソナルヒストリー。
 確かに彼の旧名は朴景在(パク・キョンジェ)。1948年、大阪生まれ大阪育ち。大日本帝国時代に日本列島に移住した「朝鮮籍」の一族だが、16歳の時に帰化した。
 帰化したのだから、要するに日本人だ。強いていうなら「朝鮮系日本人」「朝鮮半島系日本人」となろうが、オリンピック出場資格と同様、政治家に重要なのはエスニシティではなく国籍。その意味で全き日本人である。

 00年代、大統領選出馬時。バラク・オバマは、そのミドルネーム「フセイン」とケニア系という出自から、「ムスリムだ!」と攻撃されることがままあった。それに関して、コリン・パウエルがこう言ったのを思い出そう。
 「オバマ議員がムスリムではないかと問う者がいる。正しい答えは"ノー、彼はクリスチャンだ"というものだ。だが、さらに正しい答えがある。それは、"もし彼がムスリムだとして、それが何か?"だ。この国でムスリムであることは問題か? いいや、問題ではない」。

 新井将敬を政界に引き入れたのはミッチーこと渡辺美智雄。ミッチーは黒シール事件の際、「新井将敬は日本人だ! 日本人が立候補して何が悪い」と、石原慎太郎陣営への怒りをあらわにしたという。
 そして、この件を聞いた右翼活動家・野村秋介は石原慎太郎の選挙事務所に殴り込み、それをきっかけに新井将敬と交流することになる……が、その詳細はまたの機会にしよう。
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 先に書いた通り、社会は人々のニーズに応じて変化するものだし、変化すべきものだ。

 ヴィーガンが来るなら、レストランはヴィーガン対応を。
 同性愛者が結婚を希望するなら、同性結婚の合法化を。
 夫婦別姓を望む人がいるなら、夫婦別姓は――そもそも、それは古来から日本のしきたりだったのだが――認められて当然だ。

 しかし、わたしが石原慎太郎の黒シール事件を引用してまで問いたかったのは、「政界が"ネクスト新井将敬"だらけになったらどうするのか」ということである。
 我々、つまり"由緒正しき日本人"は、どう対応すべきなのか?

 政界進出には及ばずとも、日本各地が在日韓国人や在日朝鮮人、中国からの移民やヴェトナムからの技能実習生だらけになったら。
 日本社会は、彼らのニーズに合わせるべきなのか?

 "由緒正しきアメリカ人"に見えない人々――主にアジア系やラティーノ――に対して、愛国心(という名の既得権益)に燃えるアメリカの皆さんは「ここは俺たちの国だ。俺たちがこの国を作った」と発言して、彼らを見下し、疎外し、エイリアネイトする。
 だが、転校生に向かって「ここは俺たちの学校だ」と主張することに何の意味があろう。
「俺たちが作った」パートについては、さらに奇妙だ。伝統を築いたのは君たちではなく、先輩たちではないか。

 日本に話を戻すと。
 確かに、ここ日本では日本国民の利益や幸福が最重視されるべきだ。だが、それは「我々が日本を所有している」を意味するのではなく、なにがしかの優先権を持つに過ぎない。
 転校生同様、移住してきた方だって伊達や酔狂ではなく事情があって来ているわけだし、少なくとも合法的な移住は自由だ。そして、税金を払っている限り彼らは日本に寄与しているわけで、その貢献は尊重されるべきだろう。さらに、手続きを踏んで日本に帰化した暁には、その時点で彼らは日本人だ。彼らの利益や幸福も、最重視される事柄となる。

 つまり……"由緒正しき日本人"よ、「通名を禁止しろ」「帰化もするな」等と言ってないで、慣れろ!……ということだ。
 石原慎太郎があの世で新井将敬にとっちめられているところを想像しつつ。