清原和博とは、つまりAAA浦田直也である。
「外見の変更によって内心の反省を表現せんとする試み」において。
一つ違うのは、髪の染色が容易かつ可逆的であることに対して、タトゥーは本来不可逆的、ということだ。
それを可逆的にしたのは技術の進歩である。それでも、ものの数時間で金髪から黒髪に変身して謝罪会見に臨んだ浦田直也と比較して、清原和博のタトゥーを完全に除去するには2〜3年を要するという。
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『スポーツニッポン』の報道を適当にかいつまんで伝えると。
この記事でわかるのは、清原が「覚悟」を愛する人だということだ。
曰く「自分がタトゥーを入れたのはいろいろな思いと覚悟があり、その思いは人に言うつもりは今でもないです」。
さらに、「今回消すにあたっては自分なりの思い、親友佐々木との約束もあり覚悟して母の命日に消すことを決めました」。
覚悟で覚悟を覆す「覚悟の上塗り」が美しい。
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ここに、ツイッターで見かけたみなさんの清原エールを記録しておこう。
1歩1歩、悪い道を進んだ過去からの脱却が進んでいるのは素晴らしい
誘惑は死ぬまで尽きないと思うけど、我らのヒーロー、負けないで欲しい
このニュースを見て、ボクサーらは悔い改めよ!刺青師も、「俺はタトウだから」などとヘリクツ言ってないで、真摯に向き合え!
タトウ……ツイートの文面から匂い立つ知性が、これらの人々が「現代の阿Q」であることを教えてくれる。
以前も書いたが、現代日本の阿Qたちは勉強ができないくせに不良化するでもなく、
●"薬物"で逮捕された有名人を非難し
●タトゥーを毛嫌いし
●自民党政権を愛してやまない
傾向があるように見える。
阿Qたちは往々にして「日本は"タトウ"を犯罪視する社会なんだから仕方ない」と語る。だが、その彼らこそが現状を肯定し、日本を「そういう社会」たらしめている原動力なわけで、そのくせ傍観者のようにコメントすることに矛盾を感じないのだろうか。
解決策の一部でないなら、あなたは問題の一部である。
エルドリッジ・クリーヴァーの言葉を引用したところで、こういう人たちには響かないだろうが。
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映画『ビー・バップ・ハイスクール』で、丸まっちいファニーフェイスな御仁が「このツラでお前らに迷惑かけたなぁ!」と叫んで戦闘を開始するシーンがあったような気がする。
もちろん反語だ。
同様に、清原のタトゥーが君たちにどんな迷惑をかけたというのだろう。
君たちは、どれだけ他人の生き方に口を出すのだ?
これは、少し前の「選択的夫婦別姓」制度の可否に関するアンケートの反対派、つまり「自分は夫婦同姓がよい。ほかの夫婦も同姓であるべきだ」とした回答者14.4%に対して乙武洋匡がつぶやいた「どれだけ他人の生き方に口出ししたいんだよ」に倣ったものだ。
実際のところ、世の中は人々が「どれだけ他人の生き方に口を出すのだ?」と自問さえすれば収まりそうな問題で溢れている。
ユダヤ人たちにキリスト教への改宗を強要したレコンキスタ時代のスペイン。
あるいはブルカ着用禁止に踏み切った現在のスイス。
そして日本。
先の選択的夫婦別姓制度に関して、こんなツイートもあった。
夫婦別姓の件にしろ,同性婚の件にしろ,日本人には,
「他人が自由にするのが許せない病」
という,病気が蔓延している気がする。
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Speaking of 同性婚。
アジアで最初に同性婚を合法化した台湾で、その法案の旗振り役となった国会議員について触れておこう。
我が友、フレディ・リムこと林昶佐だ。
タトゥー、長髪。時には顔に「地獄の八将軍」メイクを施し、「グォォォォォォ」とデス声で叫ぶ彼は、台湾を代表するメタル・バンドChthoniC(閃靈樂團)のシンガーである。
アムネスティ・インターナショナルの台湾支部長を経て国会議員となった彼は、選挙中は対立候補に「あんな長髪男は精神病だ!」と揶揄され、当選後は当選後で古参議員たちから「タトゥーを除去しないのか?」と言われたという。
どれだけ他人の生き方に口を出すのだ?
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タワーレコード販促推進部門の名物部長、ヤマダナオヒロという人物も我が同志である。
モヒカン系の長髪、鼻ピアス&唇ピアス、そしてタトゥー。音楽的な傾向としてはパンクやニューウェイヴだ(バンドでは白塗りである)。そのわりにはモトリー・クルーのニッキー・シックスTシャツを着用……あっ、スージー・スーTシャツか。
というわけで、ポリネシア文化とアステカ帝国への憧れからヒップホップとプロレスを経由してタトゥーもんもんになってしまったわたしとはアフィリエイションがだいぶ違うのだが、わたしは彼に共感する部分が多々ある。
「こういう外見であるがゆえに」と、どちらからともなく語ったものだ。
「なおさら礼儀正しくあるように努めています、常日頃から」。
我々の心掛けは上記の通りである。
普通の日本人よ、君たちはどうだ?
よって、わたし丸屋九兵衛は清原のタトゥー除去に断固反対する!
……というわけではない。まったく違う。
彫るのも剥がすのも、清原の自由である。
浦田直也が金髪にするのも黒髪にするのも自由であるのと同じで。
わたしゃ他人の生き方に口出ししたくないからな。こちらの不利にならない限り。
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気になるのは、タトゥーとドラッグとの関連性だ。
そうそう、浦田直也の狼藉はもちろん人工的な金髪に起因するものだから、黒髪に染め直した途端に素行が改まる。
同様に、清原もタトゥーを除去すれば即座にドラッグ禍から抜け出せるのだ!
You need another lover like you need a hole in your head!
ということである。
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たまには「覚悟」を使わない清原のコメントを引用しておこう。
これは、ドラマ『エレメンタリー ホームズ&ワトソン in NY』の第3シーズン第9話でジョニー・リー・ミラー演じる元ヘロイン依存者のシャーロック・ホームズが吐露した思いにそっくりだ。
「断薬を続ける過程は繰り返しで絶え間なく、何より退屈だ。シラフの日常は単調で、常に水漏れ修理が必要な蛇口みたい。その見返りは、ただ水が止まることだけだ。以前は、もし再発するとしたら何か劇的なことのクライマックスが原因になると思っていた。でも今では、また薬に手を出すとしたらアンチ・クライマックスのせいだろうと思う。絶え間なく続く、水漏れの日常に降参して」
わたしも、そんなシャーロック・ホームズを支えるルーシー・リューakaジョーン・ワトソンのような気分で、ドラッグ禍と戦う清原のことは応援していたが(過去形)、それは彼が苦しんでいると思えたからだ。
だが、世の中にはピエール瀧のように、長年にわたって元気ハツラツとドラッグを楽しんできた人もいる。苦しんだようすもまったくなく。その人たちの日々の生活は、確かに非ドラッグ使用者と比べると出費がかさむだろうが、それは酒やタバコといった合法ドラッグとて同じではないか。
コカインやヘロインの使用者、あるいはマリファナの愛好家の素晴らしいところは、合法ドラッグジャンキーを非難しないところである。
「あいつら、酒やタバコなんかやりやがって」と口を出す図は見たことがない。
一方、アルコールやニコチンに耽溺している人たちは、ピエール瀧や元KAT-TUNやキャシャーンを人間失格のように語る権利が自分たちにあると思っているようだ。
どれだけ他人の生き方に口を出すつもりなのだろう。