あまりに高くそびえ立つバカの壁に、おのれの無力さを痛感する瞬間。
人生に何度も訪れる瞬間――それを経験していないなら、あなたはその高い壁を作っている側かもしれない――ではあるが、上記ツイートにより、またも自分の非力を感じたわたしであります。
しかしだな、ここは日本だ。
つまり、
「道徳的にLGBTは認められない!」
「人間は生物学上、種の保存をしなければならず、LGBTはそれに背くもの!」
「差別は許されないと明記すれば、社会に混乱が生じる!」
等の意見が、与党の法案審査で飛び交う国。隣国と違って、トランスジェンダーの天才大臣なぞ「夢のまた夢」状態である。
これでも、性的マイノリティへの差別が存在しないというのだろうか?
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千葉市には、カルトなローカル紙があるらしい。
その名を『稲毛新聞』という。
同紙を発行する有限会社稲毛新聞社が自民党の小梛輝信(当時の千葉市議会議長)と共謀して建設会社を恐喝したデンデンという疑惑も香ばしいが、より香り高いのはイズミという人物が連載していたマンガである。
特に話題となったのは、今年4月のこんな回。
不思議なのは、この手の議論を始める人が共通して「同性愛を邪魔すれば、LGBTQピープルが子作りを始める」という信念を持っていることだ。
『ゲーム・オブ・スローンズ』のシーズン1〜2を見てみたまえ。
番組開始時のロバート・バラシオン王の死後に乱立した"五王"の一人、レンリー・バラシオン(ロバートの末弟)に至っては、「王を名乗る以上、既に跡継ぎがいる方が有利である」という戦略上の必要は理解していても、最後まで女性に興味を持てなかったぞ!
自分が妊娠することの必要性と、夫たる王の性的指向。その両方を心得ている王妃マージェリー・タイレルは、めっちゃクールかつロジカルに「兄を連れてきましょうか?」と提案する。彼女の兄、ロラス"花の騎士"タイレルは、そのレンリー・バラシオンとラヴラヴな同性カップル。なので途中まではロラスとレンリーが……これ以上は書きたくないので、察してください。
もっとも、稲毛新聞マンガの夫婦は子供がいないようである。……なぜその設定に?
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必要以上に騒ぎ立てるのは良くないです…。政府の乗っかり商法は辞めてほしい…
ええと……なぜ君の生活が不便になるのかな? あと、溝ができた場所は君の心の中ではなく、君と被差別者との間じゃないか……と、言いたいことはいろいろある。
そんな文章からして知性にはさほど期待しないほうがいいが、こういう御仁には、 こんな言葉を贈りたい。
Equal rights for others does not mean less rights for you. It's not pie.
意訳するなら「マイノリティが権利を得ても、それはあなたの権利が減ることを意味しない。限られたパイの取り合いではないのだから」となろうか。
そう、これはゼロサム・ゲームとは違うのだ。
特に「同性婚の合法化」なら、なおさらそうである。
2013年、ニュージーランドのモーリス・ウィリアムソン議員が語った通り、「この法案は、関係のある人にとっては素晴らしいもの。一方、そうでない人にとっては、いつも通りの生活が続くだけ」だから。
同性婚の合法化が君の結婚のチャンスを減少させると考えているのであれば、問題は君の方にある。というより、君は"問題"の大きなパートを占めているのではなかろうか。
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選択的夫婦別姓に関して「自分は夫婦同姓がよい。ほかの夫婦も同姓であるべきだ」という立場を示した14.4%に対し、乙武洋匡はシンプルにこう言った。
最近も、「幸せそうな人を見るとモヤっとする...相手が得するのを許せない日本人脳」という記事が――「それは本当に日本人特有のものなのか?」という意味で――議論を呼んだが、政権与党内で「LGBTは道徳的に認められない」という意見が多数派なのだとしたら、「幸せそうな人を邪魔する」のは日本のお家芸と言えまいか。
上記の乙武洋匡ツイートに対して、こんな声もあった。
反対するという生き方に口出ししてしまっていますよ。。
誤解を産む発言です。ご注意を。。
「他人の権利を奪う権利」だけは奪われねばならない、ということがわからないのだろうか。
振り返ってみれば、20世紀前半のドイツにおいて国家社会主義ドイツ労働者党(ナチス)はどうやって勝利したか? ごくごく民主的な選挙によって、だ。
当時としては先進的かつリベラルなヴァイマル共和政が、ナチスに権力掌握を許してしまったこと。その反省から、民主主義的手続きで民主主義体制を覆す「民主主義体制の自殺」を許さない。それが「戦う民主主義」の鉄則である。
リベラリズムの基本が多様な意見への寛容さだとしても、不寛容に対しては不寛容であるべきなのだ。
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なんか障がい者とかセクシャルマイノリティーとか…。
世界中がおかしい…。
どんな人も皆、多少の不自由の中で生きている。
「権利」には「責任」が伴うけど、「責任」は果たせているのでしょうか?
お前はどんな責任を果たしてきたのだ?
こういう話は人種マターに変換すると、その凄さが体感できる。
この場合は、「最近、黒人とかラティーノ/ヒスパニックとかが権利を主張している。アメリカがおかしい」と翻訳してみよう。そこに聞こえてくるのは、KKK、ネオナチ、白人至上主義者たちの声だ。
いつだったか、昔の知人が「昔はどこでもタバコを吸えたのに、なんで今は喫煙所だけなんだ!」とSNSで吠えているのを見た。「障がい者とかセクシャルマイノリティーとか、世界中がおかしい」という不満は、それに似ている。
「少数派の声なぞ、以前は聞かずに済んだのに」ということだ。その少数派が、他ならぬ自分たちのやりたい放題に抑圧されていたことも知らぬようすで。
お前たちはどんな責任を果たしてきたのだ?
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いつだったか、リベラル系のトークイベントの但し書きで「ネトウヨなら参加費無料! ただし"私はネトウヨです"という看板を首から下げてもらいます」というものを見た。果たしてその条件で参加したネトウヨ猛者がいたのかどうかは寡聞にして知らないが。
そんなことを思い出したのは、こんな「名札やゼッケン」提案があったからだ。
曰く。
ああ!
例えば、同性愛者はピンクの三角バッヂということか!
そういう可視化の努力は、80年ほど前にありましたね。
もう一つ引っかかるのは「ノーマル」という表現である。
若い頃、わたしも散々聞いた……というより、訊かれた。「九兵衛くんはノーマルなの?」と。
当時は異性愛者をノーマルと呼ぶのがノーマルだったが、今どきその用法はノーマルでもなかろう。
米欧の化粧品会社も、白人の肌の色をノーマルと呼ぶことをやめている今。主流派・多数派であることを「普通」と表現する時代は、何年も前に終わったと思う。
実のところ、「ストレート」という言葉にも抵抗がある――わたしは屈折してこうなったわけではなく、いたって真っ直ぐに育っているから――が、ノーマルよりはマシである。
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しかし。
そもそも、彼らが言う「ノーマル」は歴史を通じて本当にノーマルだったのか? 現在の状態が人類史の常態だったのか?
つまり。
今の世界では、人口の90%ほどが異性愛者らしい。これほどまでに異性愛(専門)者が増えたのは、実はここ数百年のことではないか……という仮説である。確かに、古代から異性愛が大規模に実行されなければ、人口は増加どころか維持もできないだろう。でも同時に、近代以前の世界における同性愛や両性愛の人口は現在の我々の想像以上に大きく、全くもって「特殊な性癖」でなかったのでは、ということだ。
証明はほぼ不可能だが、ギリシア都市国家文明の時代からイスラム文化黄金期、日本の戦国時代や江戸時代、そしてジョー・ホールドマン『終りなき戦い』で描かれる未来(それはフィクションだが)まで、いろいろ見ていると……ね?