さっきまで晴れていたのに、急に黒雲が広がって、突然の大雨に見舞われることがある。近年ではゲリラ豪雨と呼ばれるようになり、思わぬ被害をもたらすことも増えてきた。
天気予報が発達していなかった江戸時代、急な夕立に困惑することは今以上だったことだろう。そんな夕立の慌ただしさを描いた浮世絵として、歌川広重の「名所江戸百景 大はしあたけの夕立」(図1)を紹介したい。
突然の雨から逃れようと、人々は隅田川に架かる新大橋を足早に駆け抜けようとしている。傘をすぼめたり、1本の傘に3人で入ったり、茣蓙を頭からかぶったりと、雨への対処は人それぞれだ。
ちなみに題名の「あたけ」とは、川の対岸にある「安宅」と呼ばれた場所のこと。幕府の艦船を格納する御船蔵が並んでいたが、雨で霞んで、はっきりとは見えない。
この浮世絵で注目すべきは雨の描写である。画面の上から下まで、全体を細い斜線が覆い尽くしている。よく見てみると、雨は角度が異なる2種類の線を重ねることで表現されており、それによって激しさが増している。この雨足のスピード感のあるシャープさは、版木を彫った彫師の技量があってこそ。
そして、上空の黒雲は、不穏な気配が漂うようにぼかされているが、これは絵具を摺る摺師の絶妙な力加減によるものである。広重の絵に、彫師と摺師のテクニックが合わさることで、夕立の情景が見事に切り取られているのだ。
夕立の激しさを描いた浮世絵としては、歌川国芳の「東都御厩川岸之図」(図2)も見過ごせない。
空には雨雲が立ち込め、川に浮かぶ船や対岸の景色は雨で霞んで黒いシルエットとなっている。隅田川の御厩河岸(現在の東京都台東区蔵前二丁目)を歩く人々は、先の広重の作品と同様、1つの傘に3人で入って意地でも濡れないように頑張る者たちもいれば、手拭を頭に巻いた鰻取りの男性のように、あきらめ顔でずぶ濡れになっている者もいる。
雨はさまざまな幅の帯となって降り注ぎ、泥だらけの地面はいたるところで泡立つ。激しく跳ね返った水柱は白い筋で表現され、広重とはまた違った雨の激しさを演出している。
さて、雨の中を歩く人たちの足元に注目してほしい。全員、裸足である。これに限らず、夕立を描いた浮世絵では、裸足の人が案外と登場する。
最初から雨ならば、下駄を履いて外出するのだろうが、突然の夕立に見舞われた際には、いつも履いている草履を脱ぐことがあったようだ。
1つの傘に入った3人の男性のうち、中央の人物の腰の帯に、脱いだ草履が挟まっているのがお分かりになるだろうか。雨の中を草履のままで歩くと、草履が傷むだろうし、そもそも歩きづらかったのだろう。
突発的な夕立に遭遇することはいつの時代も変わらないが、草履を履いていた江戸時代と、靴を履いている現代とでは、足元の対処法はかなり異なっていたようである。