
幽霊は人間の姿を留めているが、骸骨は皮や肉が腐れ落ち、骨だけになったものである。
不気味な骸骨の浮世絵と言えば、歌川国芳の「相馬の古内裏」(図1)がまず思い出される。西洋の解剖書を参考にしたかと思われるリアルな骨格(ただし鎖骨がなかったり、肋骨の数が少なかったりするが)と、真っ暗な闇の中から巨大な体躯をぬうっとのぞかせる仕草は、恐怖心を掻き立てる。
この骸骨、山東京伝の読本である『善知安方忠義伝』を典拠としたものだ。天下の転覆を企み、相馬の古内裏という荒れ果てた屋敷に潜伏していた瀧夜叉姫。彼女は屋敷を訪れた男たちに対し、妖術で呼び出した妖怪たちを見せつけることで、悪の仲間にすべき豪胆さがあるかどうかを見極めていた。
そんな中、妖怪の噂を聞きつけた大宅太郎光国は屋敷に潜入する。画面の中央で太刀を持つのが光国。滝夜叉姫によって巨大な骸骨が目の前に召喚されたが、まったく動じることなく、きっと睨み返している。左端に立つ女性が瀧夜叉姫。光国の豪胆さを認め、仲間に引き入れるために誓いの連判状を広げたところである。
これだけ巨大な骸骨、さぞかし恐ろしい妖力を持っているに違いないと思うだろう。だが実は、そんなことはない。この浮世絵の典拠となる読本では、光国の前に現れるのは巨大な骸骨ではなく、人間と同じ大きさの骸骨が数百体なのだが、その骸骨たちは敵味方に分かれてお互い戦いを繰り広げるだけで、光国を直接攻撃することはない。
国芳の描いたこの巨大な骸骨も、おそらく光国を驚かせる威嚇しかできないのだろう。肝の据わった光国であれば、これだけ不気味な骸骨もまったく恐怖の対象ではなかったのだ。

さて、骨だけの骸骨も河鍋暁斎の手にかかれば俄然ユーモラスなキャラクターとなる。「応需 暁斎楽画 第九号 地獄太夫がいこつの遊戯をゆめに見る図」(図2)をご覧いただきたい。
室町時代の遊女であり、一休宗純との交流で知られる地獄太夫が夢に見ているのはたくさんの骸骨たち。三味線や箏を演奏したり、重たい墓石を持ち上げて力比べをしたり、相撲で投げ飛ばされてバラバラになったり、盃に酒を注いだり、囲碁を楽しんだり。皆、まるで生を謳歌するかのように楽しそうに戯れている。
人間の生と死は紙一重。人の世の無常を説く仏教思想を背景に、戯れる骸骨たちの姿は室町時代から描かれており、江戸時代後期には一休宗純と地獄太夫の物語と共に広がった。
狩野派の絵師である暁斎はその伝統的な画題を好んで描いていたが、暁斎の骸骨が他の絵師の骸骨と比べて生き生きとしているのは、人間の動きを躍動感豊かに捉える観察眼と、生と死を笑い飛ばすユーモアという、暁斎ならではのセンスがあったからだろう。
浮世絵の骸骨たちは、生命力と愛敬に満ちている。